青い春をかける少女~10話
10 私はわたあめ
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「そりゃ、ハルが悪いでしょ? そのハルキさんも、夏緒さんも、ハルのお父さんとお母さんも、みんなハルのことが心配なんだからさ」
「わかってるよー」
ハニーの指摘に私は悲鳴のような声を上げた。
「でも、みんなしていっぺんに受験の話をもちだすことないじゃん? こんなの陰謀だよ……」
「いつまでも糸の切れた風船みたいなハルを見て、ついに痺れを切らしたっていうのが正解だと思うけどね」
ハニーがポテトをつまみながら言う。
アイリーンはとくに興味もなさそうにシェイクをすすっていた。
私たち〝南方郵便機〟の三人は、駅前のハンバーガー・ショップにいた。
ハニーは黄色のキャミソールにデニムのショートパンツ。アイリーンは丈の短い黒のワンピースに黒いストッキング。私はやる気のTシャツにジャージ姿。今日のファッションチェック終了。
私の向かいにはハニーとアイリーンが座っていて、私の隣の席にはサックス・バックが置いてある。四人掛けのテーブルには私のギターと、ハニーのベースがケースに入って立てかけられて、アイリーンのバックの隙間からはドラムのスティックが顔を出している。
六時間ぶっ続けのバンド練習を貸しスタジオで終えた後、ガールズ・トークに花を咲かせるために訪れたハンバーガー・ショップでの会話では、私の思惑を見事に外れて受験トークになっていた。
私はチーズバーガーをやけ食いした。
「でもさー、私の成績が下がったわけじゃないんだよ? 今までの成績は……なんとかキープできてるし」
「ハルの成績なんて、そもそも落ちこぼれって言われないギリギリのラインの、ほんの少しだけ内側にいたってだけの話でしょ?」
「アイリーン……それはもう少しオブラートに包んでほしかった」
手厳しすぎるアイリーンの言葉に、私は胸を抑えて苦しむふりをした。
短い髪の毛を綺麗に揃えた藍原凛ことアイリーンが切れ長の瞳で私を見て、形の良い唇を残酷に動かす。
「いい、ハル? この時期に成績が横這いってことは、相対的に見れば下がっているって事と同じなのよ」
「えー、どうして?」
「受験っていうのは一種の競争よ。相手がいるの」
「うん」
「この時期、ほぼ全ての学生は少しで成績を上げようって必死に勉強してる。要するに、ハルの競争相手は日々学力を上げてるの。ハルだけがその場所で立ち止まっていたら、それは結果下がっているってことと同じでしょ?」
「そっか……競争かあ。受験戦争っていうもんね?」
「そういうこと。明確に勝者と敗者に別れるの」
「で、私は今のところ落ちこぼれのぎりぎり手前にいると」
「ってことはさー、ハルより成績が悪い私は間違いなく落ちこぼれってこと? 衝撃の事実なんだけど」
ハニーが驚いたように言ってみせた。
「あら、今頃気がついたの? とっくに気がついていると思って、あえて指摘しなかったんだけど」
「うわー、だったら知らずに卒業したかったー」
ハニーはあからさまに落ち込んだふりをした。
きっと、私に気を使ってくれたんだ。
「まぁ、私はいいけどね。初めから二人が落ちこぼれと、落ちこぼれ予備軍だと思って付き合っているし」
「なんとかリンをこっちの勢力に引きずり込めないか、二人で考える必要があるみたいね」
「今からじゃ手遅れだと思うわ。あと三年早かったら、私も二人の仲間になっていたと思う。仲良しトリオになれなくて残念」
「何それ、私たちの学力が小学生並ってこと?」
「正確には、小学六年生頃の私の学力ってことよ」
アイリーンが静かに微笑んだ。
完全に勝ち誇っていた。
そりゃ学年トップクラスのアイリーンには敵わないよ。
「ねぇ、アイリーンは……私たちとバンドをやっていて大丈夫? お父さんとかお母さんに何も言われない? 成績が下がったりしてない?」
私の問いにアイリーンは素っ頓狂な顔した。あまり表情の変わらない彼女からすれば、それは珍しい部類の表情だった。
たぶん、私に心配されたことが驚きだったんだと思う。
そんな場合じゃないだろうって。
「学力のことなら、むしろ上がっているから心配ないわ」
「うわ、いやみー」
ハニーが合いの手を入れた。
「両親のことは……そうね、むしろ安心してるみたい」
「あんしん? どうして?」
私は尋ねた。
「恥ずかしいんだけど……私、今まで本当に勉強ばっかりだったから、習い事とか一切してこなかったの。趣味って呼べるものもなかったし。だから私が友達と楽器はじめたことが、私の両親にとっては嬉しかったんだと思うわ」
アイリーンは表情には出さなかったけど、どことなく気恥ずかしそうだった。
「それで、私がぼそっと〝家でもドラムを練習したいな〟って言ったら、父親がドラム・セットを買ってくれて、先週から家でも練習しているの」
「えー、すごーい」
私は大声を上げて驚いた。
だってドラム・セットものすごく高いのに。
素敵なお父さん。
「私が参考書以外の物をねだったのが初めてだったから、ふんぱつしてくれたみたいね。でもパパがボーナスをつぎ込んだって言った時は、さすがに驚いたわ」
「へぇ、パパ。パパですか?」
ハニーはアイリーンが父親を〝パパ〟と呼んだことを目ざとく嗅ぎつけ、それを指摘した。
その表情はすごく嗜虐的だった。先ほどの仕返しをする絶好の機会を得たことをよろこんでいた。
「藍原さんのお宅では、両親を、パパ、ママと呼ぶんですか? 藍原さんのお宅では小学六年生の頃から時間が進んでいないたいですね」
アイリーンの白い陶器みたいな顔が、ボンと音を立てて赤くなった。
「……それが?」
「平静ぶったってダメだからね。リン、顔が赤くなってるぞー」
「ふん、好きなだけいいなさい。事実、私はパパとママって呼んでるんだから。ああ、パパ、ママ、二人とも大好きよ」
その開き直りに、私とハニーはころころと笑った。
「はぁ、でもよかったー。アイリーンの成績が下がったりご両親に心配させたりしてなくて」
「私は大丈夫よ。でも心配してくれてありがとう」
アイリーンは小さく微笑んだ。その笑みは深窓の令嬢的な微笑で私は少しどきりとした。
ほんと、たまに見せくれる笑顔がうれしいんだ、これが。
「私、今日一緒に練習をしてみて、アイリーンのドラムがすごく上手くなっているからびっくりしてたんだー」
「たしかに。楽器をはじめたのは私たちの中で一番最後なはずだったのに、私よりミスが少なかったし」
「ミツはケアレスミスが多すぎよ。あとリズム隊のなのに先走り過ぎ。ハルの演奏にもってかれてる」
「だってー、ハルがのってくると私もすごく気分がよくなるんだもん。これがハルのよく言う〝グルーブ感〟とか〝スイング〟って奴でしょ?」
「うん。たぶんそうだと思うよ」
「そのグルーブ感とスイングって明確にはどういう意味なの? ちょっと調べてもよくわかなかったのよ」
「考えるな感じろってことでしょ? がり勉は直ぐに知識に頼ろうとするんだから」
アイリーンの疑問にハニーが答える。
「そんなわけないでしょ」
アイリーンが冷静に指摘した。
「でもね、あながち間違いってわけじゃないの」
私はグルーブ感とスイングについて説明をはじめた。
「もちろん、人それぞれの定義みたいなものはあるし、楽譜を使って説明もできるんだけどね、一番大事なのは自分の気持ちでグルーブ感を理解することなの。みんなの音がね、深いところで合わさって、みんなで同じリズムをきざんでいるって感じ。なにかが一体になっていく〝うねり〟が、グルーブ感。もちろん一人で演奏してても感じられるよ。楽器と自分のリズムがね、ピタッと合わさる感じで、音が〝うねる〟の。楽器と気持ちが繋がっているって感じ。演奏がグルーブしだすとね、自然と音楽がスイングしてくるの」
「またメルヘンになってきたー。私一人で理解するのは難しそう」
「不覚にも……ミツに同意ね」
「うーん? 私もちゃんとわかってるわけじゃないし、ハルキさん曰く、自分が演奏とか音楽にノっているって思ったら、それはグルーブ感があるってことだし、スイングしているってことだよって言ってた」
私はハルキさんの言葉を思い出して言った。
「でも、最高のグルーブ感やスイングは、その感覚を観客とも共有できることなんだって。演奏者と観客のリズムがぴたってあわさると最高のうねりが――グルーブ感や、スイングがうまれるんだって。音楽にの中にある〝なにか〟。なくてはいけない〝なにか〟。〝サムシングエルス〟。まぁ、私の説明もほとんどハルキさんの受け売りなんだけどね」
私は自分で言いながらよく分からなくなってきた。
「私もハルと演奏してるときはノッてる。グルーブしてスイングしてるって思う。今日の〝Moanin'〟は最高だった」
「うん、そうだよ。きっと私たちスイングしてるよ」
私は嬉しくなって同意した。
「私もそれには賛成票をいれとく」
私たち三人は顔を見合わせて笑った。
「そう言えばセット・リストなんだけど……ボーカル曲を一曲くらい入れたほうがよくないかしら?」
「私もそう思ってたんだよね。やっぱ歌がないと寂しいっていうか、インストだけじゃものたりない感じするし」
アイリーンが提案して、ハニーが頷いた。
「ボーカル曲かー? 私はそんなふうに思ったことないけど一曲くらいあったら面白いし、ステージがは華やぐかもね。でも誰が歌うの?」
「ハルでしょ」
「ハルよ」
二人の声がハモった。
私はびっくりした。
「……えー、ムリムリムリムリムリ。ムリだよー」
「でも、ハルの他に演奏しながら歌えないし」
「ドラムの私は初めから除外でしょ」
「私だって演奏で精一杯。ベース弾きながら歌えないし」
「私だってサックス吹きながら無理だよー」
「キーボード曲か、ギター曲で歌えばいいんじゃないかしら?」
私はギクとたじろいだ。
私たち〝南方郵便機〟のジャズ・トリオは、〝フロント〟――つまりメロディを演奏する私が、サックス、キーボード、ギターと三つの楽器を演奏し分ける変則的な構成になっている。普通のジャズ・トリオというと、フロント担当するメロディ楽器と、バック、つまりリズム・セッションを担当するドラムやベースなどのリズム楽器の構成になっていて、メロディを演奏する演奏者がころころと楽器を変えたりはしない。
だからピアノならピアノ・トリオと呼ばれ、サックならサックス・トリオ、ギターならギター・トリオと呼ばれる。
私たち〝南方郵便機〟がこんなヘンテコなトリオ構成になっているのは、私がせっかくなら習った楽器を全部演奏したいという簡単な理由。
ハルキさんや夏緒さんに教わった楽器を、ぜんぶ演奏する姿を見てもらいたいから。
「でも無理だよー。私歌なんてうまくないし。恥ずかしいよー」
「人前で楽器演奏するんだから恥ずかしいもないでしょ?」
「それとこれは別問題だよ」
「てかハル、あんたいつも小さく歌いながら演奏してるじゃん。それに私さ、カラオケで聴くハルの歌声好きだよ」
ハニーが言う。
「でも私、ジュリー・ロンドンみたいにハスキーでスモーキーな声でないし。なんか私の声ってふわふわしてるっていうか、ふにゃふにゃしててさ、ジャズ向きじゃないよ。やっぱりムリだよー」
「ハルは、青瀬春でしょ。無理してジュリー・ロンドンみたいに歌わなくていいわよ。ハルの歌いたいように歌えばいいのよ」
「……そうだけどー」
アイリーンにぴしゃりと言われて私はしぶしぶ同意した。
「でもせっかくならさ、歌詞を和訳っていうか日本語にして歌ったらおもしろいんじゃない?」
「日本語? 和訳? どうやって?」
ハニーの提案に私は首を傾げた。
「いや……それは分からないけど」
ハニーは首を傾げて続ける。
「ハル、詩とか書くの得意じゃん? 何だっけ? ずいぶん前に私に見せくれた詩。〝私はわたあめ〟だっけ?」
「ぎゃー」
私は突然に思い出させられた自家製ポエムの恥ずかしさに耐え切れずに叫んだ。ここが公共の場であり、町のハンバーガー・ショップであることも忘れて、大声で悲鳴を上げた。
「他にもさ、〝ラムネ色の季節〟とか、〝あいあい傘〟、〝後ろの席〟とかあったじゃん」
「やめてやめてやめてやめてー。そんなの思い出させないでよー」
「何それ? 私も読んでみたい」
アイリーンが興味津々に悶えている私を見た。
中学生に上がった頃から、私には詩をたしたためる癖ができた。思いつたことを何でもノートや日記、時には手のひらに書きとめて、後で詩にして残しておくのだ。
しかも、あの頃の私は詩がたくさんできたら詩集にして、それをどこかの出版社に送ろうと目論んでいて、私は今その目論見が成功しなかったことを心から喜んでいる。
〝私はわたあめ〟は、〝マザーグース〟の詩集を初めて読んだ私が、感激のあまり書き殴ったへっぽこな詩で、完膚なきまでにマザーグースの〝男の子って何でできているの?〟のパロディだった。
女の子って何でできてるの?
女の子って何でできてるの?
砂糖とスパイス
そして素敵なものすべて
そういうものでできてるよ
その詩のあまりの可愛らしさに深すぎる感銘を覚えた私は、私自身を〝わたあめ〟に喩えるという暴挙をもってマザーグースをオマージュした。
そんなへっぽこすぎる私のポエムが、封印した引き出しの中に百篇くらい眠っている。折に触れてそれを読み返すたびに、私は枕に顔を埋めて悶えている。
「もう勘弁してよー。ハニー何で言うの? 詩の話はぜったいに内緒って言ったでしょ」
「ごめん、ごめん」
ハニーはけらけら笑いながらあやまった。
ぜんぜん反省していない。
「でも私、ハルの詩とか物語のファンだからさ。恥ずかしくて死にそうになるんだけど、なんか読んじゃうんだよね。きっとそれだけ魅力的ってことだって」
「物語って……何?」
アイリーンが私を見て言った。
「ハニーっ」
私は大声を上げてハニーを睨んだ。
その後、私はアイリーンに私の壮大な処女作の話をして恥を晒し、さらに私が今までしたためた詩の話をして恥の上塗りをした。全てを話し終える頃には、私は体中から嫌な汗をかいて悶絶していた。
虫の息。
結局、私たち〝南方郵便機〟はボーカル曲を演奏することで決まり、その選曲は不本意ながらシンガーに任命された私に任された。
歌詞を日本語にするかどうかも私に一任された。
二人は〝悶え死ぬほどに恥ずかしい歌詞を楽しみにしている〟と意地悪を言って帰っていった。
帰り道、私は月を見上げながら詩を考えていた。
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