読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

象と蝶~5話

象と蝶(完結済み) 小説

第5話

 

kakuhaji.hateblo.jp

 

第一話はこちらから読めます ↑

 

 

 新品卸したてのレクサスで一時間以上かけて、途中白バイに切符を切られながら辿り着いた場所は、一面に広がった向日葵畑だった。地平線の向こうまで連綿と広がった黄色と橙の花の群れは、世界が燃えているように綺麗だった。

 

「どうだい? 良い所だろう。たまに無性に来たくなるんだ。けど、男を連れてきたのは初めてだ」

 

 花畑の中を歩きながら犬はそう話した。確かに男二人で花畑というのもなかなかな稀有な話だ。僕は犬の後ろを歩きながら無言で花畑を眺めた。僕の背の高さとほとんど変わらない位置で大輪を咲かせた向日葵がいっせいに太陽の方角を見つめている。数百、数千の視線を一手に引き受ける輝かしい日輪は、全てのものを照らさんと光の翼を広げて、この星を包み込もうとしていた。

 

「何でここへ?」

 

 少し背の高くなった丘のような所に一本だけ聳えている樫の木の下で、僕と犬は腰を下ろした。たっぷり三十分ばかり向日葵を楽しんだし、僕はとっくに向日葵なんかに飽きていたから、木陰で休憩をしながら空を眺めていた時にそれとなく尋ねた。犬は木陰で寝そべりながら目を瞑っていた。僕の言葉を聞こえていないのかもしれないし、質問に答えたくないのかも知れなかった。どちらでもよかった。恐らく彼独特の感傷的な気持ちになっているのだろう。

 ほとんど雲のないような真夏日で、天気予報のニュースでは最高気温を記録すると言っていた。連日の猛暑続きで、各地では水の被害が相次いでいるらしく、それは最近ではもう夏の風物詩と化したゲリラ的な豪雨が影響しているらしい。

 僕はそのニュースを聞くたびに、世界中を水浸しにするぐらい雨が降ればいいのにと、いつも考える。一度洗い流してしまうぐらいのほうが、この世界にはちょうどいいのではないか、そんなことを考えてしまう。自然災害なら誰も恨まずに澄むし、世界中が水浸しになっている時に、戦争も、紛争も、民族間の衝突も、聖地の奪還など、そんなことに現を抜かしている場合ではない。そうすれば世界も、少しは一つに纏まるような方向に流れるのではないか、そんなことを本気で信じていた。

 

 もちろん幻想だ。

 

 自然災害の後にあるのは醜い人間達、とりわけ権力のある奴らのさらに醜い争いしかない。

 だけど、この日の空は本当に綺麗だった。

 平和を体現したような空だ。

 だけど地平線の向こうでは争いが繰り広げられている。

 少しも現実感が湧かなかった。

 向日葵が色を添え、空の青とのコントラストになっている。

 しかし空だけ見ても本当に綺麗だった。

 まるで空から女の子が落ちてきそうな、そんな綺麗な空だ。

 

「世界を回るんだろ?」

 

 突然、絞ったラジオのボリュームみたいな声で言った犬の言葉の意味が、僕には初めよく分からなかった。

 

「お前が世界を回るって聞いて、なんか凄く自分が小さく見えてさ。俺には何ができるんだろうって考えていたんだ。結局、親の金で放蕩して、酒を飲んで、女と遊んで、車を買って、大学を卒業したら多分地元に帰ることになるだろう。そうしたら後に人生は決まっている。それでいいのかって思ってさ」

 

 そこでようやく僕は昨日自分が言ったことを思い出した。

 

 戦場ジャーナリストになって世界を回るのも悪くない。

 

 自分の言葉の重みを始めて実感した。

 それはもはや恐怖と言ってもいいものだった。

 

「別に親の脛を齧るのは悪いことじゃない。生まれ持ったものは変えられないんだし、それだって立派な才能の一つだろ」

 

 僕は本気でそう思っていた。別に自分の家が金持ちだったり、偉大なる両親がいて欲しいとは思わなかったが、それでも生まれながらに人は平等じゃないことを僕は確信していたし、今までの短い人生の中で実感していた。

 もしも人間は生まれながらに平等で、全ての人間には均等に機会が与えられているなんてことを本気で言う奴がいたら、そいつのことは絶対に信用しないことを進める。間違いなく偽善者か嘘吐きのどちらかに当てはまるだろう。嘘吐きならまだいいが、偽善者はどうしようもない。あいつらは生まれながらの熱病患者くらいに思ったほうがいい。

 

「子供の頃、俺は何でもできると思っていたんだ。手を伸ばせば何だって掴めるし、どこまでだって飛んでいける、そんなふうに本気で思っていた。でも、何一つ手に入らなかった、何一つ身を結ばなかった。最近じゃもう空も見えないんだ、カビの生えた、ひび割れた天井だけが見える。もう、おしまいだろ?」

 

 僕は何も言えなかった。彼から伝わってくる悲壮感や絶望が空を覆いつくように触手を伸ばし、今にも雨を降らせんばかりの黒い雲となっていった。もう犬にはこの空の青さは見えていないのだろう。その代わりにカビの生えたひび割れた天井が、彼を押しつぶさんと迫っている。いつか誰しもが、そんな気持ちを味わうのかもしれない。どこかでもう高く飛べないと悟り、今までどこにだって飛ぶことのできた大きな白い翼が折れ、羽は抜け落ち、二度と羽ばたくことができずに地面に向かって真っ逆さまに落ちていく。それは太陽に近づきすぎたイカロスのように、多くを望み、遥か高く飛ぼうとした代償なのかもしれない。

 

「お前と同じ空を見たら俺も変われるかと思ったけど、俺達の前に広がる空は違っていたんだな」

 

 

-----------------------------------------------------------

kakuyomu.jp

続きはこちらで読めます ↑

 

バナー画像