車を運転している一郎は、先程の衛宮蔵人の会話を思い返していた。
車は衛宮に指定された羽田空港近くの倉庫に向っており、今の所追手に見つかることや、検問に引っ掛かることも無かった。
衛宮はナオミと呼んだ女性との通話を終えると、助手席で目を目を瞑って静かになった。あれだけ手酷い拷問を受け、身体中に傷を負ったのだから当然だと一郎は思った。
衛宮は死んだように眠りについている。
車のダッシュボードには銃が置かれ、完全に無防備な姿をさらしていた。
一郎は衛宮の正体について考えを巡らせていた。
衛宮は、明らかに警察とは違う組織に連絡を取っていた。やり取りを見るに、お互いよく知った仲なのは明らかで、衛宮の報告や指示の手際の良さを見る限り、彼もその組織の一員なのだろうと考えると、全ての辻褄合うような気がしていた。
彼はもともと捜査の一環で、一郎の勤めるサイバー・マトリクス社を調査しており、その過程で自分をのことを知って目を付けていたのではないか?
一郎はそんなことを考えた。
そう考えれば、バー『電気羊』で衛宮が自分のような特に面白味もない人間に声をかけてきたことも合点がいった。
自分は衛宮に利用されていたのではないか?
そんなことを考えると、一郎の頭の中は混乱と猜疑心で破裂してしまいそうだった。
しかし、今日一日、自分が衛宮に助けられ続けたのも事実だった。
衛宮が助けに来てくれなければ、自分はあの工事現場死んでいた。マトリクス社でも、首都高速でも、その後犯人グループに浚われた後も――衛宮は一郎のことを助け続けてくれた。
こんなにボロボロになってまで。
一郎は衛宮のことが分らなくなっていた。
車を運転している最中、一郎は何度も指定された倉庫に向かうのではなく、直接警察に行こうと考えた。しかし、最終的には衛宮の言った倉庫に向けて車を運転し続けた。
もやもやとした気持ちは晴れぬまま、車は目的へと到着した。
一郎は車を倉庫からワンブロック離れた路肩で止めた。
「着いたか?」
一郎が声をかけるまでもなく、衛宮はすでに目を覚ましていた。
「イチロー、もう一度車を出してくれ」
「あ、ああ……分った」
その後で、衛宮は念のため倉庫の回りを二度ほど周回させた。尾行の有無を確認し、地形の把握を終えると、二人はようやく車を降りて倉庫に向った。
「肩を貸さなくて大丈夫か?」
「ああ……何とか動ける」
衛宮はすでにまともに歩けるまでには回復しており、傍目には怪我をしているとは思えなかった。
二人が向かった先は、同じ形の倉庫が立ち並ん一画だった。
車のガレージのようなサイズで、斜めの屋根の倉庫が群れを成したように犇めき合っている。
衛宮はその中から目当ての倉庫を探しだし、シャッター脇のドアに備え付けられた電子パネルを操作した。
「良し。入れ」
ドアを開けて中に入ると、倉庫の中は真っ暗で埃っぽかった。
衛宮は倉庫の明かりを点け、適当な場所に腰を下ろした。ドラム缶の上に拳銃を置き、壁に背を預けて目を瞑る。少しでも体力を回復しておこうと、最小限の動作しか取らなかった。
一郎はドラム缶の上を見た後、ほぼ空っぽの倉庫の中を見回した。
「ここは……何なんだ?」
一郎が尋ねると、衛宮はゆっくりと目を開けて一郎を見た。
「国が所有権を持っている倉庫だ。捜査機関が避難場所や、要人との密会に使ったりする」
「だったら……食料や医療品は置いてないのか?」
「さぁ、僕も使用するのは初めてなんだ。詳しくは知らない」
一郎は倉庫奥の戸棚に足を運んでみたが、目ぼしいものは何一つなかった。
「なぁ、どうしてお前が……国が所有している倉庫の暗証番号なんて知っているんだ?」
その質問に衛宮は答えようとしなかった。
答えたくないのか、口を開くことで体力を消耗するのを嫌がったのかは分らないが、衛宮はただ目を瞑ったままピクリとも反応しなかった。
「さっきの電話の相手は……誰だったんだ? 警察じゃない捜査機関って何だ? お前は危機管理のコンサルタントじゃなかったのか?」
一郎は声を大きくして質問を続ける。
ついに膨れ上がった猜疑心が爆発した。
そして、もう我慢できないとドラム缶の上の銃を手に取り――それを衛宮に向けた。
「衛宮……頼む、答えてくれ。お前は、捜査機関の人間なのか? 初めからマトリクス社を捜査していて、それで僕に目を付けたのか? 僕を利用しようとしたのか? 答えろっ」
一郎が声を荒げ、震える手で握った銃の引き金に指をかけると――衛宮はゆっくりと片目を開いた。
そして、自分に向けられた銃口を真っ直ぐに見据えた。
「銃を撃つなら、しっかり握れよ?」
衛宮はもう片方の目を開いて、今度は銃口ではなく一郎を見た。
「いいぞ。安全装置は外れてる。プライドが傷つけられる心配もないな」
衛宮はゆっくりと立ち上がり、一郎に向けて一歩二歩と歩き出した。
「来るなっ。撃つぞ?」
「ああ、撃てるぞ。トリガーにかけた指に、後ほんの少し力を込めるだけだ。右手はしっかりとグリップを握り、左手で支えろ。右手はもっと突き出した方が良いな。足は少し開いて、重心は前に」
「ふざけるなよっ。僕を……馬鹿にしているのか」
一郎は言われた通り右手を突き出して足を開いた。
「おい、衛宮。来るな……本当に撃つぞ?」
衛宮は一郎の目の前で止まり、向けられた銃口を額に当てた。
一郎が引き金を引けば、衛宮の脳天は間違いなく打ち抜かれる。
外しようのない距離だった。
「撃つぞ? ……良いのか?」
銃を持った一郎の手は大きく震え、指先は言う事を聞かないぐらい小刻みに揺れていた。一郎の体中から血の気が引いていき、自分がまるで冷たい石ころにでもなってしまったみたいだと感じていた。
これまでの悲惨な出来事の数々が一郎の脳裏にフラッシュバックし、そして引金を引く衛宮の冷酷な姿が浮かび上がった。
そして、それを自分の姿と重ねた。
「僕のことが信じられないなら――撃てよ。僕に助けを求め来たのはお前だが、僕のせいでお前が酷い目に合ったのも事実だ」
一郎は顔を真っ青にして衛宮の目を見た。
その表情には一点の曇りもなかった。
一郎はゆっくりと銃を下ろして項垂れた。
「お前のおかげで……僕の命は助かった。それなのに……こんなことをして悪かったよ。ごめん」
一郎は自分が信じられないと言った感じて後悔の念を口にした。
衛宮は一郎の震える手から銃を奪い、にやりと笑って肩を竦めてみせた。
「こんな状況だ、それに散々ひどい光景を目にし続けたんだ。精神が参ってもおかしく無いし、周りの全員が敵に思えたって仕方ない。戦場じゃよくあることだ。気にするな」
衛宮は何でもないと言いながら一郎の肩を叩き、再び壁に背を預けて腰を下ろした。
「衛宮……お前は銃が怖くないのか?」
そんな衛宮を見て、一郎は信じられないと言った。
「僕が本当に引き金を引いてら……お前は死んでたんだぞ? それとも僕が打てないって……お前はたかを括っていたのか?」
一郎は、銃を突き付けられたというのにまるで何事も無かったかのように平然としている衛宮に、恐れにも似た超然さを感じ取っていた。
「いや、僕だって銃を突き付けられたら恐怖するさ。痛みや恐怖を超越できる人間なんて存在しない」
衛宮は自分の経験則を披露するよう言った。
「じゃあ……どうして?」
「僕は危機管理のコンサルタントだぜ? 自分の危機に対してリスクマネジメントを図るのも……まぁ、僕の仕事の一つだ」
衛宮はそう言うと、まるで種明かしをする手品師のように、一郎にその答えを明かしてみせた。
一郎から受け取った銃のマガジンを抜き、その中が空であることを示した。
銃弾は一発も装填されていなかった。
「お前、俺を試したのか?」
「銃弾を撃ち尽くしただけだ」
「嘘を吐くなっ。僕を試したんだろ?」
「信頼関係を確認しただけだ」
「……信頼?」
「お前は僕に不信感を抱いていただろう? だったら、いっそのこと爆発させた方が手っ取り早く確認できる。雨降って何とかって言うだろ?」
一郎はそこまで聞いて衛宮の意図を理解した。
彼がわざと一郎の目に着く場所に銃を置いていたのは、一郎がどのような行動に出るのかを知るためだったのだ。車の中での無防備な姿も、今考えれば全てわざと――芝居だったのだろう。
一郎は一言では言い表せない複雑な表情を浮かべて、衛宮を睨みつめた。
自分がどのような感情を抱いているのか、一郎自身ですら分からなくなっていた。
「そう怒るなよ――」
衛宮は両手を広げながら続けた。
「これもお互いの身を守るためには必要なことだ。これで、お前が僕を撃つ気がないことは分った。今度は、僕はお前の信頼を取り戻そう」
「信頼を取り戻す? こんなことをしておいて……信頼もクソもないだろ」
一郎は憤慨して言った。
「そもそも、俺が衛宮を信頼しようがしなかろうが、お前には全然関係ないじゃないか?」
「そう言うなよ」
「知るかっ」
「お前の疑問に全部答える。それでこの件は水に流してくれ」
「僕の疑問に答えるって……本当だろうな? もうはぐらかしたりしないんだろうな?」
「ああ、何でも答える。そもそも、はぐらかしていたつもりもない。僕は必要じゃないと思ったから話さなかっただけだ」
「でも……僕は知りたいんだ。本当のことを聞かせてくれ」
「分ったよ。何が聞きたいんだ?」
衛宮に問われ、一郎は真っ先に尋ねた。
「お前は何者なんだ?」
衛宮は静かに口を開いた――
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