私の短い逃避行が終わりを告げた日から、私はずいぶんと長い時間を“夜間飛行”で過ごしてきた。
私がハルキさんにサックスを習い始めると、他の演奏家の人たちも自分の楽器を教えてあげようと親切に申し出てくれた。
私は“そんなにいっぺんには覚えられません”と、残念ながらお断りしたけれど、“夜間飛行”に通っているうちに、もう一人の従業員である夏緒さんが弾いているギターに興味をもって、それを教えてもらうようになった。
「ギター弾いてみたい?」
私が頷くと、夏緒さんはアコースティック・ギターを私に持たせてくれて、コードの押さえ方を教えてくれた。
初めは“Cコード”だった。
それは直ぐに押さえられた。
「うまいね」と褒めてもらえたことが嬉しくて、私は早く「次のコード。次のコード」とせがんだ。
壁にぶつかったのは“F”のコードだった。
私の小さな指で押さえるのはなかなか難しかったけれど、私は毎日毎日そのコードの押さえ方を練習して、なんとかFの音を出せるようになった。もともとピアノをやっていたおかげで私の指は柔らかかったし、よく回った。
いくつかのコードが弾けるようになると、私はコードを繋げてメロディを演奏できるようになり、ジャズで定番のコード進行やよく使うスケール、かっこいいソロの弾きかたを教わった。
そうして私が初めて演奏できるようになった曲は、“Why Was I Born”――
“どうして私はうまれてきたの”という、素敵なタイトルの曲だった。
この曲を演奏できるようになるために、私はサックスとギターのシンプルなセッションで演奏されるけケニー・ヴァレルとジョン・コルトレーンの“Why Was I Born”を、飽きることなく何百回と聞き続けた。
ジャズ・シンガーのエラ・フィッツジェラルドが歌う“Why Was I Born”も素敵で、私のマイフェイバリットの一つ。
エラだったら“How High The Moon”――
“なんて高い月なの”もはずせない。
私は三ヶ月ほど練習して、サックスとギターで“Why Was I Born”を弾けるようになった。
そして、この曲は――私と夏緒さんとハルキさんの三人で初めてセッションした思い出の曲になった。
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