仕事をやめるたった一つのやり方~27話
第27話 お前は面白い男だよ
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「危機管理のコンサルタントだっていうのは……本当だ。まぁ、ぜんぜん儲かってなかったし、そもそも商売にもなっていなかったけどな」
そこまで言うと、衛宮は顔を歪めて額に手を当てた。
「どうした……大丈夫か?」
一郎が心配して尋ねると、衛宮は「大丈夫」だと首を横に振った。
「いや……『レクサス』のローンがまだ残っていたことを思い出しただけだ。それにスーツも新調したばかりだった……吐きそうになってきた」
衛宮は今日起きた数々の出来事の中で、最も悲惨な出来事のよう言った。
「ごめん。俺のせいでこんなことになって」
「気にするな。話の続きをしよう――危機管理のコンサルタントを始める前、僕は国内の捜査機関で働いていた」
「捜査機関?」
「ああ。以前、警察関係の政府機関で働いていたって言っただろ? 『国家安全保障局』って知っているか?」
「国家安全保障局? ニュースで聞いたような気がするけど……正直ここ数年はまともにニュースなんて見てないから、良く分らなないな」
「国内初の諜報機関。『スパイ組織』って奴だ」
「スパイ組織?」
「ハリウッド映画とかで見たことあるだろ? 『CIA』とか『NSA』。それの日本版みたいなものだ」
「ああ、何となく分ったよ」
一郎は頷いた。
「僕が働いていたのは『国家安全保障局』の一班で、国内で起きるテロ事件を専門扱う部署。『国家安全保障局第七班・戦略捜査室』」
「戦略捜査室?」
イチローは聞き慣れない言葉を反芻した。
「そうだ。通称NSI。戦略捜査室は諜報機関であると同時に、警察権や捜査権を持った捜査機関でもあり、国家安全保障局内にある七つの部署の中で――唯一現場での指揮権を持った組織だ」
衛宮が組織の説明を始め、一郎は一語も聞き逃さないように耳を傾けた。
「内閣総理大臣が国内でテロ事件が起こる可能性があると判断すれば、戦略捜査室はテロ事件に関する全ての捜査の指揮権を委譲され、警察や情報機関を含む関係各省に指揮を出す権限が与えられる」
「お前、そんなすごい組織にいたのか?」
一郎は驚いた。
「ああ、半年前までな」
「辞めたのか?」
「いや、クビなったんだ」
「クビ……どうして?」
その問いに、衛宮はなんて答えたものかと言葉に詰まった。
「そうだな。イチロー……半年前のテロ事件を覚えているか?」
「半年前のテロ事件って……『六本木ヒルズ』で起きた事件の事か?」
「そうだ。あの事件だ」
「知っているって言っても……ニュースを少し見たぐらいで、詳しいことは何も知らないよ」
「そうか」
衛宮は深く頷いた後、ゆっくりと続きを口にした。
「あの事件の捜査を指揮していたのも、戦略捜査室だった。僕は現場の捜査官で、あの事件現場にいた」
「じゃあ……お前が解決したのか?」
「まぁ、結果だけを言えばそうなるな」
衛宮は複雑な表情を浮かべた。
「お手柄じゃないか。どうしてクビになんかなるんだ?」
「簡単だ。僕はあのテロ事件の捜査で命令違反を繰り返し、ありとあらゆる法律を破った。法律だけならまだしも、常識や倫理と言ったものも踏み越えた。まともに始末書を書いていたら……千枚以上には上っていただろうな」
「何をしたんだ?」
一郎は今日一日に間近で見続けてきた衛宮の、メチャクチャで規格外なやり方を思い出しながら尋ねた。
「例を挙げればキリがないさ。命令違反、独断専行、令状無視の捜査、不許可の発砲、拷問。とにかく何でもやった。六本木ヒルズを占拠したテロリストは、ビル内に爆弾を仕掛けていて、人質に爆弾ベストを着せていた。法律に則ってやっていたら、人質は間違いなく全員殺されていた」
「だったら、お前は正しことをしたんじゃないか?」
「いや、正しくはないさ。僕は犯人以外にも無実の市民を二人射殺し……味方だった警察官も殺した」
「……そんな?」
一郎は想像以上に壮絶な告白にたじろいだ。
「それに、テロリストの恋人だった女性を交渉材料にした。最終的には、その女性を拷問した――」
衛宮はその壮絶で凄まじい話をただ淡々と口にした。
感情を差し差し挟む余地もなく、ただ事実だけを列挙した。
「何でそんなことをしたんだ?」
一郎は意味が分らないと尋ねた。
「必要なことだった。現場には百名を超える人質がいて、時間が迫っていた。僕は大勢が助かる判断を下したんだ」
「でも、だからって……」
一郎はその先の言葉を呑み込んだ。
衛宮の表情に苦渋の色が浮かんでいた。
一郎は、きっと自分には考えもつかない何かがあったのだろうと察した。
「テロリストに法律は通用しない。常識も道徳も倫理も存在しない。奴らは目的を達成するためなら何だってする。テロに対抗するには、テロリストと同じやり方をするしかない。何だってする必要がある」
その真に迫り過ぎた言葉に、一郎は何も言葉を返すことができなかった。
一郎は思った。
今日一日をここまでやり過ごし、何とか生き延びることができたのは、衛宮の言う通り必要なことは何だってしてきたことの結果だった。
それが正しいか正しくないは別にして。
「まぁ、詳しいテロ事件の内容は表には出なかった。僕も裁判にかけられたり、刑務所にぶち込まれるようなことは無かった。無罪放免の代わりに、僕は仕事を辞めることになった」
「良かったじゃないか。きっとお前のことを庇ってくれたんだよ」
「いや、違うな……」
衛宮は首を横に振って続けた。
「政府も戦略捜査室も、真実が表に出るのを嫌ったのさ。僕がやったことが表沙汰になれば、間違いなく政権を揺るがすスキャンダルになる。戦略捜査室の存続にも関わっただろう。それを防ぎたかったんだ」
衛宮はやれやれと言った感じて天井を仰いだ。
「でも、そのおかげでお前は罪に問われなかったんだろう?」
「僕は罪に問われたって構わなかった。裁判で洗いざらい話すつもりだった。その上で日本国民が判断すればいいと思った」
「判断って、何を?」
「テロを防ぐためには――ありとあらゆる手を、どんな手だって講じなけれないけない。その事を、この国の全員が知るべきだと思ったんだ。このままだと、この国はいつか巨大なテロに巻き込まれる。いや、もう巻き込まれている」
衛宮はうんざりと言って溜息を吐いた。
二人の脳裏に、今日起きると言われているテロ攻撃が過った。
「この国は、少しばかりお花畑過ぎるんだ。戦場の最前線から遠ざかり過ぎて、物事を正確に判断する術を失っている。戦場の前線に立てば、否応でも判断を求められる。常に判断の連続だ。僕は現場でその判断をしただけだ。敵を倒し、多くを助ける判断を――」
そこまで言って、衛宮は口を噤んだ。
少しばかり話し過ぎた。そう言いたげな表情を浮かべていた。
一郎もこの話はこれ以上聞かないことにした。
「じゃあ、お前はマトリクス社を捜査してたんじゃなく、僕を利用したわけじゃないんだな?」
「いや、マトリクス社の調査はしていた――」
衛宮は一郎の問いに首を横に振って続けた。
「以前、国家安全保障局が独自に調査したテロの脅威判定で、テロリストに繋がりがある可能性がある――またはテロリストに目を付けられやすい企業のリストに、サイバー・マトリクス社の名前が挙がっていたんだ」
「うちの会社が……そんな?」
「僕が戦略捜査室で働いた時、何度もマトリクス社の内偵をするべきだと提案したんだが、それは結局許可されなかった。だからコンサルタント業の傍らに、僕個人でマトリクス社を調査していた」
衛宮はそこまで言った後、一郎から「助けてほしいと」電話が来た時にホテルで会っていた女性が、マトリクス社の社長秘書だったことを思い出した。
これは一郎に話さないで置こうと、衛宮は思った。
「じゃあ、あの『電気羊』で僕に声をかけたのも……やっぱり調査の一環だったのか? 僕を利用しようとしていたのか?」
傷ついたように声を震わせる一郎を見て、衛宮はにやりと笑みを浮かべた。
「いや、さすがにそれは自意識過剰すぎるぞ」
「自意識過剰だって?」
「深夜のバーで飲んだくれている派遣社員ごときが、まさかテロリストの手掛かりに繋がっているだなんて思いもしないだろ? だから、お前から助けてほしいと連絡が来た時、僕は本当に焦っていたんだぜ?」
衛宮にそう言われて、一郎は安堵のため気を付いた。
「じゃあ、どうしてバーで僕に話しかけたりしたんだ?」
「さぁな。何となく、お前が面白そうだったからだよ。話してみたらやっぱり面白かった。だから……無事でいてくれて良かった」
「えっ、衛宮?」
一郎はどうしてか泣きそうな気持になっていた。
そう思った時には泣いていた。胸の裡に溜まっていたものが全て流れ出していくかのように、一郎は大粒の涙を零していた。
「そうか……良かった。衛宮、ありがとう。お前のおかげで……俺はこうして生きてるんだな。お前が来てくれなかったら……俺は死んでた。本当にありがとう。衛宮、ありがとう――」
子供のように泣きながらお礼を言い続ける一郎を見た衛宮は、鳩が豆鉄砲を喰らったような素っ頓狂な顔をした後、くすくすと笑った。
「ほんと、お前は面白い男だよ。退屈しなくて済む。おい、あんまり近づくなよ、鼻水が付くだろ」
「そんなこと言うなよ。こんなに感動してるんだから――」
「感動なんかしなくていい。それより、まだ無事にこの危機を乗り越えたわけじゃない……もう少し緊張感を持ってくれ。少なくとも迎えが到着するまではしっかりしてろよ?」
衛宮は突き放すように言ってはみたが、まんざらでもない気分で一郎の謝意を受け取った。
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