マリーと魔法使いヨハン6話
006 ところで、いったい私はいつからあなたに引っかけられたわけ?
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車窓から見える景色は、緑の絨毯からじょじょに田園の郊外へと姿を変えて行った。そして列車は長いトンネルへ入り、客席には影とひんやりとした空気が入ってきた。
「さぁ、そろそろだ」
すると、おもむろにヨハンが口を開いた。
「もう着くの?」
「そろそろだね」
立ち上がったヨハンは出発の支度をし始めた。ロキはふわふわと浮き上がりまた元のバッグに戻ると、ヨハンはそれを腰に装着してマントを羽織った。
その間にも列車はトンネルを抜け、客室にはまた太陽の光が差し込みはじめた。
列車が長いトンネルを抜けると、窓の向こうはオレンジ色の屋根が並ぶ町中へと景色を変え、マリーは始めて見る王都の景色に胸を大きく膨らませていた。
「さぁ、行こうか」
「行くって、駅に着いてから行くんでしょ?」
「僕たちは駅には向かわないよ。この窓から出る」
「えっ?」
当たり前の事のように述べるヨハンに、マリーは困惑の表情を浮かべていた。
確かにマリーは列車に乗るのは初めてだったが、列車が駅を経由して乗り降りすることぐらいは知っていた。そんなマリーを他所に、ヨハンは腰から垂らした鎖に付いた幾つかのアクセサリーの中から、羽の形をした銀の彫刻品を外した。
「マリー、少し離れていて」
マリーは言われて、ヨハンから少し距離を空ける。
ヨハンは羽のアクセサリーを握り、そして手を開くと、羽のアクセサリーはヨハンの手の中で箒へと形を変えていた。その箒は昨夜マリーを乗せて飛び回った、世にも美しい金色の箒だった。
「さぁマリー、乗って」
ヨハンは箒に跨がって、マリーを自分の後ろに乗るように促した。マリーは戸惑っていたが、しかたなくヨハンに言われた通りに箒に跨がった。
「準備はいいかい? しっかりつかまっているんだよ」
マリーは少し恥ずかしがりながら、ヨハンの腰に手を回した。
「準備いいわ」
そう言うと、マリーはぐっと体に力を入れた。
「じゃあ、いくよっ」
その言葉を合図に、箒は宙に浮き上がった。そして箒は車窓から勢いよく飛び出し、どんどん高度を上げて列車の全形が見えるぐらいの高さまで上っていった。
箒が上昇して行く最中、マリーは目をずっと瞑っていた。ようやく箒が速度を落として穏やかな飛行になったところで、マリーは目を開けて当たりを見回した。
「ねぇ、何で駅から降りないのよ?」
「だって駅から降りたら捕まっちゃうよ。僕らは昨日、窓から入っただけなんだから」
マリーは驚いた。
「何ですって、じゃあ誰かが入って来たらどうするつもりだったのよ?」
「大丈夫さ。そういう魔法をかけておいたから」
マリーは更に驚き、なかば呆れていた。
「ねぇ、あなたって本当は大悪党なんじゃないの」
それを聞いてヨハンは振り返った。
ヨハンが振り返ると、耳につけた赤い宝石の耳飾りや、首から下げた金の首飾りなどがチャラチャラと音を立てた。そして銀色の髪の毛が風に靡いてマリーの顔を撫でる。ヨハンは髪の毛をかき上げて、悪戯っぽい表情をつくった。
「僕が、そんな風に見える? でも、ほんとうにそうだったらマリーはとっくに蛙になっていたよ」
「なっ、なによっ、それ」
ヨハンはにやっと笑い、マリーは顔を顰めてそっぽを向いた。
「あっ、それと」
ヨハンは思い出したかのように口を開いた。
「その、あなたって言うのやめてくれないかい? 僕にはヨハンって言う素晴らしい名前があるんだけど」
「考えておくわ」
マリーはそっぽを向いたまま答えた。
マリーがヨハンの顔を見なかった理由は、別に怒っていたからではなかった。マリーとヨハンとの顔の距離が、あまりにも近すぎたので恥ずかしかったからだった。それにマリーは、年の近い男の子を下の名前で呼んだことがなかったので、なおさら恥ずかしかったのだった。
そうこうしているうちにも、箒はどんどん空中を進んで行った。
マリーは目の前に広がる壮大な町並みに圧倒されていた。
地平線の先まで続くオレンジ色の屋根の群れは、ボロニアの町を百倍にしても足りず、ほとんどの建物の背は、まるで刈りそろえられた芝生のように同じ高さに揃えられていた。町を貫くように流れる大きな川はきらきらと銀色に輝き、まるでヨハンの髪の毛のように緩やかに流れていた。その大きな川はマリーたちが乗っていた列車の線路と交差し、マリーたちの乗った列車はたった今駅に着き、大きく口を開いたかのようなアーケード状の駅のホームへと消えて行ったた。
「どうだい、美しき花の都。そして天使と噴水の都――――王都“アレクサンドリア”は?」
マリーはあまりの美しさに言葉が出なかった。
“九つの国”で構成された“ローラシア連合“――――通称、“白獅子”に所属する国の中で、最も古い歴史をもつ“ローランド王国”。そして、その王国の中でも最古の歴史を持つのが、悠久の時を過ごす都市、王都“アレクサンドリア”だった。数々の教会や鐘楼 、時計台、工房が軒を連ね、数多くの遺跡が眠る都市。存在する全てのものに長い歴史が詰まった最古の都市は、水に育まれた噴水の都でもあった。
アレクサンドリアには、都市を貫くレイプト川から水路を渡って吹き上がる、千を越える噴水があった。美しい水は古くからアレクサンドリアの生活を支え、都市の発展に寄与してきた。
そんな憧れの都アクサンドリアが目の前に広がっていることが、マリーにはまるで夢を見ているようだった。
「きれい」
感動と興奮の混じったマリーの声は、青い空に吸い込まれていった。
吹き抜ける風は心地よく、マリーの心も穏やかな風と戯れていた。
「さてと、そろそろ満足したかい?」
マリーはまるで夢のような景色に見とれていて、箒が空中で停止していたことも、自分がどれくらいの時間景色に見とれていたかも見当がつかなかった。
「ごめんなさい。もういいわ」
その言葉が発進の合図になって、箒はまたゆっくりと進み始めた。
「気に入った?」
「えぇ、とても。噂以上に綺麗な所ね」
「なら良かった。わざわざ遠回りをした甲斐があったと言うものさ」
「ありがとう、ヨハン」
マリーは頬を林檎のように赤らめて言った。
しかしヨハンは前を向いていたので、マリーの恥らった表情に気がつくことはなかった。
しばらく沈黙が続いた。そして箒は他の建物より背の高い豪華な建物を通り過ぎようとした時――――
「ごめん、マリー」
ヨハンは急に箒の上に立ち上がった。器用に二本の足で箒の細長い柄の上に立つヨハンにたいして、マリーはヨハンが急に箒の上に立つのでつかまる場所を失い、一瞬姿勢を崩して落ちそうになった。しかし直ぐに箒の柄につかまり直し、マリーは何とかバランスを取ることに成功した。
「ちょっと、危ないじゃない」
ヨハンはマリーの言葉には答えず、箒の上で両手を広げて風を感じているような姿勢をとった。
それから暫く、ヨハンはピクリとも動かなかった。
「ねぇ、初めて会った時もそんな格好をしてたけど、いったい何やっているの?」
瞬き三回ぐらいの間があった後、ヨハンは箒の上をくるりと回ってマリーに向き直った。
「風に聞いていたのさ」
「風に?」
マリーはいぶかしげに尋ねた。
「そう、風にさ。風は素直だからね。何も隠さず、何も偽らない。例えば、もう直ぐ僕らの上を鳩が三匹飛ぶとか」
ヨハンが空を指した。そしてマリーが空を見上げると、そこには白い鳩が三匹、悠々自適と空を飛んでいた。
「うそ、そんなことできるの?」
マリーの顔は驚きに満ちていた。
「できるさ。昔から優れた魔法使いたちは――――暦 や気象、尋ね人など、ありとあらゆることを風に聞いていたんだ。そのなかでも得に優れた魔法使いは、風に尋ねるだけで隣の国の出来事や未来まで分かってしまうんだ」
得意げに語るヨハンに、マリーはとても感心していた。やはり魔法使いたちはマリーの想像していた通り、すごく神秘的で素晴らしい存在だったんだと思いなおした。マリーは自分にも魔法が使えたらいいのにと、ヨハンのことがものすごく羨ましく思えた。
ヨハンは上空を指していた手を、空と水平に広げなおした。
すると、広げた腕に一羽の白い梟が止まった。
「今回は、ずいぶん遅かったね」
ヨハンの腕に止まった梟 が陽気な声で喋った。
「あぁ、そろそろ来ると思ったよ」
ヨハンは広げた手を自らの顔の前まで持って行き、親しげな声で梟に声を掛けた。
「頼まれていた例の品、師匠が出来上がってるって言ってたぞ」
「本当かい? じゃあ近いうちに取りに行くよ」
「それよりも、このかわいい子ちゃんはだれだい? また女を引っかけてきたのか?」
梟の表情が心なしかいやらしい顔になったのを、マリーは見逃さなかった。
「まぁ、そんな所だね」
ヨハンは会話を軽くいなした。
「やるねぇ。おっと、もう行もうかないと。今大忙しなんだ」
「わざわざすまない。またなダンテ」
梟は忙しなく腕から飛び立ち、また空に戻っていった。
「今のも精霊なの?」
梟の飛んで行った方角を眺めながら、マリーは尋ねた。
「いや、あれはダンテっていう知り合いの“アーティファクト職人”さ」
「アーティファクトって?」
「魔法の道具のことだよ。さっき列車の中で箒を取りだしたアクセサリー――――あれもアーティファクトさ」
マリーは「ああ」と頷いた。
「便利なのね、アーティファクトって。それよりアーティファクト職人はみんな梟なの?」
それを聞いて、ヨハンはくすくすと笑った。
「違うよマリー。あれは梟の体を借りているだけさ」
「梟の体を、そんなことできるの?」
「できるさ、賢い梟となら契約しだいでは体ぐらい貸してくれるよ」
「契約? 梟と契約するの?」
マリーは頭を悩ませながらも、話の内容に興奮していた。
「賢い梟とならね。魔法使いは悪魔とだって契約するさ」
「悪魔、悪魔もいるの?」
マリーの目と口がこれでもかというぐらい大きく開いた。
マリーの瞳はきらきらと輝いていすた。マリーは今朝見知らぬベッドで目が覚めてから、まるで絵本の世界にでも迷い込んでしまったかのようだった。きっと、不思議の国を訪れた女の子もこんな気分だったのだろうと思った。
「いるさ。マリー、君が思っているよりも世界は広いんだ。精霊、悪魔、妖精、妖霊、エルフ、ホビット。それに、ドラゴンだってみんな実在しているんだよ」
「ドラゴンも?」
マリーの大きくなった瞳は、よりいっそうの輝きを増した。今までマリーの頭の中で空想してきた世界がこんなにも見近にあると思うと、マリーの胸は激しく高鳴り、抑えきれないぐらい高まり、わくわくしていた。
しかしマリーはそんな心とは裏腹に、じろりと目を細めて強い口調で言った。
「ところで、いったい私はいつからあなたに引っかけられたわけ?」
「いやっ、あれは言葉のあやさ。聖杯の話をする訳にはいかないだろう」
ヨハンは慌てて言葉を繕った。
「あっそ」
マリーは冷たく言い捨てた。
「ちょっと、前を見てしっかり操縦してくれない? 昨日のような恐ろしい目はもう勘弁よ」
「分かったよ。そんなに怒らなくたって――――」
ヨハンはぶつぶつと文句をたれながら前を向き、細い箒の柄に二本足で立ったまま、安全運転で箒の舵を取った。
ヨハンの背中を眺めているマリーは、言葉とは裏腹に頬を紅潮させて花のような微笑を浮かべていた。
「さぁ、そろそろだ」
すると、おもむろにヨハンが口を開いた。
「もう着くの?」
「そろそろだね」
立ち上がったヨハンは出発の支度をし始めた。ロキはふわふわと浮き上がりまた元のバッグに戻ると、ヨハンはそれを腰に装着してマントを羽織った。
その間にも列車はトンネルを抜け、客室にはまた太陽の光が差し込みはじめた。
列車が長いトンネルを抜けると、窓の向こうはオレンジ色の屋根が並ぶ町中へと景色を変え、マリーは始めて見る王都の景色に胸を大きく膨らませていた。
「さぁ、行こうか」
「行くって、駅に着いてから行くんでしょ?」
「僕たちは駅には向かわないよ。この窓から出る」
「えっ?」
当たり前の事のように述べるヨハンに、マリーは困惑の表情を浮かべていた。
確かにマリーは列車に乗るのは初めてだったが、列車が駅を経由して乗り降りすることぐらいは知っていた。そんなマリーを他所に、ヨハンは腰から垂らした鎖に付いた幾つかのアクセサリーの中から、羽の形をした銀の彫刻品を外した。
「マリー、少し離れていて」
マリーは言われて、ヨハンから少し距離を空ける。
ヨハンは羽のアクセサリーを握り、そして手を開くと、羽のアクセサリーはヨハンの手の中で箒へと形を変えていた。その箒は昨夜マリーを乗せて飛び回った、世にも美しい金色の箒だった。
「さぁマリー、乗って」
ヨハンは箒に跨がって、マリーを自分の後ろに乗るように促した。マリーは戸惑っていたが、しかたなくヨハンに言われた通りに箒に跨がった。
「準備はいいかい? しっかりつかまっているんだよ」
マリーは少し恥ずかしがりながら、ヨハンの腰に手を回した。
「準備いいわ」
そう言うと、マリーはぐっと体に力を入れた。
「じゃあ、いくよっ」
その言葉を合図に、箒は宙に浮き上がった。そして箒は車窓から勢いよく飛び出し、どんどん高度を上げて列車の全形が見えるぐらいの高さまで上っていった。
箒が上昇して行く最中、マリーは目をずっと瞑っていた。ようやく箒が速度を落として穏やかな飛行になったところで、マリーは目を開けて当たりを見回した。
「ねぇ、何で駅から降りないのよ?」
「だって駅から降りたら捕まっちゃうよ。僕らは昨日、窓から入っただけなんだから」
マリーは驚いた。
「何ですって、じゃあ誰かが入って来たらどうするつもりだったのよ?」
「大丈夫さ。そういう魔法をかけておいたから」
マリーは更に驚き、なかば呆れていた。
「ねぇ、あなたって本当は大悪党なんじゃないの」
それを聞いてヨハンは振り返った。
ヨハンが振り返ると、耳につけた赤い宝石の耳飾りや、首から下げた金の首飾りなどがチャラチャラと音を立てた。そして銀色の髪の毛が風に靡いてマリーの顔を撫でる。ヨハンは髪の毛をかき上げて、悪戯っぽい表情をつくった。
「僕が、そんな風に見える? でも、ほんとうにそうだったらマリーはとっくに蛙になっていたよ」
「なっ、なによっ、それ」
ヨハンはにやっと笑い、マリーは顔を顰めてそっぽを向いた。
「あっ、それと」
ヨハンは思い出したかのように口を開いた。
「その、あなたって言うのやめてくれないかい? 僕にはヨハンって言う素晴らしい名前があるんだけど」
「考えておくわ」
マリーはそっぽを向いたまま答えた。
マリーがヨハンの顔を見なかった理由は、別に怒っていたからではなかった。マリーとヨハンとの顔の距離が、あまりにも近すぎたので恥ずかしかったからだった。それにマリーは、年の近い男の子を下の名前で呼んだことがなかったので、なおさら恥ずかしかったのだった。
そうこうしているうちにも、箒はどんどん空中を進んで行った。
マリーは目の前に広がる壮大な町並みに圧倒されていた。
地平線の先まで続くオレンジ色の屋根の群れは、ボロニアの町を百倍にしても足りず、ほとんどの建物の背は、まるで刈りそろえられた芝生のように同じ高さに揃えられていた。町を貫くように流れる大きな川はきらきらと銀色に輝き、まるでヨハンの髪の毛のように緩やかに流れていた。その大きな川はマリーたちが乗っていた列車の線路と交差し、マリーたちの乗った列車はたった今駅に着き、大きく口を開いたかのようなアーケード状の駅のホームへと消えて行ったた。
「どうだい、美しき花の都。そして天使と噴水の都――――王都“アレクサンドリア”は?」
マリーはあまりの美しさに言葉が出なかった。
“九つの国”で構成された“ローラシア連合“――――通称、“白獅子”に所属する国の中で、最も古い歴史をもつ“ローランド王国”。そして、その王国の中でも最古の歴史を持つのが、悠久の時を過ごす都市、王都“アレクサンドリア”だった。数々の教会や
アレクサンドリアには、都市を貫くレイプト川から水路を渡って吹き上がる、千を越える噴水があった。美しい水は古くからアレクサンドリアの生活を支え、都市の発展に寄与してきた。
そんな憧れの都アクサンドリアが目の前に広がっていることが、マリーにはまるで夢を見ているようだった。
「きれい」
感動と興奮の混じったマリーの声は、青い空に吸い込まれていった。
吹き抜ける風は心地よく、マリーの心も穏やかな風と戯れていた。
「さてと、そろそろ満足したかい?」
マリーはまるで夢のような景色に見とれていて、箒が空中で停止していたことも、自分がどれくらいの時間景色に見とれていたかも見当がつかなかった。
「ごめんなさい。もういいわ」
その言葉が発進の合図になって、箒はまたゆっくりと進み始めた。
「気に入った?」
「えぇ、とても。噂以上に綺麗な所ね」
「なら良かった。わざわざ遠回りをした甲斐があったと言うものさ」
「ありがとう、ヨハン」
マリーは頬を林檎のように赤らめて言った。
しかしヨハンは前を向いていたので、マリーの恥らった表情に気がつくことはなかった。
しばらく沈黙が続いた。そして箒は他の建物より背の高い豪華な建物を通り過ぎようとした時――――
「ごめん、マリー」
ヨハンは急に箒の上に立ち上がった。器用に二本の足で箒の細長い柄の上に立つヨハンにたいして、マリーはヨハンが急に箒の上に立つのでつかまる場所を失い、一瞬姿勢を崩して落ちそうになった。しかし直ぐに箒の柄につかまり直し、マリーは何とかバランスを取ることに成功した。
「ちょっと、危ないじゃない」
ヨハンはマリーの言葉には答えず、箒の上で両手を広げて風を感じているような姿勢をとった。
それから暫く、ヨハンはピクリとも動かなかった。
「ねぇ、初めて会った時もそんな格好をしてたけど、いったい何やっているの?」
瞬き三回ぐらいの間があった後、ヨハンは箒の上をくるりと回ってマリーに向き直った。
「風に聞いていたのさ」
「風に?」
マリーはいぶかしげに尋ねた。
「そう、風にさ。風は素直だからね。何も隠さず、何も偽らない。例えば、もう直ぐ僕らの上を鳩が三匹飛ぶとか」
ヨハンが空を指した。そしてマリーが空を見上げると、そこには白い鳩が三匹、悠々自適と空を飛んでいた。
「うそ、そんなことできるの?」
マリーの顔は驚きに満ちていた。
「できるさ。昔から優れた魔法使いたちは――――
得意げに語るヨハンに、マリーはとても感心していた。やはり魔法使いたちはマリーの想像していた通り、すごく神秘的で素晴らしい存在だったんだと思いなおした。マリーは自分にも魔法が使えたらいいのにと、ヨハンのことがものすごく羨ましく思えた。
ヨハンは上空を指していた手を、空と水平に広げなおした。
すると、広げた腕に一羽の白い梟が止まった。
「今回は、ずいぶん遅かったね」
ヨハンの腕に止まった
「あぁ、そろそろ来ると思ったよ」
ヨハンは広げた手を自らの顔の前まで持って行き、親しげな声で梟に声を掛けた。
「頼まれていた例の品、師匠が出来上がってるって言ってたぞ」
「本当かい? じゃあ近いうちに取りに行くよ」
「それよりも、このかわいい子ちゃんはだれだい? また女を引っかけてきたのか?」
梟の表情が心なしかいやらしい顔になったのを、マリーは見逃さなかった。
「まぁ、そんな所だね」
ヨハンは会話を軽くいなした。
「やるねぇ。おっと、もう行もうかないと。今大忙しなんだ」
「わざわざすまない。またなダンテ」
梟は忙しなく腕から飛び立ち、また空に戻っていった。
「今のも精霊なの?」
梟の飛んで行った方角を眺めながら、マリーは尋ねた。
「いや、あれはダンテっていう知り合いの“アーティファクト職人”さ」
「アーティファクトって?」
「魔法の道具のことだよ。さっき列車の中で箒を取りだしたアクセサリー――――あれもアーティファクトさ」
マリーは「ああ」と頷いた。
「便利なのね、アーティファクトって。それよりアーティファクト職人はみんな梟なの?」
それを聞いて、ヨハンはくすくすと笑った。
「違うよマリー。あれは梟の体を借りているだけさ」
「梟の体を、そんなことできるの?」
「できるさ、賢い梟となら契約しだいでは体ぐらい貸してくれるよ」
「契約? 梟と契約するの?」
マリーは頭を悩ませながらも、話の内容に興奮していた。
「賢い梟とならね。魔法使いは悪魔とだって契約するさ」
「悪魔、悪魔もいるの?」
マリーの目と口がこれでもかというぐらい大きく開いた。
マリーの瞳はきらきらと輝いていすた。マリーは今朝見知らぬベッドで目が覚めてから、まるで絵本の世界にでも迷い込んでしまったかのようだった。きっと、不思議の国を訪れた女の子もこんな気分だったのだろうと思った。
「いるさ。マリー、君が思っているよりも世界は広いんだ。精霊、悪魔、妖精、妖霊、エルフ、ホビット。それに、ドラゴンだってみんな実在しているんだよ」
「ドラゴンも?」
マリーの大きくなった瞳は、よりいっそうの輝きを増した。今までマリーの頭の中で空想してきた世界がこんなにも見近にあると思うと、マリーの胸は激しく高鳴り、抑えきれないぐらい高まり、わくわくしていた。
しかしマリーはそんな心とは裏腹に、じろりと目を細めて強い口調で言った。
「ところで、いったい私はいつからあなたに引っかけられたわけ?」
「いやっ、あれは言葉のあやさ。聖杯の話をする訳にはいかないだろう」
ヨハンは慌てて言葉を繕った。
「あっそ」
マリーは冷たく言い捨てた。
「ちょっと、前を見てしっかり操縦してくれない? 昨日のような恐ろしい目はもう勘弁よ」
「分かったよ。そんなに怒らなくたって――――」
ヨハンはぶつぶつと文句をたれながら前を向き、細い箒の柄に二本足で立ったまま、安全運転で箒の舵を取った。
ヨハンの背中を眺めているマリーは、言葉とは裏腹に頬を紅潮させて花のような微笑を浮かべていた。
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こちらの物語は、『小説家になろう』に投稿していたものをブログに掲載し直したものです。『小説家になろう』では最終回まで投稿しているので、気になったかたはそちらでもお読みいただけると嬉しいです。