東京郊外の建設中のビル。
長い間工事が止まったままのこのビルは、表向きは建築を依頼した会社と建設会社との間で、契約上のトラブルが発生したといことになっている。
しかし、その実態はテロリストが潜伏する為に造られた要塞であり、今日行われるテロ攻撃の拠点だった。テロを行うための武器や機材の搬入から、車両や人材の手配まで――この要塞の全てを差配したのは、シンという名のブローカーだった。
そんなテロリストの総本山では――日本国内に潜伏したテロリスト、かつては郭白龍の私兵だった特殊部隊『蛟竜』のメンバーが、深夜にも関わらず忙しく作業を行っていた。
仕切りの無い広々としたフロアには、幾つものコンピュータやモニタ、サーバなどが剥き出しのまま置かれている。フロアのいたるところには大小様々な配線が張り巡らされおり、虎穴というよりは蜘蛛の巣と言った雰囲気を醸し出していた。
蛟竜の指揮官であり、本日行うテロ攻撃の首謀者でもある婁圭虎は、これから行うテロ攻撃の指揮を取るに当たって、不備は無いかと考えを巡らせていた。
こめかみに指を当て、鋭い目を細めて現状を再確認する。
すでに不測の事態は起こっていた。
『サイバー・マトリクス社』の件がこんなにも早く露呈してしまったことは、完全に想定外だった。
さらに、テロの情報を偶然知り得たマトリクス社の社員・鈴木一郎は逃亡し、テロに加担していた鳩原は死亡こそしたものの、情報は漏らしているだろうと――婁圭虎は考えた。
しかし寸前の所で鈴木一郎と、彼の逃亡に加担をしていた男を捉えることには成功していた。
拷問で得た情報が正しければ、捕らえた二人はまだ警察などの捜査機関に情報を伝えてはおらず、このテロ攻撃の破綻を水際で食い止めたことになる。
しかし、婁圭虎は計画の破綻の匂いを感じ取っていた。
「同士婁、残念ですが非常に悪いニュースです」
婁の目の前に、長い黒髪を一つに束ねた男性が現われて言った。
黒いスーツに黒いシャツ、黒のネクタイをした小柄な男で、糸のように細い目と、白い面のような顔を持っていた。
その不気味な男は、婁圭虎のことを同士と呼んだ。
「悪いニュースとは?」
常に笑みを浮かべたような表情をしている男を睨みつけながら、婁は猛獣の呻き声のように獰猛な声音で尋ねた。
「鈴木一郎ともう一人の男が逃げました」
「シン、貴様は先ほど二人を拷問して口を割らせ、殺すようにと指示を出したと言っていたはずだが?」
婁は目の前の男性をシンと呼んだ。
そして座っていた椅子から立ち上がり、目の前の小柄な男を見下ろした。
人民服を纏った長身の婁は、まるで小人を捻り潰す巨人のような威圧感を放っていた。
「はい。先ほどまでは事態を掌握できていたのですが、状況が変わったようです」
シンは、物々しい雰囲気の婁を前にしても一向に怯んだ様子もなく、笑みを浮かべたような顔のまま穏やかにそう告げた。
このシンという男は――長年、日本と大陸側のと橋渡し役を担い、武器の密売・密入国を取り仕切るブローカーを生業としてきた。そして国内の中国マフィアを束ねる顔役でもあった。
そんな彼にとっては、この程度の事態は取るに足らないことだった。
このシンという男は、権力や暴力といった強大な力を常に目の当たりにし、その力の中を渡り歩いてきた。
虎を手懐けるが如くが、自分の本分でもあるとさえ思っていた。
「恐らく……私の手のものは全て殺されているでしょう? 私のことも話してしまったかもしれない。同士婁、私にとってもこの事態は歓迎すべきものではありません」
「貴様の失態で、この先使うはずだった兵が次から次に失われている。どう落とし前をつけるつもりだ?」
婁は静かに尋ねたが、その質問は多くの危険を孕んでいた。
答えを間違えれば、死につながるような危険さだった。
「私の失態? いいえ。これは婁、あなたの失態です」
しかし、シンは臆した様子もなく軽々と言ってのけた。
「私の失態だと?」
「はい、同士婁。あなたが鵜飼などという男を計画に引き入れたことが、そもそもの失策なのです。私はその尻拭いをさせられているに過ぎません」
婁は懐から銃を取り出し、それをシンの眉間に突き付けた。
「貴様は良く口が回る。だが、その口が災いの元であることも知っておくべきだ」
「もちろん知っています。『雄弁は銀、沈黙は金』と言いますから。私は商売人です。雄弁も沈黙も使い分ける。金も銀も好きですから」
シンは肩を竦めて続けた。
「婁、私をここで殺すのは構いませんが、そうなればあなたは日本国内での後ろ盾を失います。テロ攻撃を行うにも、その後の逃走を果たすにも、これからの商売にも――この私の力が無ければ果たせません。同士、婁よ。今一度ご一考を」
微笑を浮かべてそう言い放ったシンは、突きつけられた銃など物ともしていなかった。
婁は静かに頷いた。
「――いいだろう」
そして、婁は銃をしまった。
シンは拳を掌で包んで頭を下げた。中国武術の包拳礼と呼ばれる仕草だった。
「ありがとうございます」
「雄弁を使ったらには、何か情報を掴んでいるんだろうな?」
「はい。鈴木一郎の逃亡に手を貸している者なのですが……どうやら衛宮蔵人という男のようです」
「衛宮蔵人?」
「はい。かなり厄介な人物だと承知しています」
「厄介では済まない男だ。こちらにとってはNSI以上の脅威となるだろう。事件を解決するためなら、この男はどんな手でも使う」
「如何様にいたしますか? すでに追ってを放っておりますが、未だ足取りは掴めておりません」
「私の兵を使う。お前は今後のテロ攻撃に備えろ」
「かしこまりました」
シンが去って行くと、婁は再びこめかみに指を当てて事態を再確認し始めた。
状況を分析し、作戦の成否を判断し直す。
衛宮蔵人が事件に介入し、今現在鈴木一郎と逃走を続けいるとすれば、事態のさらなる悪化は間逃れず、計画の破綻は早晩起きるだろう。
婁圭虎は考える。
おそらく、衛宮蔵人は知り得た情報をNSIに報告している可能性が高い。捜査の手が開発室と鵜飼に延びるのは時間の問題であり、そうなれば早晩このテロ計画の全貌は露呈する。
「奴がこれ以上事態に介入する前に、手を打っておく必要があるな――」
婁は牙を剝き出して衛宮蔵人に襲い掛かることを決めた。
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