マリーと魔法使いヨハン11話
011 少しだけ
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階段を上がってみると――――
二階には短い廊下の奥と、向かって左側に、別の部屋へと続く扉があった。
二つの扉はどちらも同じ形で、奥の扉が青色、左の扉が赤色だった。
ノブの上に書かれた“不思議な文字”だけは違っていた。
マリーはどちらの部屋にヨハンがいるのか分からず、取り敢えず手前の扉の前に立ち、ドアのノブに手をかけようとした。
その時、奥の青色の扉から声が聞こえてきた。
「マリーか? 二階には来ちゃだめだって言ったのに。まぁ、いいや。入りなよ」
ヨハンの声が、青色の扉に打ち付けられた小鳥のガラス細工から響いた。
マリーは不思議そうに小鳥のガラス細工を見つめる。すると、青色の扉はノブを握ったわけでもないのに勝手に開いた。マリーは言われた通り部屋に入って行った。
部屋の中に足を踏み入れて、マリーは驚きで当たりを見回した。部屋は薄暗くて埃っぽくて、まるで物置のような場所だった。部屋の中には、いたるところに沢山の絵や彫刻、ガラス細工などの色々な芸術品が埃を被って山積みにされていた。さらに木材やガラス、石、炭、宝石のようにキラキラした物までもが散乱していた。しかし、まるで子供のおもちゃ箱をひっくり返したような部屋よりも、さらに驚くべきことがこのがらくた部屋にはあった。
それはこの部屋の広さだった。
がらくた部屋の広さは、下の階を三倍にしても足りず、天井は高く吹き抜けていた。
マリーは自分の目を擦り、もう一度部屋を見回したが、やはり部屋の広さが変わらることはなかった。これでは下の階よりも上の階は広く、この外から見ると二階部分が膨らんだような、おかしなことになるはずだった。
「何そんなところに突っ立っているんだい? さっさとこっちに来なよ」
いつまでもぼけっと立っているマリーに、ヨハンは見かねて声をかけた。
マリーは声のした方向に足を進めるが、色々の物が散らかったり積み上げられているせいで、ヨハンの姿はちっとも見えてこなかった。マリーは床に転がっている物を踏まないように気をつけながら、ぬき足さし足でヨハンの元に向かって行く。
ヨハンは部屋の一番奥の作業台に座っていた。その作業台のある一角は、ある程度片がらくたが付けられ、吊るしたランプが辺りを照らしていた。
部屋の隅には、なんと大きな釜戸まであった。釜戸には火が入っており、オレンジの色の炎が噴き出している。作業台の上にはアルコールランプやフラスコ、さらには鍋まであり、マリーの目には何かの実験をしているように映った。火のくべられた鍋からは、もくもくと緑色の煙が上がっている。
「ねぇ、この部屋はどうなっているの?」
ようやくヨハンのもとに辿りついたマリーは、取り敢えず気になったことを尋ね、それを聞いたヨハンは待ってましたとばかりの表情を浮かべた。
「相変わらずの知りたがりだね」
ヨハンは面倒臭そうに言葉を続けた。
「この部屋の構築式を、魔力で変えているんだだ――――と言っても分からないだろうから、簡単に説明すると」
ヨハンはなんと説明したものかと、少し頭を悩ませる。
一方のマリーは、「分かるわよ」と言った具合に不機嫌な表情を浮かべた。
「簡単に説明すると――――この部屋を、僕の魔力で全く別の部屋に繋げているんだ。マリーがこの部屋に入ってくる時にくぐった扉までが僕のアジトで、扉をくぐった先が、僕の魔力で繋げた違う空間。どこの空間かは聞かないでおくれよ、説明すると長くなるから。どう、理解できたかい?」
マリーも少し頭を悩ませた後――――
「ええ、ばっちり」
一人、大きく頷いて見せた。
「本当に?」
ヨハンは疑わしそうな目でマリーを見つめる。
「もちろんよ、それより」
マリーは慌てて話題を変えることにした。
「すごいわね、この作品の数。全部ヨハンが作ったんでしょ?」
「それよりは、僕の台詞だよ。マリー、いったい何をしに来たんだい?」
言われてマリーは考える。
「そうねぇ――――」
マリーは言われて、にやりと意地の悪い笑顔をつくってみせた。
それはヨハンが浮かべる意地の悪い笑顔によく似ていたが、そのことに二人ともまるで気づいていなかった。
「さっきの喧嘩の続きよ。まだ決着がついてないじゃない?」
「ええっ?」
笑みを浮かべてファイティングポーズを取るマリーに、ヨハンはぎょっとして悲鳴のような声を漏らした。そんな泣きそうな顔のヨハンを見て、マリーは「ふふっ」と笑顔をこぼした。
「冗談よ。お礼を言いに来たのよ、洋服の」
ヨハンはまたも疑わしそうな表情を浮かべて口を開いた。
「本当に?」
「本当よ。どの洋服もとっても可愛くて素敵だったわ――――ほんとう、ありがとう」
マリーの言葉に、ヨハンは一瞬体を硬直さたが、直ぐ固まった体を解して言葉を繕った。
「別に、本当に気にしなくていいよ。あんなもの本当にたいした物じゃないんだ」
ヨハンはなんでもないと言って見せるが、その表情は心なしか綻んでいた。そんなヨハンに、マリーは今までに無いくらいの穏やかな声で言葉を続ける。
「あなたにはたいした物じゃなくても、私にはたいした物よ。ヨハンの言う田舎町じゃ、どれもお目にかかれないものばかりだわ」
「やけに素直だね?」
「別に素直になった訳じゃないわよ。人から物をもらったらお礼を忘れない。よく私の母が言っていたのよ」
マリーは当然のことと言ってのけた。
「ふーん、母親の教えかい?」
「そうよ。あのね、私ね、小さいときに母が死んじゃったの」
マリーは落ち着いた調子で言葉を続ける。
顔色を変えたヨハンは、マリーの話を静かに、真剣な面持ちで聞いていた。
「父は私が生まれてすぐに死んじゃって、母は女で一つで私を育ててくれたの」
マリーは瞳を閉じて、思い出の中に向けて駆けだした。
「けど、その母も病気で死んじゃって――――だけど、母の教えを守らなかったことは一度もないの。母が死んでからずっと働きっぱなしだったけど。ヨハンも見たでしょ? 私たちが出会った山の上に建ってた大きな館。私、あそこで働いてたの」
「ああ。マリーと会った場所の直ぐ近くの?」
ヨハンは思い出したように頷いた。
「そう。私を引き取ってくれたオベリアル卿の館よ」
「ふーん、君を引き取るなんてそうとうな決心だっただろうに」
ヨハンは真面目な顔で言った。
「どう言う意味よ?」
マリーはじろりとヨハンを睨み、するとヨハンは両手を広げて降参のポーズをとってみせた。
「とにかく優しくてとてもいい人なのよ、オベリアル卿は。それに、あなたから見ればたんなる田舎町でも、私にとっては大切な故郷なの。母との思い出が沢山詰まった」
マリーは過去を懐かしむように、視線を過去へと泳がせた。
「帰りたい?」
ヨハンは短く尋ね、マリーは即座に頷いた。
「そりゃ、帰りたいわ。でも、仕方ないわよね? 私の中にそんな大切なものがあるんだから」
ヨハンはそれには答えなかった。そしてしばらく口を閉ざした後、言いづらそうに言葉を続けた。
「寂しくないの? 母親が死んでしまって」
マリーは優しい笑顔を浮かべてみせた。
「寂しくないわ、いつも一緒にいるもの。それに仕事だってけっこう気に入っていたのよ」
マリーは力強く言って、胸から下げたネックレスに視線を落とした。
「そうか。まぁ、君はそんだに勇ましいんだから寂しいわけないか」
ヨハンはどこか心苦しそうに言った。そしてその場から逃げるように立ち上がり、鍋の中に視線を落とした。
「ねぇ、ヨハンの両親は別の場所で暮らしてるの?」
マリーは鍋をかき回しているヨハンに尋ねた。
「さぁ、どこかで楽しく暮らしているんじゃない?」
ヨハンははぐらかすように言った。
「なによ、それ? 分かった。ヨハンって、どこかの国の貴族か、金持ちの息子でしょう? だからお金をたくさん持ってるんだ?」
マリーは謎かけでもしているかのような気分で喋りはじめた。
頭をひねらせながらハッとなにかを思いついたように、勢い良く手を叩く。
「じゃあ、家を追い出されたのね? きっとろくでもない息子だから」
ヨハンは瞬き一回ぐらいのわずかな時間、とても悲しそうで寂しそうな表情を浮かべ、その顔には暗い影が差した。しかしマリーはまだ頭をひねっていて、ヨハンのその表情には気がつかなかった。ヨハンは直ぐにいつもの華やかな表情に戻り、口を開いた。
「まぁ、そんな所だね。さぁ、そろそろ静かにしておくれお嬢さん。作業の邪魔だよ」
そう言ったヨハンは、鍋の中に入った細い緑色の糸の束を煮立った液体から取り出し、ざるに移して水を切り始めた。マリーはパスタでも茹でているのかと思った。すると今まで濁った緑色だった糸の束は、次第に輝く金の糸へと、その色を変えていった。いつの間にか、マリーはヨハンのその一連の動作に見とれていた。
それからしばらく、ヨハンは糸を纏めたり作業台の上に乗ったビーカーやフラスコを振ったりして状態を確かめたりと、作業に集中していた。
「何をしているの?」
ついにこらえ切れなくなったマリーは、ヨハンに尋ねた。
ヨハンは視線を金色の糸に向けたままマリーの質問に答えた。
「そろそろ聞いてくると思ったよ」
ヨハンは呆れたように言い、うとましそうに目にかかる前髪をかき上げた。
「箒を直しているのさ。あの逃走劇のせいで箒がボロボロになってしまったからね」
言い終わるとヨハンは立ち上がり、釜戸の方へ向って行った。
轟々と炎を上げる釜戸の中から、鉄板に乗せられたドロドロの金属を取り出し、ヨハンはそのドロドロの金属を、手や道具を一切使わずに精成しはじめる。ヨハンが手を翳すとドロドロの金属は中に浮き上がり、ヨハンは綿菓子を作るかのように宙で転がしたり、飴細工のように伸ばしたりひっぱったり、はたまたパンをこねているように千切ったりして、徐々に金属を形成していく。
今まで鈍い赤褐色だったドロドロの金属も、ヨハンの手の中で控えめに光りはじめる。そしてはじめは控えめだった光は、しだいに薄いピンク色から深紅のバラ色へと変わり、そして輝きは、いつしか黄色の靄になっていった。そして靄がゆっくりと引いてゆくと、金属のドロドロはヨハンの手のひらで立派な彫刻品へと姿を変えていた。出来上がった彫刻品を、ヨハンはヤスリで削ったり刃物で掘ったりと、細かい作業に入る。ヨハンの表情は、作業が始まってからずっと真剣そのもので、額から滴る汗も気にせずに、ただひたすら作業に集中していた。
そんなヨハンの姿を、マリーは食い入るように見つめていた。
「よしっ、できた――――」
ヨハンは最後の仕上げとばかりに、彫刻品の真ん中に空色の宝玉を埋め込んだ。ヨハンは出来上がったそれを頭上に翳して、出来栄えを確認していった。そしてその出来栄えに満足したのか、上機嫌で口笛を吹いてみせた。
「天才的だね」
ヨハンはそう言って立ち上がり、マリーの隣に腰を降ろし――――
「はい、マリー」
差し出された彫刻品は、髪飾りだった。
大きな翼に幾つもの花が飾られ、花の中心には透き通った水よりも澄んだ、空色の宝石が埋め込まれていた。
マリーは差し出された美しい髪飾りに見とれ、ただ心を奪われているばかりで、差し出された髪飾りが、自分に贈られた物だとは気づいていなかった。そして髪飾りに配された花たちが、どれもマリーの故郷に咲く花――――エニシダ、スイレン、エリカだということにも、全く気がついていなかった。
「固まってないで、早く受け取ってよ」
ヨハンは髪飾りに見とれるマリーに声をかけた。
「えっ?」
それを聞いても、マリーはまだその髪飾りが自分に贈られている物だと言うことに気がついていなかった。
「ああ?」
ヨハンは何かに気づいたように、瞳を大きくして口を開いた。
「やれやれ。受け取れだなんて、無粋な真似をしてしまったね? 女性にはつけて差し上げるのが礼儀と言うもの――――」
そう言って、ヨハンはマリーの黒い髪の毛に、そっと髪飾りをつけてみせた。
髪飾りをつけ終えると、ヨハンはとても満足そうに頷いた。
「うん、いいね。とても似合っているよ」
マリーは自分の髪の毛につけられた髪飾りをそっと撫でる。そこでようやく、その髪飾りが自分に贈られた物だということに気がついた。
「これ、私に?」
驚いて尋ねるマリーに、ヨハンは呆れたように肩を空かしてみせた。
「君以外、誰に贈ればいいんだい? 僕がそれをつけていたら笑い者だよ」
「それもそうだけど」
「だろ?」
そう言ってヨハンが指を鳴らすと、がらくたの山の中から鏡が浮かび上がり、マリーの目の前に六角形の鏡が現れた。
「ほら、良く似合っているだろう?」
ヨハンは自信満々に言った。
マリーは鏡に写る自分を見て、本当に美しい髪飾りに心を奪われていた。
しばらくぼんやりと見とれていた後、マリーは魔法が解けたような夢見心地な表情から、しっかりとした顔つきに戻っいった。どことなく不安そうにヨハンを見つめて、マリーは今日自分に贈られた数々のものの全てが美しく、素晴らしく、そして高価であることを思いだし――――そして今、ヨハンが自分のためにつくってくれた髪飾りは、本当にこの世の物とは思えないくらい素晴らしい贈り物で、マリーはとても後ろめたくなった。
「私、あなたから貰ってばかで悪いわ」
マリーは自分には何一つ返せるものがないということに、後ろめたさと同時に、みじめさを感じていた。
「そうでもないさ。今日シチューを食べさせてくれただろ? あれのお返しだと思えばいい」
「そんなのお返しになってないと思うけど」
マリーはヨハンから贈られた数々の物と、あまり物でつくった自分のシチューを比べてみて、尻込みしながら言った。
「そうかい、あのシチューはそれぐらい美味しかったよ」
ヨハンがそう言ってもぜんぜん納得していないマリーの様子に、ヨハンは一つ提案をしてみせた。
「じゃあ、こう言うのはどうだい? これからしばらく、うちのアジトの家事をしてくれよ。君の得意分野だろ?」
「そんなのでいいなら、いいけど」
その提案を、マリーは渋々ながらに受け入れた。
「よしっ、決まりだね」
ヨハンはマリーに片目をつぶってみせた。
「さあ、お嬢さん、お互い納得しきったところで、今夜はもう眠ったほうがいい。夜更かしはお肌の天敵だからね。扉まで送るよ」
ヨハンはさっと立ち上がり、マリーを扉まで送っていった。扉の前までヨハンに促され、マリーは自分が厄介払いされたようだと思い、少し不機嫌な表情を浮かべた。
「ちょっと、もしかして私を早く部屋から追い出したくて、髪飾りをくれたんじゃないでしょうね?」
「マリー、君はどうして人の好意を素直に受け取れないんだい。僕がそんな風に、女性を物で釣るような男に見えるかい?」
マリーは疑わしそうな目付きでじとりとヨハンを見据えた。
「見えるわね」
それを聞いたヨハンはガクリと肩を落とす。そんなヨハンに、マリーはしてやったりの笑顔を浮かべてみせた。
「嘘よ。そんな風には、少ししか見えないわ。それに本当に素敵な贈り物よ。ヨハンありがとう」
そう言って、マリーは階段を降りて行った。
ヨハンは、マリーが視界から消えるまでずっとマリーを見つめ、視界から消えたのを確認して――――小さく呟いた。
「――――少しだけ、か」
ヨハンはゆっくりと扉を閉めた。
二階には短い廊下の奥と、向かって左側に、別の部屋へと続く扉があった。
二つの扉はどちらも同じ形で、奥の扉が青色、左の扉が赤色だった。
ノブの上に書かれた“不思議な文字”だけは違っていた。
マリーはどちらの部屋にヨハンがいるのか分からず、取り敢えず手前の扉の前に立ち、ドアのノブに手をかけようとした。
その時、奥の青色の扉から声が聞こえてきた。
「マリーか? 二階には来ちゃだめだって言ったのに。まぁ、いいや。入りなよ」
ヨハンの声が、青色の扉に打ち付けられた小鳥のガラス細工から響いた。
マリーは不思議そうに小鳥のガラス細工を見つめる。すると、青色の扉はノブを握ったわけでもないのに勝手に開いた。マリーは言われた通り部屋に入って行った。
部屋の中に足を踏み入れて、マリーは驚きで当たりを見回した。部屋は薄暗くて埃っぽくて、まるで物置のような場所だった。部屋の中には、いたるところに沢山の絵や彫刻、ガラス細工などの色々な芸術品が埃を被って山積みにされていた。さらに木材やガラス、石、炭、宝石のようにキラキラした物までもが散乱していた。しかし、まるで子供のおもちゃ箱をひっくり返したような部屋よりも、さらに驚くべきことがこのがらくた部屋にはあった。
それはこの部屋の広さだった。
がらくた部屋の広さは、下の階を三倍にしても足りず、天井は高く吹き抜けていた。
マリーは自分の目を擦り、もう一度部屋を見回したが、やはり部屋の広さが変わらることはなかった。これでは下の階よりも上の階は広く、この外から見ると二階部分が膨らんだような、おかしなことになるはずだった。
「何そんなところに突っ立っているんだい? さっさとこっちに来なよ」
いつまでもぼけっと立っているマリーに、ヨハンは見かねて声をかけた。
マリーは声のした方向に足を進めるが、色々の物が散らかったり積み上げられているせいで、ヨハンの姿はちっとも見えてこなかった。マリーは床に転がっている物を踏まないように気をつけながら、ぬき足さし足でヨハンの元に向かって行く。
ヨハンは部屋の一番奥の作業台に座っていた。その作業台のある一角は、ある程度片がらくたが付けられ、吊るしたランプが辺りを照らしていた。
部屋の隅には、なんと大きな釜戸まであった。釜戸には火が入っており、オレンジの色の炎が噴き出している。作業台の上にはアルコールランプやフラスコ、さらには鍋まであり、マリーの目には何かの実験をしているように映った。火のくべられた鍋からは、もくもくと緑色の煙が上がっている。
「ねぇ、この部屋はどうなっているの?」
ようやくヨハンのもとに辿りついたマリーは、取り敢えず気になったことを尋ね、それを聞いたヨハンは待ってましたとばかりの表情を浮かべた。
「相変わらずの知りたがりだね」
ヨハンは面倒臭そうに言葉を続けた。
「この部屋の構築式を、魔力で変えているんだだ――――と言っても分からないだろうから、簡単に説明すると」
ヨハンはなんと説明したものかと、少し頭を悩ませる。
一方のマリーは、「分かるわよ」と言った具合に不機嫌な表情を浮かべた。
「簡単に説明すると――――この部屋を、僕の魔力で全く別の部屋に繋げているんだ。マリーがこの部屋に入ってくる時にくぐった扉までが僕のアジトで、扉をくぐった先が、僕の魔力で繋げた違う空間。どこの空間かは聞かないでおくれよ、説明すると長くなるから。どう、理解できたかい?」
マリーも少し頭を悩ませた後――――
「ええ、ばっちり」
一人、大きく頷いて見せた。
「本当に?」
ヨハンは疑わしそうな目でマリーを見つめる。
「もちろんよ、それより」
マリーは慌てて話題を変えることにした。
「すごいわね、この作品の数。全部ヨハンが作ったんでしょ?」
「それよりは、僕の台詞だよ。マリー、いったい何をしに来たんだい?」
言われてマリーは考える。
「そうねぇ――――」
マリーは言われて、にやりと意地の悪い笑顔をつくってみせた。
それはヨハンが浮かべる意地の悪い笑顔によく似ていたが、そのことに二人ともまるで気づいていなかった。
「さっきの喧嘩の続きよ。まだ決着がついてないじゃない?」
「ええっ?」
笑みを浮かべてファイティングポーズを取るマリーに、ヨハンはぎょっとして悲鳴のような声を漏らした。そんな泣きそうな顔のヨハンを見て、マリーは「ふふっ」と笑顔をこぼした。
「冗談よ。お礼を言いに来たのよ、洋服の」
ヨハンはまたも疑わしそうな表情を浮かべて口を開いた。
「本当に?」
「本当よ。どの洋服もとっても可愛くて素敵だったわ――――ほんとう、ありがとう」
マリーの言葉に、ヨハンは一瞬体を硬直さたが、直ぐ固まった体を解して言葉を繕った。
「別に、本当に気にしなくていいよ。あんなもの本当にたいした物じゃないんだ」
ヨハンはなんでもないと言って見せるが、その表情は心なしか綻んでいた。そんなヨハンに、マリーは今までに無いくらいの穏やかな声で言葉を続ける。
「あなたにはたいした物じゃなくても、私にはたいした物よ。ヨハンの言う田舎町じゃ、どれもお目にかかれないものばかりだわ」
「やけに素直だね?」
「別に素直になった訳じゃないわよ。人から物をもらったらお礼を忘れない。よく私の母が言っていたのよ」
マリーは当然のことと言ってのけた。
「ふーん、母親の教えかい?」
「そうよ。あのね、私ね、小さいときに母が死んじゃったの」
マリーは落ち着いた調子で言葉を続ける。
顔色を変えたヨハンは、マリーの話を静かに、真剣な面持ちで聞いていた。
「父は私が生まれてすぐに死んじゃって、母は女で一つで私を育ててくれたの」
マリーは瞳を閉じて、思い出の中に向けて駆けだした。
「けど、その母も病気で死んじゃって――――だけど、母の教えを守らなかったことは一度もないの。母が死んでからずっと働きっぱなしだったけど。ヨハンも見たでしょ? 私たちが出会った山の上に建ってた大きな館。私、あそこで働いてたの」
「ああ。マリーと会った場所の直ぐ近くの?」
ヨハンは思い出したように頷いた。
「そう。私を引き取ってくれたオベリアル卿の館よ」
「ふーん、君を引き取るなんてそうとうな決心だっただろうに」
ヨハンは真面目な顔で言った。
「どう言う意味よ?」
マリーはじろりとヨハンを睨み、するとヨハンは両手を広げて降参のポーズをとってみせた。
「とにかく優しくてとてもいい人なのよ、オベリアル卿は。それに、あなたから見ればたんなる田舎町でも、私にとっては大切な故郷なの。母との思い出が沢山詰まった」
マリーは過去を懐かしむように、視線を過去へと泳がせた。
「帰りたい?」
ヨハンは短く尋ね、マリーは即座に頷いた。
「そりゃ、帰りたいわ。でも、仕方ないわよね? 私の中にそんな大切なものがあるんだから」
ヨハンはそれには答えなかった。そしてしばらく口を閉ざした後、言いづらそうに言葉を続けた。
「寂しくないの? 母親が死んでしまって」
マリーは優しい笑顔を浮かべてみせた。
「寂しくないわ、いつも一緒にいるもの。それに仕事だってけっこう気に入っていたのよ」
マリーは力強く言って、胸から下げたネックレスに視線を落とした。
「そうか。まぁ、君はそんだに勇ましいんだから寂しいわけないか」
ヨハンはどこか心苦しそうに言った。そしてその場から逃げるように立ち上がり、鍋の中に視線を落とした。
「ねぇ、ヨハンの両親は別の場所で暮らしてるの?」
マリーは鍋をかき回しているヨハンに尋ねた。
「さぁ、どこかで楽しく暮らしているんじゃない?」
ヨハンははぐらかすように言った。
「なによ、それ? 分かった。ヨハンって、どこかの国の貴族か、金持ちの息子でしょう? だからお金をたくさん持ってるんだ?」
マリーは謎かけでもしているかのような気分で喋りはじめた。
頭をひねらせながらハッとなにかを思いついたように、勢い良く手を叩く。
「じゃあ、家を追い出されたのね? きっとろくでもない息子だから」
ヨハンは瞬き一回ぐらいのわずかな時間、とても悲しそうで寂しそうな表情を浮かべ、その顔には暗い影が差した。しかしマリーはまだ頭をひねっていて、ヨハンのその表情には気がつかなかった。ヨハンは直ぐにいつもの華やかな表情に戻り、口を開いた。
「まぁ、そんな所だね。さぁ、そろそろ静かにしておくれお嬢さん。作業の邪魔だよ」
そう言ったヨハンは、鍋の中に入った細い緑色の糸の束を煮立った液体から取り出し、ざるに移して水を切り始めた。マリーはパスタでも茹でているのかと思った。すると今まで濁った緑色だった糸の束は、次第に輝く金の糸へと、その色を変えていった。いつの間にか、マリーはヨハンのその一連の動作に見とれていた。
それからしばらく、ヨハンは糸を纏めたり作業台の上に乗ったビーカーやフラスコを振ったりして状態を確かめたりと、作業に集中していた。
「何をしているの?」
ついにこらえ切れなくなったマリーは、ヨハンに尋ねた。
ヨハンは視線を金色の糸に向けたままマリーの質問に答えた。
「そろそろ聞いてくると思ったよ」
ヨハンは呆れたように言い、うとましそうに目にかかる前髪をかき上げた。
「箒を直しているのさ。あの逃走劇のせいで箒がボロボロになってしまったからね」
言い終わるとヨハンは立ち上がり、釜戸の方へ向って行った。
轟々と炎を上げる釜戸の中から、鉄板に乗せられたドロドロの金属を取り出し、ヨハンはそのドロドロの金属を、手や道具を一切使わずに精成しはじめる。ヨハンが手を翳すとドロドロの金属は中に浮き上がり、ヨハンは綿菓子を作るかのように宙で転がしたり、飴細工のように伸ばしたりひっぱったり、はたまたパンをこねているように千切ったりして、徐々に金属を形成していく。
今まで鈍い赤褐色だったドロドロの金属も、ヨハンの手の中で控えめに光りはじめる。そしてはじめは控えめだった光は、しだいに薄いピンク色から深紅のバラ色へと変わり、そして輝きは、いつしか黄色の靄になっていった。そして靄がゆっくりと引いてゆくと、金属のドロドロはヨハンの手のひらで立派な彫刻品へと姿を変えていた。出来上がった彫刻品を、ヨハンはヤスリで削ったり刃物で掘ったりと、細かい作業に入る。ヨハンの表情は、作業が始まってからずっと真剣そのもので、額から滴る汗も気にせずに、ただひたすら作業に集中していた。
そんなヨハンの姿を、マリーは食い入るように見つめていた。
「よしっ、できた――――」
ヨハンは最後の仕上げとばかりに、彫刻品の真ん中に空色の宝玉を埋め込んだ。ヨハンは出来上がったそれを頭上に翳して、出来栄えを確認していった。そしてその出来栄えに満足したのか、上機嫌で口笛を吹いてみせた。
「天才的だね」
ヨハンはそう言って立ち上がり、マリーの隣に腰を降ろし――――
「はい、マリー」
差し出された彫刻品は、髪飾りだった。
大きな翼に幾つもの花が飾られ、花の中心には透き通った水よりも澄んだ、空色の宝石が埋め込まれていた。
マリーは差し出された美しい髪飾りに見とれ、ただ心を奪われているばかりで、差し出された髪飾りが、自分に贈られた物だとは気づいていなかった。そして髪飾りに配された花たちが、どれもマリーの故郷に咲く花――――エニシダ、スイレン、エリカだということにも、全く気がついていなかった。
「固まってないで、早く受け取ってよ」
ヨハンは髪飾りに見とれるマリーに声をかけた。
「えっ?」
それを聞いても、マリーはまだその髪飾りが自分に贈られている物だと言うことに気がついていなかった。
「ああ?」
ヨハンは何かに気づいたように、瞳を大きくして口を開いた。
「やれやれ。受け取れだなんて、無粋な真似をしてしまったね? 女性にはつけて差し上げるのが礼儀と言うもの――――」
そう言って、ヨハンはマリーの黒い髪の毛に、そっと髪飾りをつけてみせた。
髪飾りをつけ終えると、ヨハンはとても満足そうに頷いた。
「うん、いいね。とても似合っているよ」
マリーは自分の髪の毛につけられた髪飾りをそっと撫でる。そこでようやく、その髪飾りが自分に贈られた物だということに気がついた。
「これ、私に?」
驚いて尋ねるマリーに、ヨハンは呆れたように肩を空かしてみせた。
「君以外、誰に贈ればいいんだい? 僕がそれをつけていたら笑い者だよ」
「それもそうだけど」
「だろ?」
そう言ってヨハンが指を鳴らすと、がらくたの山の中から鏡が浮かび上がり、マリーの目の前に六角形の鏡が現れた。
「ほら、良く似合っているだろう?」
ヨハンは自信満々に言った。
マリーは鏡に写る自分を見て、本当に美しい髪飾りに心を奪われていた。
しばらくぼんやりと見とれていた後、マリーは魔法が解けたような夢見心地な表情から、しっかりとした顔つきに戻っいった。どことなく不安そうにヨハンを見つめて、マリーは今日自分に贈られた数々のものの全てが美しく、素晴らしく、そして高価であることを思いだし――――そして今、ヨハンが自分のためにつくってくれた髪飾りは、本当にこの世の物とは思えないくらい素晴らしい贈り物で、マリーはとても後ろめたくなった。
「私、あなたから貰ってばかで悪いわ」
マリーは自分には何一つ返せるものがないということに、後ろめたさと同時に、みじめさを感じていた。
「そうでもないさ。今日シチューを食べさせてくれただろ? あれのお返しだと思えばいい」
「そんなのお返しになってないと思うけど」
マリーはヨハンから贈られた数々の物と、あまり物でつくった自分のシチューを比べてみて、尻込みしながら言った。
「そうかい、あのシチューはそれぐらい美味しかったよ」
ヨハンがそう言ってもぜんぜん納得していないマリーの様子に、ヨハンは一つ提案をしてみせた。
「じゃあ、こう言うのはどうだい? これからしばらく、うちのアジトの家事をしてくれよ。君の得意分野だろ?」
「そんなのでいいなら、いいけど」
その提案を、マリーは渋々ながらに受け入れた。
「よしっ、決まりだね」
ヨハンはマリーに片目をつぶってみせた。
「さあ、お嬢さん、お互い納得しきったところで、今夜はもう眠ったほうがいい。夜更かしはお肌の天敵だからね。扉まで送るよ」
ヨハンはさっと立ち上がり、マリーを扉まで送っていった。扉の前までヨハンに促され、マリーは自分が厄介払いされたようだと思い、少し不機嫌な表情を浮かべた。
「ちょっと、もしかして私を早く部屋から追い出したくて、髪飾りをくれたんじゃないでしょうね?」
「マリー、君はどうして人の好意を素直に受け取れないんだい。僕がそんな風に、女性を物で釣るような男に見えるかい?」
マリーは疑わしそうな目付きでじとりとヨハンを見据えた。
「見えるわね」
それを聞いたヨハンはガクリと肩を落とす。そんなヨハンに、マリーはしてやったりの笑顔を浮かべてみせた。
「嘘よ。そんな風には、少ししか見えないわ。それに本当に素敵な贈り物よ。ヨハンありがとう」
そう言って、マリーは階段を降りて行った。
ヨハンは、マリーが視界から消えるまでずっとマリーを見つめ、視界から消えたのを確認して――――小さく呟いた。
「――――少しだけ、か」
ヨハンはゆっくりと扉を閉めた。
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こちらの物語は、『小説家になろう』に投稿していたものをブログに掲載し直したものです。『小説家になろう』では最終回まで投稿しているので、気になったかたはそちらでもお読みいただけると嬉しいです。