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ロンドン・コーリング

ロンドン・コーリング

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この短編はカクヨム外部企画『にごたん」に参加した際に書いたものです。

『にごたん』に関して詳しく知りたい方はこちらの過去記事をどうぞ!

 

kakuhaji.hateblo.jp

 

 

『ロンドン橋』から見える『時計塔』は灰色がかっていて、まるでモノクロームで描かれた絵画のようだった。ロンドンはいつだって天気が悪く、霧がかっている。

 

 今の僕たちのように。

 

 僕の少し前を歩くミサトの表情は曇っていて、赤く腫れた目の周りには涙を流した痕があった。

 僕たちはまるで手酷い喧嘩をした後みたいで、僕たちの気分は本当に最悪だった。

 

「なぁミサト、何をそんなに怒っているんだよ?」

 

 ミサトは振り返りもせずに先に進んで行ってしまった。

 まるでロンドンの深いに霧の中に吸い込まれてしまうみたいに。

 

 僕は「やれやれ」と首を横に振って、彼女の背を追った。

 

 ☆

 

「『グリザイユ』って知っている?」

 

 ロンドンの霧がかかった景色を眺めていると、不意に過去のミサトの言葉を思い出した。

  僕とミサトは高校の同級生で、彼女は美術部員だった。

 

「さぁ、知らないけど」

モノクロームで描かれた絵画のことよ。そんなことも知らないのね」

「そんなことを知っていたって何の得にもならないじゃないか?」

「知らないより、知っていたほうが色々とお得でしょう?」

「どうだろうね。ものによっては知らないほうがいいってことも、世の中にはたくさんあると思うよ」

 

 僕がそう言うと、ミサトはくすくすと笑った。

 

「あなたって本当にひねくれているのね」

「君が真っ直ぐすぎるんだよ」

「あなたは病気がちすぎて、心まで不健康になってしまったのね」

「君は心が健康すぎるから、そんなに眩しいんだよ」

 

 僕は過去に交わしたミサトとの会話を思いだしながら、彼女の背を追い続けていた。

 

 ロンドンの街並みを歩く彼女の足取りは確かで、まるで以前にもこの場所を訪れたことがあるみたいに迷いがなかった。

 おそらくロンドンを訪れるのが楽しみ過ぎて、地図を何度も読んだのだろう。

 

 だって僕たちは、今日初めてこのロンドンを訪れるのだから。

 この旅行は、結婚式も上げていない僕たちの新婚旅行の変わりだった。ささやかでつつましやかな旅に、それでもとても幸せな旅行になるはずだった。

 

 僕たちは結婚をしていた。

 僕は薬指の指輪を見て、そしてミサトの背に視線を向け直した。

 

 彼女は大きな建物の中に入って行こうとしており、僕は少し大きな声を上げてミサトを呼びとめた。

 

「ミサト、待ってくれ。僕が悪かったよ。こんな旅行にするつもりじゃなかったんだ。だから謝らせて、一からやり直させほしいんだ」

 

 彼女は僕を無視して先に進んで行った。建物の入り口で受け付けにお金を払い、そして足を進めた。

 

「ミサト、頼むから待ってくれよ」

 

 僕は受け付けの前で料金を払おうとしたが、受付の女性は僕のことをとことん無視した。まるでミサトを泣かせた僕に心底腹を立てているように。

 

 どうやらミサトが僕の分の料金を払っていてくれたみたいで、僕は受付を通り抜けて彼女の隣に並んだ。

 

「ここって?」

 

 僕はミサトが視線を注いでいる大きな絵を見て、ここが『大英博物館』であることを理解した。

 ミサトは、ここでなら僕と余計な会話をしなくていいと考えたのだろう。いつだって彼女は、機嫌を悪くするとしばらく口を利いてくれなくなるのだ。

 僕は彼女のルールに乗っ取って行動をすることに決めた。

 それに美術館の中で争うなんて馬鹿げているし、非常識だ。

 

 ミサトはゆっくりと時間をかけて美術館の中を巡り、一つ一つの絵を瞼の裏に焼き付けるように吟味していった。

 ミサトは昔から絵画が好きだった。彼女は美術系の大学に進学すると自分でも個展を開いた。お世辞にも才能があるというわけではなかったが、僕はミサトのかく絵が大好きだった。

 ミサトの絵はとても躍動的で、カラフルで、迫力があった。まるでありとあらゆる色彩と動詞を詰め合わせたような、そんな素敵な絵を描いた。

 

 しかし、ミサトはどちらかと言えば『グリザイユ』のような静かで雰囲気のある絵を好んでいた。まるで自分にないものを求めるかのように。

 たぶん僕たちが互いに惹かれあったのも、お互いにないものを求めたからだろう。

 

 彼女が白なら、僕は黒。

 彼女がプラスなら、僕はマイナス。

 彼女が山なら、僕は川だった。

 

「あなたって、本当に私と正反対ね。憎らしいくらい」

 

 僕たちの意見が対立すると、ミサトは決まってそう言った。

 

「まぁ、そりが合わないのは出会ったときからだしね」

 

 僕はいつだってそんなふうに言って、彼女の言葉を受け流した。

 

「ほんと、憎らしすぎて逆に愛くるしいくらいよ」

「僕もだよ。どうだろう? プラス・マイナスをゼロにするために――僕たち結婚してみるっていうのは?」

 

 僕の突然のプロポーズに、ミサトは一瞬きょとんと目を見開いた後、やはりくすくすと笑った。

 

「いいけど、白と黒を一緒にして『グリザイユ』みたいな生活を送るのだけはごめんよ」

 

 そうして、僕たちのささやかでつつましやかな結婚生活は幕を開けた。

 

 まるで押し寄せる波のように蘇ってくるミサトとのこれまでの思い出を振り返りながら、僕は隣に並ぶミサトのことを考えた。どうしてこんなにも彼女を傷つけ、怒らせてしまったんだろうと。

 

 それは遥か昔のことのような気がしてならなかった。

 

 ミサトと仲直りをしたら、今日は彼女のわがままを全て聞いてあげようと僕は心の中で決意した。

 そしてその決意を示すように、僕はミサトの震える手を取ろうと自分の手を伸ばした。

 

 すると、彼女は僕の伸ばした手から逃げるように手を上げた。

 どうやら、まだ相当怒っているらしい。

 

 僕は取ろうとしたミサトの手を見つめた。

 

 彼女の震える手の中には、『二枚の銅貨』が握られていた。まるでお守りを握りしめるかのように、ミサトはその二枚の銅貨を大切に握りしめていた。まるで何の願いをかけているみたいに。

 

 僕はそこでふと、ミサトがずっと見つめ続けている絵画に視線を向けた。

 

 そこには船に乗っている悪魔と、船に乗ろうとする客が描かれており、客は悪魔に何かを渡そうとしていた。

 

 僕はその絵を見た時、何かが不意に蘇ってくるのを、どこか遠くの方から大切ななにかが『リフレイン』してくるのを感じた。

 

 その絵は、ダンテの『新曲』の一節を描いたものだった。

 僕とミサトはずいぶん昔に、その絵について会話を交わし、何か約束のようなことをしたはずだった。

 

 しかし、今はそれを思い出すことはできなかった。

 

 僕は、まるで硬い扉の前に立っているみたいだった。そしてその扉の奥から、大切な何かが『リフレイン』してくるみたいだった。

 

 ☆

 

 美術館を出ると、ミサトは小さなカフェテリアのテラス席に座ってコーヒーを飲んだ。

 僕は注文も尋ねられなかったので、何も注文せずにミサトからの許しが出るのを待った。

 ミサトはとことんまで落ち込んだ顔をしていて、まるで世界の終わりを迎えたような雰囲気を発してさえいた。

 

「なぁ、僕が何をしたにせよ。僕は全面的に悪かったよ。今日一日なんだってミサト言う通りにする。だから、いい加減許してくれ――」

「あなたってっ――」

 

 僕がそこまで言うと、ミサトはもう我慢ならないと言ったように声を発した。

 僕は彼女のあまりの剣幕に押し黙ってしまい、ミサトの言葉の続きを待つしかなかった。

 

「いつだって勝手なのよ。自分勝手で、わがままで、考えなしで、そのくせ言い訳の一つもしないで、私のご機嫌ばっかりとるんだから」

 

 僕はその言葉に、何を返せばいいのか分からずにいた。

 全て彼女の言う通りで、何一つ間違いはなかったから。

 

「結婚しようって言うのも突然で、ロンドンに旅行に行こうって言うのだって突然で、それに――」

 

 彼女は最後まで口にせずにさめざめと泣いた。

 カフェテリアの店員を含む何名かが、ミサトを慰めにやってきたが、その全ての人が僕のことをとことんまで無視した。

 僕はまるで世界中の人に軽蔑をされているみたいだった。

 泣きやんだミサトは、一人でお会計を済ませてしまうとカフェテリアを後にした。

 

 ☆

 

 僕たちはロンドンの街並みを当てもなく歩いた。

 あてもなくとは言っても、ミサトはまるでこの町を詳しく知っているかのように淀みなく足を進め続け、時折立ち止まっては心苦しそうに、そしてどこか懐かしむように視線を向けていた、

 

 そして『グローブ座』の劇場の前を通った時、ミサトは一人呟くように言った。

 

「ほんと、こんなはずじゃなかったのに。私はハッピーエンドの物語しか好きじゃないって、あれほど言ったのに。ほんと、バカなんだから」

 

 ミサトとは良く二人で映画を見たけれど、彼女は本当にハッピーエンドの物語しか好まなかった。

 僕はそんな彼女を『ハッピーエンド症候群』と呼んでよくからかった。

 

「バカにしないでよね。ほんと、後味の悪い物語を書く作家なんて全員もれなく死んじゃえばいいのに。シェイクスピアのなんか、地獄の一番底で永遠に苦しみ続ければいいんだわ」

 

 またしても過去の何かが『リフレイン』してきた。

 おそらくシェイクスピアの劇が数多く上演されたグローブ座の前だから、そんなことを思い出したのだろう。

 

 こうして『グローブ座』を眺めていると、僕自身もどうしてかとても懐かしい気持ちになった。まるで以前も二人でこうして『グローブ座』を眺めたことがるような。

 

 僕は言い表しようのない複雑な感情を抱いたまま、名残惜しそうに『グローブ座』を離れるミサトの後を追った。

 

 ☆

 

 最後にやってきたのは『ロンドン橋』だった。

 どうして最後だと思ったのかは分らないが、僕にはこの長い旅路の最後がこの『ロンドン橋』であることを理解していた。

 

 ここが僕たちの果ての果てなのだ。

 

 橋の下には『テムズ川』が流れおり、その川はどうしてか僕に『大英博物館』で見た絵画を思い起こさせた。

 

 船の上に悪魔が乗っていて、船に乗ろうとする客は悪魔に何かを渡そうとしていた。

 

 またしても過去がリフレインしてきた。

 

「行きと帰りの駄賃で、銅貨が二枚必要なのよ」

 

 ミサトは橋の欄干の前で机を広げている老婆の元を訪れていた。どうやら老婆は占い師のようで、ミサトは何かを占ってもらっているみたいだった。

 おそらく、これからの僕たちのことを占ってもらっているのだろう。

 

「ええ、はい。分ってます。いいかげん前に進むべきだって」

 

 ミサトは老婆に向かって何か曖昧な言葉を口にしていた。

 

「はい。過去にするべきなんです。だから、ここに来たんです――はい。銅貨は二枚持っています」

 

 彼女は頷くと立ち上がった。

 そして老婆の前を離れて歩き出した。

 

 僕もミサトの後を追おうとした時、不意に老婆に手招きをされていることに気がついて、老婆の元に足を進めた。

 

「おまえさん、もうあの娘を苦しめるんじゃないよ」

 

 老婆はしわがれた声で穏やかに言った。

 

「お前さんの気持ちも分かるよ。あの娘のそばについていてやりたいだろうさ。でも、あの娘はもう先へ進もうとしている。未来に向かって足を進めようとしているんだ。そして、その未来にはお前さんの席はない」

 

 僕は老婆の忠告に些か不愉快な気分になっていた。

 僕の席がないとは、いったいどういうことだろうと思った。

 

「お前さんは、もう川を渡って行かなきゃならない。行きと帰り駄賃はあの娘が払ってくれる。だから、安心してお行き」

 

 老婆に優しくそう告げらた時、不意に過去が『リフレイン』してきた。

 

「いい? 冥界へ続く『アケロン川』のカロンには銅貨を渡さなきゃいけないの。でも、もう一枚銅貨を持っていたら、冥界から帰って来れるのよ。これでハッピーエンドになるでしょう」

 

 ダンテの『神曲』の会話を交わした時、ミサトは確かにそう言っていた。

 体が弱く病気がちだった僕に、いつも銅貨を二枚持たせていた。

 

「ねぇ、入院しても必ず帰って来なきゃダメよ。ほら、行きと帰りの駄賃を持たせておくからね。憎たらしい死神に渡してやるのよ」

 

 おそらく、僕は死神に帰りの駄賃を渡してしまったのだろう。

 だから、今もここにいて――

 

 ミサトの隣にいる。

 

 僕は全てを思い出していた。

 今日まで、僕はミサトを苦しめ続けていたんだ。

 

「ねぇ――」

 

 ミサトは『テムズ川』を眺めながらそう呟いた。

 

「あなたがいなくなってから、私はずいぶん寂しい思いをしてきたのよ。でも、いつまでもあなたのことを思ってメソメソもしていられないものね? 私、もう行くわ」

 

 ミサトは涙ながらにそう言って、この過去を辿る『一人旅』の終わりを告げた。そして『テムズ川』に向って銅貨を二枚入れた。

 

 行きの駄賃と――帰りの駄賃を。

 

「ごめん、ミサト。僕ももう行くよ。君が前に進むと決意したみたいに、僕もいつまでここにはいられない。今君が投げた駄賃は――僕とミサトが先に進むための物だったんだね?」

 

 僕が言うと、ミサトはまるで僕に気がついたみたいに当たりを見回した。

 だから、僕は最後の言葉を口にした。

 川を渡り切ってしまう前に。

 

「ミサト、幸せになってほしい。そして、今日までありがとう」

 

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