ハッピネス・イズ・ア・ウォーム・ガン
ハッピネス・イズ・ア・ウォーム・ガン
この短編はカクヨム外部企画『にごたん」に参加した際に書いたものです。
『にごたん』に関して詳しく知りたい方はこちらの過去記事をどうぞ!
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ここはクソッタレの戦場だった。
誰も幸せにしたりしない――この世の最悪を全て詰め込んだような光景が目の前に広がっている。
響き渡る銃声。
怒号を放つ爆発。
どこからともなく飛んでくる砲弾。
拭き上がる地面。
鼻をつく血と硝煙と――
死の匂い。
その全てが最悪だった。
この光景の全てが最悪でできていた。
戦場に立っている僕自身も含めて。
僕は銃を両手に持って、必死になって身を屈めている。
まるで生まれたばかりモグラのように、戦闘に介入しないように臆病に身を丸めているだけだった。
僕は戦闘が行われている場所から少し離れた建物の中にいて、時折スコープで戦場を覗き見ていた。
戦場は『橋』だった。
敵にその橋を渡らせてしまえば、僕たちは全滅だった。
この戦闘の目的はただ一つ、敵に橋を渡らせないことだった。
戦場ではクソッタレな仲間たちが、クソッタレな敵と交戦していて、クソみたいな仲間たちは建物や塹壕に隠れて敵を迎え撃ち、敵は橋を後方で陣を敷いて何とか橋を渡る算段をつけていた。
敵は何度も斥候を放って様子を窺い、すでにこちらの陣容や戦術の分析を終えていた。
今も断続的な銃撃戦は続いている。
僕たちを一秒たりとも休ませず、緊張状態に押し込めているのだ。
おそらく、この次の攻撃は今までにないほどの大きなものに――敵の大部隊がいっきに襲い掛かってくるだろう。
弱った小動物の喉元に、腹を空かせた肉食獣が襲い掛かってくるように。
もはや、僕たちの敗北は間違いなかった。
敵の数はおよそ三百。
僕たちは――わずか十六名だった。
こんなもの勝てるわけがない。
そもそも、勝つ必要もない。
僕たちは見方が逃げ切るまでの囮であり――ここで時間稼ぎをするだけの捨て駒だった。
そんなの御免だった。
僕は捨て駒なんかじゃない。
こんなクソッタレどもと一緒に戦って、さらに今戦場から遠ざかっているクソッタレどもを逃がすための囮なんかでもなかった。
僕はこんなところで死ぬために生まれてきたわけじゃないんだ。
スコープで橋を覗いていると――橋の手前のバリケードでライフルを乱射していた味方の兵士が、敵の銃弾にあたって地面に転がった。
目を背けたくなるくらいに赤い血が、埃っぽい地面に広がっていった。
僕はそんな光景を見ても何もせず、ただただ銃を握ったまま、味方の兵士が死に行くのを眺めているだけだった。
地面に倒れている兵士はマミヤだった。
最悪のクソ野郎で、僕が一番気に入らない男だった。
ざまあみろだった。
☆
「おい、お前みたいなもやしが戦場で役に立つのか?」
マミヤと出会ったのは兵舎だった。
兵役招集の手紙を受け取った僕は絶望のままに兵務省で兵役登録をし、配属された兵舎で出会ったのがマミヤだった。
坊主頭で図体がでかく、いかにもバカで軍隊に馴染みそうな男だった。
「うるさいっ。僕は大学の研究員だったんだ。こんなところで人殺しをするために、今まで生きてきたんじゃない」
「おいおい、俺たちは人殺しをするんじゃねえぞ。敵を倒しに行くんだ」
「同じことだろ。人殺しは人殺しだ」
「違うね。見方を守るんだ。そして、この国を守るんだ」
「それが同じだって言ってるんだよ。バカには分らないだろうな」
その答えは言葉ではなく拳で返ってきた。
僕は地面に叩きつけられて何度も殴られた。
「やり返さないのか? ほら、敵に攻撃されてるんだぜ? ほらっ、殴って来いよ。これが戦場だったらお前は死んでるぜ?」
頭に血が上った僕は、奇声上げて敵に向かって拳を振るった。
その後、駆けつけた上官によって僕たちの醜い戦争は終了させられ、僕たちは懲罰房に入れられた。
「ほら見ろ、お前だって戦うべき時は戦うだろ? 戦争だって同じだ。やらなきゃ――やられるだけだぜ?」
「黙ってろクソ野郎」
僕は隣の懲罰房に入った男を一生許さないリストに入れ、いずれ戦場に出たら背中から撃ってやると誓った。
☆
戦況は悪化の一途を辿っていた。
敵の大群はバリケードと共に全身を続け、ハリネズミのような火線をそこら中に撒き散らしている。
僕たちの部隊は少しずつ死傷し、その勢いを失いつつあった。
そして、かろうじて橋を死守しているだけだった。
敵の本隊も橋を渡れていないので、敵も戦略目的を達成してはいなかったが、それは時間の問題だった。
僕はただただ戦場を眺めながら、早くこの戦闘が終わることを祈っていた。
早くこの地獄みたいな時間が過ぎ去ってほしい。
それだけだった。
そして、こんなただ犬死するだけの作戦を立てた中尉を恨んだ。
☆
オダギリ中尉は僕たちの隊を指揮する隊長で、これまで数々の戦場に出た歴戦の武人であり――
英雄だった。
「いいか、貴様ら――貴様らは国家のために尽くし、戦う兵士だ。貴様らが敵を一人倒すごとに、我が国の国民の命が一人救われると知れよ。無駄死にや犬死は許さん。死ぬならば、国家のために死ね」
クソ下らない理論だった。
何が国家だ。
何が国家のために死ねだ。
頭が悪すぎて吐きそうだった。
中尉の訓練は、そのどれもが厳しく過酷だった。
僕は何度も死ぬ思いをした。
その度に、いつかオダギリ中尉に鉛玉を喰らわせてやると誓った。
オダギリ中尉は無口な人で、無愛想な塊だった。笑ったところなんて一度も見たことはないし、昔話をしたことだって一度たりともなかった。
そんな中尉が一度だけ長々と自分の話をしたことがあった。
それは僕たちの部隊が初めて戦場に出て、最初の作戦を成功させた夜のことだった。
支給品の酒を飲んでいると、兵士の一人であるヨモギが酔っぱらって中尉を談笑の中に誘い、中尉から話を聞き出そうとした。
「中尉は何で戦場に出るんですか? 中尉ほどの戦功があれば、もう前線に出なくても十分でしょうに。中尉は我が軍の武神――我が国の英雄ですぜ? まだ武功を立てたいんですか?」
それを聞いていた僕たちは、咄嗟にヤバいと身構えた。間違いなく腕立て伏せと腹筋を五億回はやらされるだろうと覚悟した。
しかし、中尉は酒を飲みながらゆっくりと口を開いた。
「俺の武功など、どれも運が良かっただけだ。俺は武神でもなければ、英雄でもない。俺の作戦で死んだ兵は山ほどいる。お前たちも、いずれその山の一部になる」
僕たちは中尉の言葉に寒気を覚えた。
「お前たちには家族はいるか?」
中尉が尋ねたが、誰も答えなかった。
僕には母と姉がいた。
「俺にはな、誰もおらん。俺は生まれながら孤児だ。友人は全員戦場で死んだ。知り合いもほとんど戦場で死んだ。出世していった戦友たちは、口を揃えて言う。どうして今も前線に出て、ゴミみたいな新兵と一緒に戦うんだと」
中尉はそこまで言うと、少しだけ困ったような顔をした。
「お前たちは一人残らずゴミだ。戦場に出ればたいして役にも立たずに死んでいく役立たずだ。それでもな――俺にとっては家族同然だ」
その言葉に隊の全員が衝撃を受けた。
まさか鬼のオダギリから、家族なんて言葉が出るとは思わなかったからだ。
「軍や隊っていうのは、一つの家族だ。どんなに使えない新兵だろうと、そいつらが無残に死んでいくのは悲しいものだ。俺が前線で出ることで、少しでも役立たの新兵の無駄死にを減らせるのなら、まだまだこんな老いぼれでも役に立つだろう?」
そこまで言うと、中尉は少しばかり話し過ぎたと感じたのか、無言でこの場を離れてしまった。
僕は心の中で――何が家族だと反吐を吐いた。
クソ下らない疑似家族ごっこなんかしてたまるかと、中尉の言葉を吐き捨てた。
翌日、僕たちに待っていたのは腕立て腹筋五億回だった。
☆
戦場はいよいよ混沌としていた。
敵は橋を少しずつ渡りはじめていた。
大きな鉄の塊が橋を横断しようとしており、そのルートを確保するために、敵は死ぬ気で橋に突撃を繰り返した。敵も死にもの狂いだった。
いよいよ痺れを切らせた敵が、大量の物量を投入し始めたのだ。
橋を渡り始めたのは、遠目には鉄も巨像にも見えたが――それは紛れもなく戦車だった。
戦車は長い砲身から砲弾を放って、橋前方のバリケードを吹き飛ばしてしまうと、いよいよ橋を渡りはじめようとした。
砲撃で味方の兵士が五人は死んだ。
みんな死んで当たり前のクソ野郎だった。
戦車の前に出た敵兵士は、その隙に戦車対策で仕掛けたトラップを排除し始めた。
敵が戦車を投入してくることは分っていた。
だた、敵もここで戦車を失うわけにもいかないので、その投入には万全を期してくるだろうことも分っていた。
全ては中尉の作戦通りに進んでいた。
☆
「いいか、貴様らにはここで死んでもらう」
中尉の作戦説明は廃教会で行われた。
ステンドグラスの聖母が僕たち兵士を見ろしていた。どことなく、僕たちを憐れんでいるようにも思えた。
当たり前だ。
人殺しをするクソ野郎共に慈悲の気持ちなんか抱くわけない。
「痺れを切らせた敵は、必ず戦車を投入してくるだろう。橋はちょうど戦車一台分だ。我々は、これを橋の中央で沈黙させる。敵の要はこの戦車であり、戦車が先に進めなければ我が軍の本隊を追うこともできない。つまり、我々は敵が戦車を投入してくるまで必死に耐え抜き、敵が戦車を投入してきたところで全戦力をもって戦車を沈黙させる」
「パブリックエネミ―どもを、ぶちのめすのでありますね?」
ヨモギが虚勢を張ってみせた。
「おうともよ。戦車なんかっという間に沈黙させてみせるぜ」
マミヤがそれに続いた。
僕は頭の中で「馬鹿げている」と叫んでいた。
全滅が前提の作戦なんて作戦じゃない。
こんなものは自殺だ。
僕は自殺をするために生まれてきたんじゃない。
冗談じゃない。
☆
スコープを覗いていた僕は、震える体を押さえつけ、そして両手に持った銃――
スナイパーライフルを構えた。
ここまで必死に自制していたが、僕はようやく自分が引き金を引くべき時が来たことを悟った。
オダギリ中尉の言葉がよみがえる。
「この作戦は、お前が要だ。お前が戦車の周りの敵を排除し、戦車の足を止めろ。それまでは、何があっても銃を撃つな」
僕は言われた通りにクソッタレな敵を打ち抜いていった。
僕の射撃が合図になって、体中に爆薬をまきつけたヨモギと他の兵士がまるで暴走車のように戦車に突撃をしていった。
僕は泣きながら銃を撃ち続けた。
僕の仲間が、僕の家族が死んでいく。
そして、しばらくすれば戦場でただ一人孤立している僕は敵に発見をされ、間違いなく死ぬだろう。
僕たちの隊は全滅するのだ。
それでも、僕たちおかげでもっと大きな家族は助かる。
僕たちは家族を守るために死んでいくのだ。
クソッタレだった。
僕はこんなことのために生まれたんじゃない。
戦場で自殺する為に生きてきたんじゃない。
それでも、クソッタレなほどに光栄だった。
仲間とともに、家族とともに死んでいくのだ。
家族を守るために。
戦車は爆発をして炎上した。
「ああ、こんなクソッタレな銃なんかじゃ誰も幸せになったりしない。でも、僕たちは家族を幸せにするために戦ったんだ」
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