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iの終わりに~25話

第25話 ロンドン橋計画

 

kakuhaji.hateblo.jp

 第一話はこちらから読めます ↑

 

「Project/LondonBridge――それが、私たちが便宜上“サルベージ計画”と読んでいる計画の正式名称だ」

「“ロンドン橋計画”?」

 プロペラの音が響くヘリコプターの狭い機内――ヘッドホンをつけた国会議員は手に持っていた分厚い“印刷物”の束から目を離した、そう説明をした。

「ロンドン橋計画は、当初イデアに沈んだままのアナムネシス・チルドレンの魂を、我々が選定したダイバーによって引き上げさせることを目的として始まった計画だったが――残念ながら思ったような成果は上がらなかった」

「上がらなかった? 計画はこれから始めるんじゃ?」

 僕の戸惑いを嘲るように、国会議員は額に手をついて笑っていたが、笑い声が漏れて来ることはなく、瞳孔の開き切った目は何か危険なものを孕んでさえいた。

 黒い獣が息を潜めているように。

「一つ、無知な坊やに教えておいてあげよう。我々が何かを話す時、それはもう終わっているか、そもそも存在すらしていないかのどちらかなんだよ。我々の話に真実は存在していない。そこに存在しているのは全てを覆いつくす虚構だけだ」

「そんなことに何の意味があるっていうんですか?」

「私は国会議員だ。国家に奉仕するための存在だ。ならばその意味は国益に決まっているじゃあないか? 国家というのは、それそのもが一つの意思をもった獣なんだよ。獣は純粋な本能で活動する。そして適者生存だ。弱い国家は蹂躙され、強い国家に食い荒らされる。ならば、私たちが強い国家をつくらなければならない。そうだろう? その強い国家に、弱い子供は必要ない」

 弱い子供を必要としない世界、国家、そして“大人たち”。

大人たちを見捨てて、新しい世界に羽ばたこうとする“子供たち”。

それぞれが、それぞぞれの考え方や、思想や、行動の極北に立っていた。そして、その場所から一歩も動くことなく、自分たちと相容れず、理解できないと決めつけた他者と隔たったまま、その彼岸から歩み寄ろうとすらせずにいる。

 そんな世界は、やっぱりひどく間違っているような気がした。

「しかし、ロンドン橋計画を実行して何度ダイバーをイデアの中に送ろうとも、イデアに沈んだ子供たちが現実に還って来ることはなく、それどころかこちらのダイバーが再びイデアの中に沈む始末。そこで私たちは視点を変えることにした――“怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ”」

フリードリヒ・ニーチェ――『善悪の彼岸』」

“視点の変える”と国会議員は言った。

 その言葉がひどく核心的に――何かに突き刺さるように響いた。

 だけど僕は引用された言葉の陳腐さに嫌気がさして、思わず口を挟んでしまった。一体どれだけの人がこの言葉を引用したのだろう? そんなことを思った。

「少しばかり手垢がつきすぎた言葉を使ってしまったかな? 私としたことが、こんな坊やに引用元を見透かされるなんて――滑稽にもほどがある」

 国会議員はことさら楽しそうな調子を浮かべた。そして首を九十度にまげて僕を覗き込んだ。まるで、深淵が僕を覗き込んでいるみたいだった。

 僕はこのままずっと口を閉ざしていたかった。

 だけど、僕は口を閉ざさなかった。

「僕には、あなたがこの問題を、子供たちのことを解決できるとは思えない。あなたは根本的に間違っているんだ。――“たとえ百万年かけたところで、君には世界中にあるファック・ユーの落書きを半分だって消すことはできないんだからさ”」

 僕の言葉を聞いた国会議員は、一瞬、頬を打たれたような空白をつくった。

その後で、顔の筋肉を全てめちゃくちゃな方向に歪めて笑い声を上げた。

それは、本当の笑い声だった。

とても醜くて、悍ましい笑い声った。

 耳を塞ぎたくなるほどに。

 だけど僕は耳を塞がなかった。

「全くもって愉快じゃあないかぁ。こんなに愉快な気分になったのは久しぶりだよ。まさか、この私が“サリンジャー”を引用されかえすなんて、実に滑稽だ。いや、私はそんな時をずっと待っていた。いや、心待ちにしていたんだ。確かに、私には世界中の“ファック・ユー”の半分も消すことはできないだろう。認めよう。私は“けっきょく、世の中の全てが気に入らない”。私には“世界中で起こる何もかもが、インチキに見えてしまうんだよ”――君に妹はいるか? いるなら大切にするといい。全ての兄にとって“フィービー”は特別だ」

 ホールデンの妹のフィービーを思い出しながら――僕は、僕の背中を押してくれたハルカのことを思い出した。

「私も昔は思ったものだ――“ライ麦畑のつかまえやく、そういったものにぼくはなりたいんだ”と。だけど、なれなかった。ホールデンが間違っていたように、私も間違っていたんだ」

 うつむき、しわがれた声を上げた国会議員がとても悲しげに見えた。なぜか、僕と国会議員の間には、何一つ隔てるものがないような気がした――僕たちは同じ此岸に立っている、そんなことを思った。

 だけど、勢いよく頭を上げた国会議員の顔は、顔の筋肉の全てがめちゃくちゃな方向に歪んだ――悍ましい笑顔だった。

「冗談だよ。もの悲しそうな顔をして、全く滑稽じゃないか。先ほど言ったばかりだろう? 我々に真実は存在していないと。物語などもれなく全て紙屑だ。大人に物語は必要ない。我々に必要なのは現実だけ。虚構など現実一つで十分なんだよ。さて、そろそろ本題に戻ろう」

 国会議員は表情を風が吹けば消えてしまいそうな、記憶に残らないものに変えて先を続けた。先ほどまでの笑顔を、僕はもう思い出せなくなっていた。

「“視点を変える”。つまり我々は一つ一つ“ファック・ユー”を消していくことをやめたわけだ。そんなことをしていても意味はないと思い至ったんだよ。“ファック・ユー”を書く場所そのものを壊してしまえばいい――そういう結論に行きついたんだよ」

「一体、何を壊すって言うんだ」

 何だか、ひどく嫌な予感がした。

 僕は目を閉じてしまって、それを見つめたくないと思った。

 だけど、僕は目を閉じなかった。

 黒い獣は笑っている。

イデアそのものだよ。子供たちから逃げ場を奪ってしまえば、子供たちは嫌でも現実を直視せざるを得ない。おもちゃ箱をひっくり返して、中に入っていたおもちゃを全て踏み潰す。いや、おもちゃ箱ごと壊してしまえばいい――我々はそう考えた。名案だろう?」

「そんなことを、どうやって?」

 僕は戸惑った。

 イデアを壊す? そんなことは絶対に不可能だった。

 イデアの中に入ることができなければ、イデアに手を出すことはできない。

それじゃあ壊すどころか、干渉することすらできないはずなのに――それなのになぜか、この黒い獣ならそれができるような気がした。

「樽いっぱいのワインにスプーン一杯の汚水を入れても、それは汚水である――ひどくつまらない喩え話だが意味が分かるか?」

 僕は混乱していた。

「先ほど私が引用した言葉を思い出すといい――“怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ”。つまり、深淵がのぞいているのなら、こちらから怪物を送り込んでやればいいという訳だよ。簡単な話じゃあないか? スプーン一杯の汚水をイデアに入れる――怪物をイデアという深淵に送ってやるんだよ。愉快だろう?」

 汚れた井戸の中身をぶちまけたみたいに、底抜けに楽しげな調子でそう告げた国会議員の言葉の意味が、僕にはまだ理解できいなかった。

何となく、それがとてもよくない何か――僕にとってとても重大な何かだと気がついていたけれど、まだその形は不確かで曖昧だった。

暗闇の中、手探りでその形を確かめているみたいに。

「“ノクトレプシー”。抑圧された感情や、過去の心的外傷によって“悪夢”しか見ることができない“現代病”の一種だ。まぁ、それほど害のある病ではないのであまり問題にはされてこなかったが、これがアナムネシス・チルドレンの場合だと少しだけ話が別になってくる」

「“ノクトレプシー”、悪夢しか見ることができない病気?」

 汚水をイデアに流し込む? 僕は、まさかと国会議員を睨み付けた。

 国会議員は共犯者めかせた瞳で僕を眺めた。

 その時、ヘリコプターの機内にノイズの交じった声が響いた。

それは僕の良く知っている声だった。

 

 ――こちら、ハンティングチームよりベルマン。状況終了を報告する。ベイカーのチームが施設内を制圧、オールクリア。ビーバーとバリスターによって子供たちの安全は確保。昏睡状態の児童多数。ハンティングチーク及びブージャムに負傷者は存在せず。バンカーによって対象の確保に成功。ああ、それと、賭けは私の勝ちだったようね? 希望はやってきた。

 

「どうやら、先行している捜査官たちの作戦行動もちょうど終わりを迎えたらしい。それに、そろそろ目的の場所に到着する――さて、この話の続きはもう一人の役者を迎えてからだ。まずは終幕の舞台に降り立とう」

 あの図書館の司書室の扉を開き、何も知らされぬまま、何一つ尋ねないまま――この国会議員に先導されてここまで来た。“黒兎に会いたければ、黙ってこれに乗れ”と言われて離陸したヘリコプターが、ゆっくりと着陸行動に移った。

 そして、終幕と呼ばれた舞台に降り立った。

「さぁ、私たちは楽しい“スナーク狩り”を観劇するとしよう。そして、白兎――君には“深淵”を、“この世の全ての悪夢”を見てもらおうじゃあないか」

 

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