マリーと魔法使いヨハン33話
033 僕は、なんて愚かなんだろう
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マリーは、今――――町を見渡し、一望できる丘の上にいた。
どうやってここまで来たのかはマリーにも分からず、気がつくとこの丘を登る石ころだらけの道を、たださ迷うように歩いていた。
丘の上から空を見渡すと、空に淀 む暗い鉛色の雲は町を飲み込むように広がり、王都の町をすっぽりと包み込んでいた。
こんな日でなかったら、この王都の町並みはとびっきり美しいはずなのに、マリーはふとそんなことを考え――――しかし、今の自分にはこの景色のほうがお似合いだと、マリーは自嘲気味に心の中で呟いた。
マリーは、丘の頂きに悠然 と聳 え立つ大樹にもたれるように背中をついて、そのまま大木の下にぐったりと座り込んだ。木の下は、大木が広げた枝の大き傘のおかげで幾分か雨をしのぐことができた。
マリーは痛みだした左足に目を向ける。ズキズキと痛み、傷口から流れる真っ赤な血を見て、マリーは身体 を震わせた。そして体中びしょ濡れで、急速に下がっていく体温のせいで震えは激しさを増していった。雨露を拭 く物が何もないマリーは手のひらで顔を拭 い、冷えた体を暖めようと体を摩 りながら、体を丸めて小さくなった。
そろそろ太陽も落ちる時間――――辺りが暗くなるのと平行して、気温もどんどんと下がっていった。
大木にもたれながら、マリーは町を見渡す。
マリーは無意識にヨハンのアジトを探していた。
見つかるはずもなかった。
壮大な景色を前にして、マリーは―――――自分はなんて小さいんだろう、そんなことを考えていた。町の中心には背の高い建物が並び、その中心には大きな円蓋の建物が、この大木と同じように厳かに建っていいる。
マリーは虚ろな意識の中で、今日までの思い出が陽炎 のように揺らめきながら、頭の中を巡っていた。
母との思いで。
ボロニアの景色。
母の死。
オベリアル卿の館で働いていた頃。
住みにくい宿舎。
空から降って来た光る石と少年。
箒で空を駆け回り、死ぬ程怖かった逃走劇。
初めて乗った列車。
失礼な魔法使いと礼儀正しい猫。
初めて見る王都の町並み。
初めてもらったプレゼントの数々。
トールワーカーズの気のいい仲間たち。
国家魔法使いのアンセム。
アレクシア姫。
お姉さんのようなドロシー。
そして、失礼で、傲慢で、嫌みで、自信に溢れてて、お金に無頓着で、自身に満ち溢れた凄腕の魔法使い――――でも心配症で、優しくて、頼もしい、そんな魔法使い。
ヨハンと出会ってからの日々は、見る物、触れる物の全てが、マリーの知らない世界だった。
今まで自分が生きて来た世界が、どれほど小さかったかをマリーは思い知りました。
「世界はマリーが思っているよりも遥かに広い」
時計の秒針のようにゆっくりと時を刻んできた今までの人生を思い出しながら、こんなにも傷つき、こんなにも荒 んだ心なのに、マリーの心には穏やかな風が吹いてた。
そして今、水たまりの上を撥 ねながら全力で走ってくるヨハンを、マリーはどうしてか愛おしそうに見つめていた。
ようやくマリーを見つけたヨハンは、一目散にマリーの元まで向かって行った。空からは黒い鳥のようなものが降りてきて、ヨハンの手の中でそっと消えた。
ヨハンはマリーから少し離れた所で止まり、大きく息をついた後、安堵と不安の表情を浮かべた。体中びしょ濡れで、足元は泥だらけ。
その青ざめた顔にはいつも余裕など微塵もなかった。
そんな少年の姿をマリーは真っ直ぐに見つめていた。
「マリー」
ヨハンがマリーの名前を呼んでも、マリーは答えなかった。
ヨハンが一歩踏み出し、マリーに近づこうとすると――――
「来ないでっ」
マリーは言いました。
「話があるならそこでして」
痛む心を必至に押さえつけて、マリーは声を張り上げた。
それを聞いたヨハンは息を飲み、俯いたまま何も喋らずに黙っていた。
暫く、二人の間には雨の音だけが響き渡った。
マリーも口を閉ざしたまま、ヨハンをじっと見つめていた。
お互いの胸のうちを推し量り、お互いの胸のうちを確かめ合うように。
そして僅かな時間が流れた後、ヨハンはマリーを真っすぐ見つめ直して口を開いた。
「昔、一人の男の子がいたんだ――――」
昔話を語るように言葉を紡ぎ、ヨハンはゆっくりと語り始める。
「自分が誰なのか、どこにいるのかも理解できない、産まれて間もない男の子の赤子だった」
過去を思い起こすように、ゆっくりと言葉をなぞるヨハンの意識は、ここにではないどこか遠くにあるようだったけえど、しかしその言葉と心は、しっかりとマリーに向けられ、注がれていた。
マリーもヨハンの言葉に真剣に耳を傾けていた。
「男の子は揺り籠の中に入れられ、一人海の上を漂流していたんだ。何故かは分からないけど、男の子の揺り籠には強い魔法がかけられていて、幸い海に飲まれることも、餓死することもなく、男の子は無事に海を渡ることができた。そして海を越えた男の子は、一人の女性に拾われた」
ヨハンは言葉をいったん止めた後、再び口を開いた。
「その女性は魔女だった。齢九十歳を越えた老婆の魔女。その魔女は男の子の持っている魔力に気づき、男の子を拾い育てると共に、自分の弟子として魔法を教えることにした。男の子は魔女に育てられ、魔女を先生と慕い成長していった。母や父の顔を知らず、なぜ自分が捨てられたのかも分からないまま、少年は魔法使いになり――――いずれ少年は師の元を離れ、世界に飛び出した。まだ見ぬ世界を見るため――――この世の理を知るために」
「――――ヨハン、もしかして?」
驚愕の表情を浮かべたマリーは、ヨハンを見つめながらよろよろと立ち上がった。
「ああ。そして魔法使いは、あの満月の夜―――――君に出会った」
ヨハンは頷いた。
「ぜんぶ、初めに話しておくべきだったんだ。本当なら、マリーの痛みを一番理解してるのは僕のはずなのに――――」
マリーは信じられないと大きく頭を振った。
「だって、ヨハン――――貴族の息子だって、家を追い出されたって、私が聞いたら?」
「あの時は、ああ言うしかなかったんだ。真実を告げる勇気が、なかったんだ――――」
ヨハンはどこか辛そうに、怯えたように言葉を続ける。
その顔はヨハンを拒絶したマリーの表情にとても似ていた。
双子のように。
「僕は、いつも一人だった。古い魔女の弟子は、人前に姿を現してはいけない決まりがあった。だから、僕と先生は森の奥深くで暮らさなきゃいけなかった。だから、僕には友達はおろか――――他人とまともに会話したことすらなかったんだ」
ヨハンは視線をマリーから外し、苦しそうに言葉を続けた。
「でも、先生との暮らしから逃げ出したい思ったことはなかった。先生はとても優しくて思いやりのある人だったし、いつも僕を気にかけてくれていた。先生のことを心から尊敬しているし、魔法を教わることは何よりも楽しかった。だけど――――」
震えていくヨハンの声は、雨音でかき消されそうなほど小さくなった。
マリーはヨハンの目の前まで、ゆっくりと足を進めて行った。
「だけど、ぼくは孤独だったのかもしれない。ずっと寂しかったのかもしれないな? ずっと目を背けていたのかも――――」
ヨハンは拳を強く握り、震える足は今にも崩れそうだった。
「本当は、マリーの痛みに気づいていたのに、僕にはどうすることもできなかったんだ。たとえ魔法が上手く使えて、どんなに自分を着飾ろうとも、僕は自分を語る言葉を知らないんだ。この世の理を知るなんて偉そうな事を言っておきながら、君の痛みすら分からないんだ―――――僕は、なんて愚かなんだろう」
激しく雨に打たれていても、今ヨハンが泣いていることが、マリーには痛いほど分かった。
ヨハンが深い孤独を感じていることも、マリーには痛いほど理解できた。
マリーは何も言わず、ただヨハンに寄り添った。
そして優しく少年の頭を撫でると、ヨハンを自分の胸の中に受け入れた。
マリーも泣いていました。
でも、心が痛かったからでも、足が痛かったからでもなかった。
心が溢れていたから。
「マリー、ごめん」
ヨハンの声に、マリーは小さく首を横に振りました。
「いいの、もうそんなこと――――」
大粒の涙をこぼし続けるマリーは優しく告げて――――
ヨハンはマリーの腕の中で、小さな子供のように頷いた。
どうやってここまで来たのかはマリーにも分からず、気がつくとこの丘を登る石ころだらけの道を、たださ迷うように歩いていた。
丘の上から空を見渡すと、空に
こんな日でなかったら、この王都の町並みはとびっきり美しいはずなのに、マリーはふとそんなことを考え――――しかし、今の自分にはこの景色のほうがお似合いだと、マリーは自嘲気味に心の中で呟いた。
マリーは、丘の頂きに
マリーは痛みだした左足に目を向ける。ズキズキと痛み、傷口から流れる真っ赤な血を見て、マリーは
そろそろ太陽も落ちる時間――――辺りが暗くなるのと平行して、気温もどんどんと下がっていった。
大木にもたれながら、マリーは町を見渡す。
マリーは無意識にヨハンのアジトを探していた。
見つかるはずもなかった。
壮大な景色を前にして、マリーは―――――自分はなんて小さいんだろう、そんなことを考えていた。町の中心には背の高い建物が並び、その中心には大きな円蓋の建物が、この大木と同じように厳かに建っていいる。
マリーは虚ろな意識の中で、今日までの思い出が
母との思いで。
ボロニアの景色。
母の死。
オベリアル卿の館で働いていた頃。
住みにくい宿舎。
空から降って来た光る石と少年。
箒で空を駆け回り、死ぬ程怖かった逃走劇。
初めて乗った列車。
失礼な魔法使いと礼儀正しい猫。
初めて見る王都の町並み。
初めてもらったプレゼントの数々。
トールワーカーズの気のいい仲間たち。
国家魔法使いのアンセム。
アレクシア姫。
お姉さんのようなドロシー。
そして、失礼で、傲慢で、嫌みで、自信に溢れてて、お金に無頓着で、自身に満ち溢れた凄腕の魔法使い――――でも心配症で、優しくて、頼もしい、そんな魔法使い。
ヨハンと出会ってからの日々は、見る物、触れる物の全てが、マリーの知らない世界だった。
今まで自分が生きて来た世界が、どれほど小さかったかをマリーは思い知りました。
「世界はマリーが思っているよりも遥かに広い」
時計の秒針のようにゆっくりと時を刻んできた今までの人生を思い出しながら、こんなにも傷つき、こんなにも
そして今、水たまりの上を
ようやくマリーを見つけたヨハンは、一目散にマリーの元まで向かって行った。空からは黒い鳥のようなものが降りてきて、ヨハンの手の中でそっと消えた。
ヨハンはマリーから少し離れた所で止まり、大きく息をついた後、安堵と不安の表情を浮かべた。体中びしょ濡れで、足元は泥だらけ。
その青ざめた顔にはいつも余裕など微塵もなかった。
そんな少年の姿をマリーは真っ直ぐに見つめていた。
「マリー」
ヨハンがマリーの名前を呼んでも、マリーは答えなかった。
ヨハンが一歩踏み出し、マリーに近づこうとすると――――
「来ないでっ」
マリーは言いました。
「話があるならそこでして」
痛む心を必至に押さえつけて、マリーは声を張り上げた。
それを聞いたヨハンは息を飲み、俯いたまま何も喋らずに黙っていた。
暫く、二人の間には雨の音だけが響き渡った。
マリーも口を閉ざしたまま、ヨハンをじっと見つめていた。
お互いの胸のうちを推し量り、お互いの胸のうちを確かめ合うように。
そして僅かな時間が流れた後、ヨハンはマリーを真っすぐ見つめ直して口を開いた。
「昔、一人の男の子がいたんだ――――」
昔話を語るように言葉を紡ぎ、ヨハンはゆっくりと語り始める。
「自分が誰なのか、どこにいるのかも理解できない、産まれて間もない男の子の赤子だった」
過去を思い起こすように、ゆっくりと言葉をなぞるヨハンの意識は、ここにではないどこか遠くにあるようだったけえど、しかしその言葉と心は、しっかりとマリーに向けられ、注がれていた。
マリーもヨハンの言葉に真剣に耳を傾けていた。
「男の子は揺り籠の中に入れられ、一人海の上を漂流していたんだ。何故かは分からないけど、男の子の揺り籠には強い魔法がかけられていて、幸い海に飲まれることも、餓死することもなく、男の子は無事に海を渡ることができた。そして海を越えた男の子は、一人の女性に拾われた」
ヨハンは言葉をいったん止めた後、再び口を開いた。
「その女性は魔女だった。齢九十歳を越えた老婆の魔女。その魔女は男の子の持っている魔力に気づき、男の子を拾い育てると共に、自分の弟子として魔法を教えることにした。男の子は魔女に育てられ、魔女を先生と慕い成長していった。母や父の顔を知らず、なぜ自分が捨てられたのかも分からないまま、少年は魔法使いになり――――いずれ少年は師の元を離れ、世界に飛び出した。まだ見ぬ世界を見るため――――この世の理を知るために」
「――――ヨハン、もしかして?」
驚愕の表情を浮かべたマリーは、ヨハンを見つめながらよろよろと立ち上がった。
「ああ。そして魔法使いは、あの満月の夜―――――君に出会った」
ヨハンは頷いた。
「ぜんぶ、初めに話しておくべきだったんだ。本当なら、マリーの痛みを一番理解してるのは僕のはずなのに――――」
マリーは信じられないと大きく頭を振った。
「だって、ヨハン――――貴族の息子だって、家を追い出されたって、私が聞いたら?」
「あの時は、ああ言うしかなかったんだ。真実を告げる勇気が、なかったんだ――――」
ヨハンはどこか辛そうに、怯えたように言葉を続ける。
その顔はヨハンを拒絶したマリーの表情にとても似ていた。
双子のように。
「僕は、いつも一人だった。古い魔女の弟子は、人前に姿を現してはいけない決まりがあった。だから、僕と先生は森の奥深くで暮らさなきゃいけなかった。だから、僕には友達はおろか――――他人とまともに会話したことすらなかったんだ」
ヨハンは視線をマリーから外し、苦しそうに言葉を続けた。
「でも、先生との暮らしから逃げ出したい思ったことはなかった。先生はとても優しくて思いやりのある人だったし、いつも僕を気にかけてくれていた。先生のことを心から尊敬しているし、魔法を教わることは何よりも楽しかった。だけど――――」
震えていくヨハンの声は、雨音でかき消されそうなほど小さくなった。
マリーはヨハンの目の前まで、ゆっくりと足を進めて行った。
「だけど、ぼくは孤独だったのかもしれない。ずっと寂しかったのかもしれないな? ずっと目を背けていたのかも――――」
ヨハンは拳を強く握り、震える足は今にも崩れそうだった。
「本当は、マリーの痛みに気づいていたのに、僕にはどうすることもできなかったんだ。たとえ魔法が上手く使えて、どんなに自分を着飾ろうとも、僕は自分を語る言葉を知らないんだ。この世の理を知るなんて偉そうな事を言っておきながら、君の痛みすら分からないんだ―――――僕は、なんて愚かなんだろう」
激しく雨に打たれていても、今ヨハンが泣いていることが、マリーには痛いほど分かった。
ヨハンが深い孤独を感じていることも、マリーには痛いほど理解できた。
マリーは何も言わず、ただヨハンに寄り添った。
そして優しく少年の頭を撫でると、ヨハンを自分の胸の中に受け入れた。
マリーも泣いていました。
でも、心が痛かったからでも、足が痛かったからでもなかった。
心が溢れていたから。
「マリー、ごめん」
ヨハンの声に、マリーは小さく首を横に振りました。
「いいの、もうそんなこと――――」
大粒の涙をこぼし続けるマリーは優しく告げて――――
ヨハンはマリーの腕の中で、小さな子供のように頷いた。
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こちらの物語は、『小説家になろう』に投稿していたものをブログに掲載し直したものです。『小説家になろう』では最終回まで投稿しているので、気になったかたはそちらでもお読みいただけると嬉しいです。