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青い春をかける少女~30話

30 月に向って

 

kakuhaji.hateblo.jp

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 その日、私は夏期講習の手続きをした。志望校のランクを上げ、都内で有名な吹奏楽部がある高校に目標を絞って、そこに向けて受験勉強をしていくことに決めた。

 今の私の学力では合格ラインには程遠く、これから死に物狂いで偏差値を上げたとしても、ぎりぎり合格できるかどうかという際どい志望校だったけど、不思議と不安や迷いはなかった。

 

 長い間連絡を取っていなかったピアノの先生にも連絡をした。受験が終わったら、もう一度ピアノを教えてほしいと私が願い出ると、情けなく逃げ出して、みっともなく戻ってきた教え子に、ピアノの先生は言ってくれた。

 

「待ってたわよ。来年、高校に合格したらまたいらっしゃい。今度は、毎日逃げ出したくなるぐらい厳しく行くから」

 

 そして、私たちの小さなジャズ・バンド“南方郵便機”は、来週“夜間飛行”で行われる初ライブをもって活動休止となる。全員の受験が終わり進路が決まるまでは、三人で集まることはないだろう。

 とはいっても、ハニーはスポーツ推薦ですでに進学先は決まっているようなものだし、アイリーンも指定校推薦をもらえるという話なので、明確に進学先が決まっていないのは私だけということになる。

 アイリーンは、指定校推薦のない名門の進学校に受験するつもりらしいので、推薦には興味ないとの話。

 

 今までなら、そのことに私は焦りや不安を抱いただろうし、劣等感のようなものに苛まれただろうけど、今はそのような感情に心を乱したり振り回されたりもしなかった。

 

 私は、しっかりと前に進んでいくんだという断固たる決意があった。

“南方郵便機”の初ライブを最後に、私が“夜間飛行”に通うこともなくなる。

 少なくとも受験が終わるまでは“夜間飛行”に顔は出さないという約束を、ハルキさんと交わした。

 

「ハルキさん、急にごめんなさい」

 

 私が謝ると、ハルキさんはニッコリと笑ってくれた。

 

「ハルちゃんと会えなくなるのは寂しいけれど、ハルちゃんは一番良い選択した。自分の人生をスイングさせるために、今はしっかりと学びなさい」

「はい。受験に合格したら、ハルキさんに一番に知らせます」

「楽しみに待っているよ。その時は、とびきり甘いコーヒーとベーグルサンドをごちそうしよう」

 

 私の受験が終わり無事に高校に進学したら、私はもう一度“夜間飛行”で働くだろうか? 

 それともお客様として通うだけになるだろうか? 

 

 今は分からない。

 

 それでも、これから先もずっと“夜間飛行”は、私にとって特別な場所であり続けるだろう。

 それだけは、いつまでも変わらない。

 

 ここ数日間で、私の周りでは色々なことが持ち上がり、私の生活の色々なことが変わってしまった。

 けれど色々と変わっていくことを、私は受け入れることができるようになっていた。

 

 夕食の際、お母さんとお父さんにそのことを報告すると、二人は分かったと頷いてくれた。

 夕食が終わった後、私は縁側に腰を下ろすお父さんの隣に座った。父は、弟の日課であるバットの素振りを監督しており、時折素振りについてアドバイスなんかをしていた。

 

 夜空には、綺麗な満月が上っていた。母が切ったスイカを縁側に持ってきてくれて、私は父と並んでもくもくとスイカを食べた。 しゃりと鳴りながら口の中に広がるスイカはとても甘く、ああ夏が来たんだなってことを実感させてくれた。

 足元から上ってくるお線香の煙の香りや、蝉の鳴き声が夏の色を鮮明にしていた。

 

「今日のハルは、なんだか晴れやかな顔をしているな。悩み事は解決したのか?」

 

 父が静かに尋ねた。

 私は静かに首を横に振った。

 

「ううん。何も解決してない。でもね、それでいいんだって思ってら、少しだけ気が楽になったの。いろいろ心配かけてごめんなさい」

 

 私の言葉に頷いた父は、そっと夜空の月を見上げた。

 

「父さん、ずっとプロ野球選手になりたかったんだ。高校生の頃はけっこうなプレイヤーで甲子園にも出場した。だけど肩を怪我して野球ができなくなった」

 

 父は急に昔話をはじめた。

 寡黙な父にしてはとても珍しいことで、私は驚きながらも、すぐに父の話に真剣に耳を傾けた。

 

「目の前が真っ暗になって、どうしていいのか分からなくなった。急に何もかもがどうでもよくなった。今まで野球しかしてこなかったから、今さら他のことをやれと言われても、すぐには思いつかなかった」

「それで、お父さんはどうしたの?」

 

 間を開けた父に私は尋ねた。

 

「ハルと一緒だ」

「私と……一緒?」

「“月に向かって打て”。父さんの好きだった野球選手が、コーチに言われた言葉だ」

「月に向かって打て?」

「ごちゃごちゃ考えずに、とにかく月に向かってバットを振れってことだな。だから父さんもごちゃごちゃ考えずに、とにかく今できることを月に向かってやろうって思ったんだ。それから何をやる時も、自分は月に向かってやるんって自分に言い聞かせた」

「ごちゃごちゃ考えずに月に向かってやる……か」

 

 私は言いながらくすくすと笑ってしまった。

 それは、私が前に進むんだと決意したこととあまり変わらないことだった。

 私は、ちゃんとお父さんの娘なんだなった思った。

 

「お父さん、ありがとう。私も月に向かってやってみるね」

 

 私とお父さんはスイカを片手にして、二人で夜空の月を見上げていた。

 

「あー、俺もスイカ食べたい」

 

 素振りを終えた空が私たちと並んで、家族四人で縁側でスイカを食べた。

 

 

 素敵な夏が来たみたいだった。

 

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