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それから僕はユーリヤの家に遊びに行くようになって、休みの日はほとんどユーリヤの家で過ごすようになった。
僕たちは双子のようにいつも一緒だった。
僕が彼女の背中を追い、僕よりも少し先を歩く彼女が、不意に振り返る――そんな『だるまさんがころんだ』のような、無垢で心地よい関係を、僕たちはいつの間にかきずき上げていた。
そして、きずき上げたものがいつまでの続くと、今以上に高くそびえ立っていくんだと――無条件で信じていた。
――だけど、それは何れ無慈悲に壊されてしまう幻想の塔だったのかもしれない。
ユーリヤの家に行くと――広々とした玄関でユーリヤのお母さんが、まず僕を出迎えてくれた。その後で、母親の背中から顔を出したユーリヤが、「来るのが遅い」って、不機嫌そうにつんと唇を尖らせるのが毎度の光景だった。
そんな調子のユーリヤを見て、彼女のお母さんが「せっかく来てくれたのに、そんなこと言うものじゃないのよ」なんてたしなめたりして、時折「ユーリヤと仲良くしてくれて、ありがとうね」とか、「わがままな子だけど、あなたと遊ぶようになって明るくなったのよ」とか、「家の中では、いつもあなたの話をしているのよ。さっきまで必死におめかししてたんだから」なんて、とても嬉しそうに話をしたりした。
ユーリヤは、自分の目の前でそんなことを言われると、その度に顔を真っ赤にして「そんな余計なこと言わないでよ」とか、「おめかしなんてしてないっ。お母さんが勝手に私の髪の毛を結ったんでしょ」なんて、癇癪を起こしてお母さんをポコポコ叩いたりした。
僕は何だかいたたまれない、気恥ずかしい気持ちになったりした。
それにいちいちお礼なんかを言われると、なんだか物悲しくて、切ない気持ちになっちゃったりもした。
だけど、そんな時はユーリヤの子供っぽいところが見られたりして、やっぱりユーリヤも僕と同い年の女の子なんだなって思うことができた。
今思えばユーリヤのお母さんもいろいろ不安なことが多かったんじゃないかって思う。だから初めてできたユーリヤの友達が家に遊びに来ることが、とても嬉しかったんじゃないかって――やっぱり良く知らない土地で、違う国の人間だったりするから。
多分ユーリヤだって同じ気持ちで、カタカナの名前とか、外国人のお母さんとか、灰色の瞳とか、抜けるように白い肌とか、そういった周りと違うことを、小さい彼女なりに敏感に感じ取っていたんだと思う。
たとえ彼女が敏感に感じ取っていた、他人と違うってところの全てが――僕の目には特別な、とても素敵なものに見えたんだとしても。
そういったことの一つ一つを、しっかりと言葉にしておけば良かったんだって、今になって考えてしまうけれど――やっぱり恥ずかしかったりするんだよね。
そんなユーリヤは僕の前では徹底的にお姉さんぶった。
自分の知っていることをいつも僕に聞かせて、それをまるでこの世界で唯一の真実とか、大人たちが必死に隠している陰謀みたいに大袈裟に語った。
僕はいつも彼女の話に夢中だった。
「いい? 本当は『アポロ11号』は月に行ってないの――あれはアメリカの陰謀なのよ。アメリカっていう威張りん坊と、アームストロングって嘘っぱちがでっち上げたデマなのよ。証拠だってあるんだから」
そう言いながら、ユーリヤはさも自分が長い年月をかけて調べた彼女自身の偉業を語るみたいに、次から次へと証拠を出して僕を説得にかかった。
アポロに乗った宇宙飛行士が撮影した写真には星が写っていないとか、四km離れているはずの映像が全く同じ背景であるとか、宇宙飛行士や岩などの影が平行になっていないとか、ロケットの噴射によるクレーターが出来ていないとか、旗がはためいているとか、エトセトラエトセトラ。
「それに、アメリカ以外にはどこの国も月には行っていないでしょう? 誰かが月に行くとアメリカが月に行ってないってバレちゃうから、衛星で監視しているのよ。きっとミサイルなんかを向けて脅しているんだと思うわ。『北方四島』を賭けたっていいんだから」
――『北方四島』を賭けたっていい。
これは彼女の口癖の一つだった。
僕と二人きりの時にしか絶対に口にしない口癖だった。
「前にね、お母さんの前でこれを言ったらすごい怒られて、ほっぺたを叩かれたの。その後でお母さんは泣きだしちゃって、とっても参っちゃったんだから」
彼女がやれやれって感じで、さらっとそう口にした。
その時の僕は『北方四島』が何かってことよりも、ユーリヤが叩かれたってことに驚いてしまって――そのことを深く考えたりはしなかった。あの優しいユーリヤのお母さんが、怒ったり泣いたりするなんてことが――僕には信じられなかった。
だから、それ以上『北方四島』なんていう、高い所から垂らした雫が飛び散って、さらに遠くまで飛び跳ねたような『小さな島』については――考える余裕や興味すらなかった。
そして、それを考えるようになった時には、僕たちの間には越えられない『国境線』が引かれてしまっていた。
あの頃から――僕と出会う以前から、ユーリヤの興味や好奇心の全ては宇宙に向かっていた。推力全開で、大気圏を突破しようとするスペースシャトルみたいに、彼女はまっすぐに月へと向かって行った。
ユーリヤの父親がJAXA――宇宙航空研究開発機構――で働いていて、子供のころから宇宙の話を聞かされていたからというのが、彼女が宇宙に行きたがることの大きな理由の一つだったんだけど、もちろんそれだけじゃなかった。
それに気がつけたのは、もっとずっと後になってから――彼女を暗く冷たい宇宙空間にひとりぼっちにしてしまってからだった。
僕の小さな頃って、もう子供たちはあんまり宇宙とか、自然の神秘みたいなものには興味はなかったんだけど――他に面白いものはいくらでも周りに溢れていたから。
僕はどうしてだろう?
彼女の語る宇宙の話にすごく興味を惹かれた。
ユーリヤの情熱はすぐに僕にも伝わって、それは僕の情熱にもなった。
ロケットのエンジンは二つ、推力は二倍――
――月へ向かう『アストロノーツ』は二人になった。
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