マリーと魔法使いヨハン24話
024 素直になれ
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「本当に少し剥 くぐらいでいいんだよ。僕はこの長くて綺麗な髪の毛が気に入っているんだから」
椅子に座ったヨハンは、首の周りにケープを巻き、不安そうな瞳でマリーを見つめた。
「大丈夫よ。心配しないでじっとしてなさい」
マリーは子供なだめるような口調で言い、振り返ったヨハンの首を正面に戻した。
それからマリーはヨハンの銀色の髪の毛を撫で、毛量を確認してから髪の毛を切り始めた。ロキはその光景を、少し離れた所から微笑ましそうに眺めていた。
髪の毛を切る金属の擦 れる音が聞こえて来ると、ヨハンは今までとは打って変わっておとなしくなり、病院で順番待ちをしている子供のように静かになった。美しい銀色の髪の毛が鳥の羽のようにゆらゆらと床に落ちて行き、今まで不揃いだった髪の毛は徐々に整って行った。
そして時計が半分も回ると銀色の髪の毛は、ヨハンの注文通り長さを残したまま重さがなくなり、とてもすっきりとした髪形になっていた。
「はい、おしまい」
鏡を向けられたヨハンは、鏡に写った顔をじっと眺める。
「どう、これで髪の毛を下ろしていてもみっともなくないわよ」
マリーが尋ねると、ヨハンは鏡越しにマリーを見て――――
「いいね、とてもすっきりしたよ」
と、爽やかな笑みを浮かべてみせた。
ヨハンは機嫌がよく立ち上がり、マリーから鏡を受け取って鏡に写る自分をしげしげと眺めた。
「ところでマリー――――」
ヨハンは、真剣な表情でマリーに尋ねる。
「この鏡に映り美男子は誰だい? マリーの知り合いかな?」
ヨハンの言葉にマリーは呆れて――――
「さぁ、誰でしょうね? どこかの勘違い魔法使いじゃないのかしら?」
それを聞いたヨハンは悪戯っぽい表情を浮かべ、再び鏡の中の自分に視線を向けた。そして鏡の中の自分に満足すると宙で指をパチンと鳴らし、床に落ちた髪の毛に魔法をかける。
ヨハンの指の音を合図に散らかった髪の毛が一か所に纏まり、そのまま宙に浮いて部屋の隅のごみ箱に向かって行った。まるで兵隊の行進のように規則正しい髪の毛の動きを見て、マリーは髪の毛の隊列の後を、自分も行進に加わったように続き、髪の毛が全部ごみ箱に入って行くのを嬉しそうに確かめた。
「マリー、君はきっといい奥さんになるよ。僕はこんなに器量のいい女性を僕は見たことがないね」
ヨハンは他の道具も魔法で片付けてしまうと、再び机の上の本に向かいながら関心したように口を開いた。
それを言われた当のマリーはm“良い奥さんになる”なんて生まれて始めて言われたので、恥ずかしくなり、頬を赤らめて俯いた。
「ねっ、ねえ、その本、いったい何て書いてあるの?」
マリーはそんな気持ちをごまかすように慌てて話を変えた。しかしその表情まではごまかしきれず、マリーの頬は赤らんだままで、そして緩んでしまった自分の顔に、マリーはヨハンが顔をあげないように祈った。
「これかい?」
ヨハンは顔を上げずに、本に顔を落としたまま返答した。そしてヨハンは、本の文字をゆっくりと手でなぞりながら、詩を読み上げるよう叙情的に声を発した。
「“聖杯の乙女”よ――――汝の宿した光りは、暁の輝石、汝が宿された力はこの世の奇跡。天地創造の時より幾千年、移り変わろう世の中で、変わらぬものこそこの世の理、神々の抱擁、彩り始めた大地の高陽、夜明けの明星、共に訪れる大いなる福音、汝、受け止め守り通さん、たとえその身に悲哀の災い訪れようとも、聖母の慈愛は汝の太陽、いつ何時も陰らずに、汝の傍らに輝き続けよう」
「どういう意味?」
マリーには、ヨハンの読んだ本の中身は相変わらずさっぱりだった。
そんな頭を傾げるマリーには目もくれず、ヨハンはページをめくって言葉を続ける。
「汝、聖杯にひざまずけ。その身に宿した宿命と、立てた操に誓いを立てて、神聖不可侵その肌に、そっと触れてみるがいい、もしも汝が邪な、悪魔の囁き振り切るならば、試してみるがいいだろう、夜の深淵よりも静寂で、昼の日だまりよりも尚平穏な、真理と悲愴の口付けを、もしも汝が聖杯に、選ばれし真の者ならば、光りは汝にこの世の真理、望むべき力をもたらさん」
読み終えると、ヨハンは面をあげてマリーに翡翠の瞳を光らせた。
「つまり――――」
ヨハンは人差し指を立てた。
「聖杯は、いついかなる時もその力を失うことがなく、今は聖杯を所有するに相応しいものが現れるのを、マリーの体の中で待っている――――ということさ」
マリーは自分の心臓の辺りをそっとさすってみた。
「そして、聖杯を取り出すには――――」
もったいぶるヨハンに、マリーは瞳を輝かせる。
「文章に書いてある通り――――僕とマリーが口づけをしたら聖杯は姿を現すのかもしれないってことさ」
ヨハンは悪戯っぽい笑顔をつくり、翡翠の瞳で真直ぐにマリーを見つめた。
「おもしろくない冗談ね」
マリーは顔を顰 めて言葉を発しました。
「冗談じゃないかもしれないよ?」
ヨハンは真剣な顔で言う。
「じゃあ、聖杯は一生このままね。もっとマシな方法を考えなさいよ」
「考えてるさ、でも試してみる価値があるかもしれないだろう」
「無いわよ」
マリーは冷たくぴしゃりと言い放った。
その言葉を聞いたヨハンは、意地の悪い笑みを浮かべて本を閉じた。
「しかたないな。もう少し調べてみるよ」
そう言ってヨハンは立ち上がる。
「そうしてちょうだい。あなたはこの町じゃ高名な魔法使いなんでしょ」
ヨハンの背中にマリーは言葉を投げかけた。ヨハンが背中を向けたので、マリーはふと表情を緩めてしまいそうだったが、マリーは高鳴る胸の鼓動を抑えて平静をよそおった。
「相変わらず手厳しいね――――おやっ」
ヨハンは振り向き、扉の方に視線を移しました。
「どうやら来客のようだ」
マリーも扉に視線を移したが、人の気配どころか物音一つしなかった。
扉に視線を釘付けするマリーをよそに、ヨハンは机の本を抱えて二階へと上がって行こうとした。
「マリー、扉を叩く音が聞こえても出なくていいよ。僕が出るから」
そう言って二階へ消えて行くヨハンを、マリーは不思議そうに眺めていた。
「ねぇ、本当なの?」
ヨハンがいなくなると、マリーは少し離れたところで丸まっているロキに尋ねた。
「何がだ?」
ロキはむくっと起き上がり、机の上までやって来た。
「さっきの話よ」
「さっきの話とは?」
「だから聖杯を取り出す方法よ。ロキも聞いていたんでしょ?」
マリーは少し恥ずかしそうに言葉を速めて言った。
「方法とは?」
「もしかしてわざと知らないふりしてるんじゃないでしょうね?」
マリーはじろりとロキを睨みつけた。
「ヨハンとマリーが口付けを交わすという話か?」
「分かってるんじゃない。相変わらず意地悪ね」
それを聞くとロキは、意地が悪そうに目を細めてみせた。
「ねぇ、まさか本当じゃないんでしょ?」
マリーは不安そうに言う。
「さぁ、私も聖杯については全てと言っていいほど何も知らない。しかし――――」
ロキは低く落ち着いた声で言葉を続ける。
「唇を重ねたぐらいで聖杯が姿を現すとは到底思えないがな。あれはヨハンの悪ふざけだろう。マリーが気にする必要は無い」
「別に気にしてないわよ。ただ気になっただけよ」
マリーはすぐに言葉を返した。
「それが気にしてるということじゃないのか?」
ロキの鋭い突っ込みに、マリーは赤らめた顔の前で大きく手を振り、急いで言葉を訂正する。
「違うわよっ。だから、気になったのは聖杯のことじゃなくて、口付けのことで――――あれっ、違う? 気になったのは、口付けのことじゃなくて、聖杯のことで?」
マリーは慌て過ぎて自分が何を言っているのかまるで分からずにいた。マリーは自分の心が乱れていることに気がついておらず、先程の胸の高鳴りもふくめて、自分が何に動揺して、今何をロキに伝えたいのかも分らずにいた。
「大丈夫だ。マリーの言いたいことはだいたい伝わった」
感情の中で溺れているマリーに、ロキが助け舟を渡した。
「本当に?」
マリーは上目使いで恥ずかしそうに尋ねた。
「ああ。と言うよりも、言わなくても分かる。と、言ったほうがいいだろう」
「それ、どういう意味?」
「つまり、私たち精霊や妖霊などは本来言葉を持たない。言葉がない変わりに直接精神に話かける」
「つまりどういうことなの?」
マリーは、ロキの言っている意味がさっぱりだった。
「ヨハンのような魔力を持ったものや、自分の心に鍵をかけられるものは別だが――――ほとんどの場合、私には人間の心の中が見えてしまうということだ。だからマリーの話を聞かずとも、マリーの考えていることや思っていることが分かってしまう」
「心が読めるってこと?」
「読める訳ではないが、だいたい考えてることは伝わるという意味だ。心の中からこぼれ落ちる、感情の欠片のようなもの我々は拾うことができるのだ」
「じゃあ、もしかして?」
マリーの顔色が一瞬にして変わり、驚きと不安の混じった表情でロキを見つめた。
「ああ、今マリーの考えている通りだ」
ロキはマリーの心を読み、言わずとも分かる言葉に頷いた。
「だが、安心しろ。別に私はマリーの考えを、別の人間に告げるようなことはしない。それがヨハンであろうと、他人の心を誰かに告げるのは紳士にあるまじき行為だ」
「本当?」
“安心しろ”――――ロキにそう言われても、どこか不安の消えないマリーは、消えてしまいそうなか細く声でロキに尋ねた。
「ああ、本当だ。約束しよう」
ロキはマリーを安心させるため、出来るだけ優しい口調で答えました。
「ロキがそう言うなら――――信じるわ」
マリーは心の隅に残るわずかな不安を押し込み、ぎこちのない困った笑顔をロキにむけた。そんなマリーの笑顔を見たロキは、マリーに諭すように言葉を紡いだ。
「私が今、マリーに伝えられることがあるとすれば――――それは一つだ」
ロキは言葉を区切り、静かな間をつくった。
それは次に落とす言の葉が、マリーにとってとても大切な一枚であることを示唆するようだった。
「自分に素直になれ」
ロキの言葉の意味が、マリーには十分過ぎるほど分かっていた。
それはマリーの胸の奥、一番無防備な部分、だけどしっかりと鍵をかけた大切な場所を刺激した。今、ズキズキと痛むこの胸に投げ掛けられたロキの言の葉は、マリーの心の中を大きく揺さぶった。そして、マリ
マリーにとって泣きたくなるような言葉――――それでいて背中押してくれるロキの言葉に、マリーは精一杯の言葉を返した。
「ありがとう、ロキ」
ロキはそれ以上何も言わなかった。
その時だった。
部屋の外で何かが止まるような音が部屋に飛び込んで来た。すると部屋の外が何やら騒がしくなり、マリーは扉の外に注意を向けた。
誰かが扉を勢いよく叩く。
マリーはヨハンが言っていたことをすっかり忘れていたので、扉を叩く音を聞いてハっと思い出した。
椅子に座ったヨハンは、首の周りにケープを巻き、不安そうな瞳でマリーを見つめた。
「大丈夫よ。心配しないでじっとしてなさい」
マリーは子供なだめるような口調で言い、振り返ったヨハンの首を正面に戻した。
それからマリーはヨハンの銀色の髪の毛を撫で、毛量を確認してから髪の毛を切り始めた。ロキはその光景を、少し離れた所から微笑ましそうに眺めていた。
髪の毛を切る金属の
そして時計が半分も回ると銀色の髪の毛は、ヨハンの注文通り長さを残したまま重さがなくなり、とてもすっきりとした髪形になっていた。
「はい、おしまい」
鏡を向けられたヨハンは、鏡に写った顔をじっと眺める。
「どう、これで髪の毛を下ろしていてもみっともなくないわよ」
マリーが尋ねると、ヨハンは鏡越しにマリーを見て――――
「いいね、とてもすっきりしたよ」
と、爽やかな笑みを浮かべてみせた。
ヨハンは機嫌がよく立ち上がり、マリーから鏡を受け取って鏡に写る自分をしげしげと眺めた。
「ところでマリー――――」
ヨハンは、真剣な表情でマリーに尋ねる。
「この鏡に映り美男子は誰だい? マリーの知り合いかな?」
ヨハンの言葉にマリーは呆れて――――
「さぁ、誰でしょうね? どこかの勘違い魔法使いじゃないのかしら?」
それを聞いたヨハンは悪戯っぽい表情を浮かべ、再び鏡の中の自分に視線を向けた。そして鏡の中の自分に満足すると宙で指をパチンと鳴らし、床に落ちた髪の毛に魔法をかける。
ヨハンの指の音を合図に散らかった髪の毛が一か所に纏まり、そのまま宙に浮いて部屋の隅のごみ箱に向かって行った。まるで兵隊の行進のように規則正しい髪の毛の動きを見て、マリーは髪の毛の隊列の後を、自分も行進に加わったように続き、髪の毛が全部ごみ箱に入って行くのを嬉しそうに確かめた。
「マリー、君はきっといい奥さんになるよ。僕はこんなに器量のいい女性を僕は見たことがないね」
ヨハンは他の道具も魔法で片付けてしまうと、再び机の上の本に向かいながら関心したように口を開いた。
それを言われた当のマリーはm“良い奥さんになる”なんて生まれて始めて言われたので、恥ずかしくなり、頬を赤らめて俯いた。
「ねっ、ねえ、その本、いったい何て書いてあるの?」
マリーはそんな気持ちをごまかすように慌てて話を変えた。しかしその表情まではごまかしきれず、マリーの頬は赤らんだままで、そして緩んでしまった自分の顔に、マリーはヨハンが顔をあげないように祈った。
「これかい?」
ヨハンは顔を上げずに、本に顔を落としたまま返答した。そしてヨハンは、本の文字をゆっくりと手でなぞりながら、詩を読み上げるよう叙情的に声を発した。
「“聖杯の乙女”よ――――汝の宿した光りは、暁の輝石、汝が宿された力はこの世の奇跡。天地創造の時より幾千年、移り変わろう世の中で、変わらぬものこそこの世の理、神々の抱擁、彩り始めた大地の高陽、夜明けの明星、共に訪れる大いなる福音、汝、受け止め守り通さん、たとえその身に悲哀の災い訪れようとも、聖母の慈愛は汝の太陽、いつ何時も陰らずに、汝の傍らに輝き続けよう」
「どういう意味?」
マリーには、ヨハンの読んだ本の中身は相変わらずさっぱりだった。
そんな頭を傾げるマリーには目もくれず、ヨハンはページをめくって言葉を続ける。
「汝、聖杯にひざまずけ。その身に宿した宿命と、立てた操に誓いを立てて、神聖不可侵その肌に、そっと触れてみるがいい、もしも汝が邪な、悪魔の囁き振り切るならば、試してみるがいいだろう、夜の深淵よりも静寂で、昼の日だまりよりも尚平穏な、真理と悲愴の口付けを、もしも汝が聖杯に、選ばれし真の者ならば、光りは汝にこの世の真理、望むべき力をもたらさん」
読み終えると、ヨハンは面をあげてマリーに翡翠の瞳を光らせた。
「つまり――――」
ヨハンは人差し指を立てた。
「聖杯は、いついかなる時もその力を失うことがなく、今は聖杯を所有するに相応しいものが現れるのを、マリーの体の中で待っている――――ということさ」
マリーは自分の心臓の辺りをそっとさすってみた。
「そして、聖杯を取り出すには――――」
もったいぶるヨハンに、マリーは瞳を輝かせる。
「文章に書いてある通り――――僕とマリーが口づけをしたら聖杯は姿を現すのかもしれないってことさ」
ヨハンは悪戯っぽい笑顔をつくり、翡翠の瞳で真直ぐにマリーを見つめた。
「おもしろくない冗談ね」
マリーは顔を
「冗談じゃないかもしれないよ?」
ヨハンは真剣な顔で言う。
「じゃあ、聖杯は一生このままね。もっとマシな方法を考えなさいよ」
「考えてるさ、でも試してみる価値があるかもしれないだろう」
「無いわよ」
マリーは冷たくぴしゃりと言い放った。
その言葉を聞いたヨハンは、意地の悪い笑みを浮かべて本を閉じた。
「しかたないな。もう少し調べてみるよ」
そう言ってヨハンは立ち上がる。
「そうしてちょうだい。あなたはこの町じゃ高名な魔法使いなんでしょ」
ヨハンの背中にマリーは言葉を投げかけた。ヨハンが背中を向けたので、マリーはふと表情を緩めてしまいそうだったが、マリーは高鳴る胸の鼓動を抑えて平静をよそおった。
「相変わらず手厳しいね――――おやっ」
ヨハンは振り向き、扉の方に視線を移しました。
「どうやら来客のようだ」
マリーも扉に視線を移したが、人の気配どころか物音一つしなかった。
扉に視線を釘付けするマリーをよそに、ヨハンは机の本を抱えて二階へと上がって行こうとした。
「マリー、扉を叩く音が聞こえても出なくていいよ。僕が出るから」
そう言って二階へ消えて行くヨハンを、マリーは不思議そうに眺めていた。
「ねぇ、本当なの?」
ヨハンがいなくなると、マリーは少し離れたところで丸まっているロキに尋ねた。
「何がだ?」
ロキはむくっと起き上がり、机の上までやって来た。
「さっきの話よ」
「さっきの話とは?」
「だから聖杯を取り出す方法よ。ロキも聞いていたんでしょ?」
マリーは少し恥ずかしそうに言葉を速めて言った。
「方法とは?」
「もしかしてわざと知らないふりしてるんじゃないでしょうね?」
マリーはじろりとロキを睨みつけた。
「ヨハンとマリーが口付けを交わすという話か?」
「分かってるんじゃない。相変わらず意地悪ね」
それを聞くとロキは、意地が悪そうに目を細めてみせた。
「ねぇ、まさか本当じゃないんでしょ?」
マリーは不安そうに言う。
「さぁ、私も聖杯については全てと言っていいほど何も知らない。しかし――――」
ロキは低く落ち着いた声で言葉を続ける。
「唇を重ねたぐらいで聖杯が姿を現すとは到底思えないがな。あれはヨハンの悪ふざけだろう。マリーが気にする必要は無い」
「別に気にしてないわよ。ただ気になっただけよ」
マリーはすぐに言葉を返した。
「それが気にしてるということじゃないのか?」
ロキの鋭い突っ込みに、マリーは赤らめた顔の前で大きく手を振り、急いで言葉を訂正する。
「違うわよっ。だから、気になったのは聖杯のことじゃなくて、口付けのことで――――あれっ、違う? 気になったのは、口付けのことじゃなくて、聖杯のことで?」
マリーは慌て過ぎて自分が何を言っているのかまるで分からずにいた。マリーは自分の心が乱れていることに気がついておらず、先程の胸の高鳴りもふくめて、自分が何に動揺して、今何をロキに伝えたいのかも分らずにいた。
「大丈夫だ。マリーの言いたいことはだいたい伝わった」
感情の中で溺れているマリーに、ロキが助け舟を渡した。
「本当に?」
マリーは上目使いで恥ずかしそうに尋ねた。
「ああ。と言うよりも、言わなくても分かる。と、言ったほうがいいだろう」
「それ、どういう意味?」
「つまり、私たち精霊や妖霊などは本来言葉を持たない。言葉がない変わりに直接精神に話かける」
「つまりどういうことなの?」
マリーは、ロキの言っている意味がさっぱりだった。
「ヨハンのような魔力を持ったものや、自分の心に鍵をかけられるものは別だが――――ほとんどの場合、私には人間の心の中が見えてしまうということだ。だからマリーの話を聞かずとも、マリーの考えていることや思っていることが分かってしまう」
「心が読めるってこと?」
「読める訳ではないが、だいたい考えてることは伝わるという意味だ。心の中からこぼれ落ちる、感情の欠片のようなもの我々は拾うことができるのだ」
「じゃあ、もしかして?」
マリーの顔色が一瞬にして変わり、驚きと不安の混じった表情でロキを見つめた。
「ああ、今マリーの考えている通りだ」
ロキはマリーの心を読み、言わずとも分かる言葉に頷いた。
「だが、安心しろ。別に私はマリーの考えを、別の人間に告げるようなことはしない。それがヨハンであろうと、他人の心を誰かに告げるのは紳士にあるまじき行為だ」
「本当?」
“安心しろ”――――ロキにそう言われても、どこか不安の消えないマリーは、消えてしまいそうなか細く声でロキに尋ねた。
「ああ、本当だ。約束しよう」
ロキはマリーを安心させるため、出来るだけ優しい口調で答えました。
「ロキがそう言うなら――――信じるわ」
マリーは心の隅に残るわずかな不安を押し込み、ぎこちのない困った笑顔をロキにむけた。そんなマリーの笑顔を見たロキは、マリーに諭すように言葉を紡いだ。
「私が今、マリーに伝えられることがあるとすれば――――それは一つだ」
ロキは言葉を区切り、静かな間をつくった。
それは次に落とす言の葉が、マリーにとってとても大切な一枚であることを示唆するようだった。
「自分に素直になれ」
ロキの言葉の意味が、マリーには十分過ぎるほど分かっていた。
それはマリーの胸の奥、一番無防備な部分、だけどしっかりと鍵をかけた大切な場所を刺激した。今、ズキズキと痛むこの胸に投げ掛けられたロキの言の葉は、マリーの心の中を大きく揺さぶった。そして、マリ
マリーにとって泣きたくなるような言葉――――それでいて背中押してくれるロキの言葉に、マリーは精一杯の言葉を返した。
「ありがとう、ロキ」
ロキはそれ以上何も言わなかった。
その時だった。
部屋の外で何かが止まるような音が部屋に飛び込んで来た。すると部屋の外が何やら騒がしくなり、マリーは扉の外に注意を向けた。
誰かが扉を勢いよく叩く。
マリーはヨハンが言っていたことをすっかり忘れていたので、扉を叩く音を聞いてハっと思い出した。
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こちらの物語は、『小説家になろう』に投稿していたものをブログに掲載し直したものです。『小説家になろう』では最終回まで投稿しているので、気になったかたはそちらでもお読みいただけると嬉しいです。