衛宮は司馬秦から情報を引き出して車に戻り、運転席に腰を下ろして息を吐いた。
「衛宮、大丈夫か?」
後部座席で作業をしていた一郎が心配そうに尋ねたが、衛宮は言葉を返さずに手を上げて「平気だ」と応えた。
衛宮自信、すでに心身ともに限界に達していた。
昨日から一睡もしておらず、逃亡と戦闘の連続で神経は極限まで擦り減っていた。肉体の疲労と損傷は激しく、本来なら今直ぐにでも病院で治療が必要だった。傷ついた肉体は車内にあった医療キットで応急処置を施し、痛み止めを打つことで何とか乗り切っていたが、それも限界に近かった。
瞼を閉じれば、すぐにでも深い眠りにつくことができた。一度でも緊張を途切れさせたら、二度と身体が動かないことも分かっていた。
だから、衛宮は必死に神経を研ぎ澄まして、緊張の糸を保ち続けることに専念していた。
片や一郎も一睡もせず、愚痴の一つも零さずに作業を続けている。今は、アラン・リーから回収したフラッシュメモリとノートパソコンの中に残った情報の解析を行っている最中だった。
衛宮は目的の場所に向おうと車のエンジンをかけた。
その時、一郎が後ろから声をかけた。
「衛宮、お前当てにメッセージが届いたぞ」
「読んでくれ」
衛宮は特に驚いた様子もなく、アクセルを踏んで車を出した。
このアドレスを知っているのは鹿島だけだった。戦略捜査室の捜査が手詰まりになれば、いずれ連絡が来るだろうと読んでいた。
「お前と連絡を取りたいって言っている。鹿島って人じゃなくて……敷島って人がこのメールを送らせたみたいだ。知り合いか?」
「ああ」
衛宮は頷いた。
「どうする、連絡を取るか?」
「通話にはスクランブルをかけてくれ。まだこっちの位置は知られたくない。会話はスピーカーフォンに」
「分った」
一郎は通話に逆探知をされないスクランブルをかけた後、指定された電話番号に電話をした。
「――敷島だ」
男性の低い声が社内に響いた。
「お久しぶりです、敷島さん。衛宮です」
衛宮は運転を続けたまま、畏まった調子で言った。
「蔵人、久しぶりだな」
「はい。このような形でのご連絡になってしまい残念です。不知火のことは……本当に申し訳ありませんでした」
衛宮は表情を曇らせた。
「不知火のことは気にするな。お前にもどうしようもなかったことだ。お前に連絡をした意味を分かっているな?」
「はい。テロ攻撃の事ですね?」
「そうだ。こちらは鹿島と響が同席している」
「こちは、マトリクス社の鈴木一郎が同席しています」
一郎は急に名前を出されて緊張した。
「率直に聞く。お前はまだ独自に捜査を続けているな? どこまで掴んでいる?」
「婁圭虎に無人機を強奪され、次の攻撃が行われようとしている」
衛宮は特に探りを入れるようなことや、駆け引きをすることなく知っている情報を口にした。
「その情報をどうやって掴んだ?」
「僕たちは、マトリクス社でテロ攻撃に関するプログラムを作成したプログラマーを特定し、後に拘束して情報を吐かせました。彼は無人機を乗っ取る装置を製作したと供述し、外部の協力者から無人機に関する情報を得たとも言っていました。証拠も掴んでいます」
「次の攻撃に関する事は聞き出せたか?」
「いいえ。しかし――司馬秦というブローカーから婁圭虎に関する情報を得ることができました」
「司馬秦? どうやってその男を拘束した?」
「今は、そんなことに時間を割いている場合じゃないはずだ。この事件が解決したら全てお話しします」
「二人を拘束しているのか?」
「二人とも死にました」
その言葉に、短い沈黙が訪れた。
「僕に連絡をしてきたということは、戦略捜査室の捜査は行き詰っているということでしょう? そっちこそ、どうなっているんですか?」
衛宮はズバリ言って尋ねた。
「我々は、テロ攻撃に関する全ての捜査から手を引くように言われている。実質、捜査は行われていない」
敷島の悔しさの籠った言葉を聞いた衛宮は、信じられないと首を横に振った。
「何でそんなことに……事態を掌握していたんじゃないんですか?」
「我々はテロリストのアジトを襲撃し、これ以上のサイバー攻撃が行われることを防ぐことには成功した。だが……アジトに婁圭虎の姿は無く、すでに無人機を乗っ取られた後だった。これまでの捜査で二次攻撃が行われるという情報は掴めておらず、完全に我々の落ち度だ」
敷島が申し訳なさそうに言い、衛宮は一体どうしてその可能性を見落としていたのかと疑問に思った。
しかし、その事は口にしなかった。
「その後、婁圭虎から葛城首相に要求があった」
「要求?」
「テロリストの要求は二つ。一つは羽田空港に民間の航空機を用意させ、無事に国外へと逃亡させること。もう一つは、テロ攻撃に関する全ての捜査から手を引くことだ」
「内閣総理大臣は……その要求を呑んだんですか?」
「そうだ。葛城首相がご決断なされた」
衛宮は「なんてことだ」と表情を歪めたが、葛城首相の決断自体は仕方のないことだと納得した。
これ以上のテロ攻撃は、何としても防がなければならない。そして、現状捜査に有力な手掛かりがいない以上、テロリストの要求を呑んで時間を稼ぐのは最善ではないは悪手でもない。
しかし、衛宮にはそれが間違った決断だと断言できた。
「敷島さん、その要求は捜査の目を逸らすためのフェイクです。婁圭虎は民間の航空機を使って逃亡するのではなく、貨物船に紛れて国外へ逃亡する気です」
「その情報は正しいのか?」
「はい。司馬秦から直接聞き出しました。それと、もう一つ重大な情報を聞きました」
「重大な情報とは?」
「政権内に婁圭虎の協力者がいます。協力者は一人だけでなく複数いて、郭白龍の利権ビジネスの恩恵を受けていた者たちです。婁圭虎はその者たちの協力を得て、今回のテロ攻撃を計画しました」
衛宮のその言葉と事実は戦略捜査室に大きな衝撃を与えたようで、しばらく沈黙が訪れた。
「……協力者の名前を聞いたか?」
「はい。ですが、今は伏せておきます。これが表に出れば、間違いなく国家が揺れる。然るべき時、然るべき人間の口から国民に知らされなけばなりません」
衛宮は理解を求めるように言って続けた。
「司馬秦は婁圭虎がリストを持っているとも言っていました。奴を捕らえれば、そのリストを元に協力者たちの摘発もできるでしょう。敷島さんには、その準備をしておいてもらいたい」
「分った……いいだろう。それで、お前は婁圭虎の居場所も知っているんだな?」
敷島は衛宮の口ぶりからそれを察して尋ねた。
「はい。今向っています」
「我々にも協力をさせてほしい。少数の部隊を送ることならできるだろう」
「申し訳ありませんが、それはできません」
衛宮はその提案を一蹴して却下した。
「何故だ? お前一人で解決できる問題ではないことは分っているはずだ」
「はい。ですが……僕は戦略捜査室を信用していません。婁圭虎の協力者は、おそらく各省庁や警察内部、情報機関にまで入り込んでいます。戦略捜査室が部隊を動かし作戦の通信を行えば、婁圭虎に気づかれる恐れがある」
「だが――」
「これが、このテロ攻撃を防ぐ最初で最後のチャンスです。それを無駄にはしたくない」
衛宮がはっきりと言うと、敷島は押し黙った。
衛宮は、自分の恩人にこのような物言いをしてしまったことに胸を痛めていたが、これ以上の危険は冒せないと自分に言い聞かせた。
「敷島さん、僕の方からお願いがあります」
「何だ? 聞こう」
「はい。婁圭虎は間違いなく大規模な攻撃を企てています。攻撃を防げるという保証はありません。場合によっては、無人機を打ち落とす必要が生じます」
「分っている」
「だから、無人機撃墜の命令が直ぐに発令できるように、葛城首相とのホットラインを用意しておいてほしいんです」
「分った、用意しておこう。すでに航空自衛隊の戦闘機が待機している。鹿島、秘匿回線を用意しておけ」
「了解」
鹿島が頷いた。
「他に何かできることはあるか?」
「いいえ。それだけす」
衛宮はそこで通話を切ろうとした。
「衛宮君、私が単独であなたの作戦に参加するわ。それなら文句は無いでしょう?」
響直海が通話に入り込み、提案を行った。
「ナオミ? いや、その必要はない」
衛宮はその提案を退けた。
「いいえ、必要なはずよ。あなたは負傷している上に装備も十分じゃない。作戦の成功率は限りなく低い。分っているでしょう?」
「それは認めるよ。だけど、これ以上の危険は冒したくない」
「いい? 良く聞きなさい――」
響は衛宮の言葉を遮って続けた。
「私はこれより戦略捜査室との連絡を絶つ、それであなたと合流して作戦の支援を行う。蔵人、私を信じて。ずっと、あなたの背中を守ってきた。今回だってそうよ」
衛宮はかつての相棒の提案を呑むべきかどうか迷った。
響の言っていることは事実だった。
装備も支援もない状況では作戦の成功は低く、ほとんど自殺行為と言っていいようなものだった。
「――分った。五分後、お前の端末に集合位置と作戦内容を送信する。それまでに準備を整えておいてくれ」
衛宮はそう決断して言った。
「了解。室長、構いませんね」
響は敷島に確認した。
「ああ、響捜査官の隠密行動を許可しよう。全ての責任は私が取る。お前たちはテロリストの確保とテロ攻撃の阻止に専念しろ」
「了解」
「了解」
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