「――響直海よ」
『戦略捜査室』のデスクで情報に目を通していると、不意にデスクの電話が鳴ったので――響直海は電話に出た。
「ナオミ……僕だ」
「――衛宮君?」
響は聞き覚えのある声に驚いたが、直ぐに当たりを見回して小声になった。
そして室長室の方を見て、電話先の相手に気が付かれないように細心の注意を払った。
「あなた、一体どこにいるの? それに何をしているわけ?」
「僕たちの状況は掴んでいるな?」
電話先の相手はいきなり話を始めた。
「ええ。首都高速で犯人グループに拉致された。その後の足取りは掴めずだったけど、今分ったわ。で、無事なの?」
「今まで横浜の工場で監禁されていたが……何とか脱出した。現在逃走中だ」
「追っては?」
「今のところはない」
「ないって……犯人グループはどうしたわけ?」
「全員死んだ」
その簡潔な言葉に、響は表情を硬くした。
「殺したのね?」
「拷問されたんだ。そうするしかなかった」
「そうするしかなかったって……そもそも、あなたは何をやっているわけ?」
「分ってる。僕だって巻き込まれたんだ。後で説明する。それより……今から僕が言う場所に現場チームを派遣しろ。犯人グループが使っていた工場だ。何か手がかりがあるかもしれない」
衛宮が場所を伝えると、響はそれをメモして端末で検索を始めた。
「犯人グループは『シン』って男から依頼を受けていた」
「シン? それだけ?」
「大陸側との橋渡し役で、武器密売や密入国のブローカーだ。今日起きるテロにも関わっている」
そこまで聞いて、響は額に手を当てて溜息を吐いた。
そして頭痛の種を取り除くように続けた。
「……あなた、テロの情報をどこから手に入れたのわけ? それと、あなたが逃走に手を貸している鈴木一郎は、テロにどう関わっているの?」
響は、今度は自分が聞く番だと衛宮に尋ねた。
「彼は、今回のテロに関する会話をたまたま耳にした。それで犯人グループに追われることになった。僕は彼から助けてほしいと頼まれ、それで逃走に手を貸した」
「マトリクス社に襲撃をかけて、彼の上司を拷問することが逃走に手を貸す?」
響は二人の繋がりには疑問を挟まないことにした。
「鳩原の供述が必要だった」
「どうしてNSI(戦略捜査室)に報告をしなかったの?」
「その時点では、NSIはマトリクス社を捜査する権限がなかっただろ? 時間との勝負だった。証人を確保する必要があった」
「でも、結局鳩原は殺された。それに……あなたがこの事件に介入してから、もう十人以上の人が死んでいるのよ。分ってるの?」
そして、これからさらに死体の数は増える。
これから現場チームを派遣する工場の登記簿や見取り図を眺めて、響はそう思った。
明らかに、まともな目的で使用されている倉庫で無いことは明白だった。
「分ってる。テロを防ぐためだった」
「テロを防ぐ? それは、あなたの仕事じゃない」
響ははっきりと断言し、衛宮を説得するように続けた。
「いい、衛宮君? 今のあなたは、ただの民間人なのよ。今日あなたがした数々の事は間違いなく犯罪で、あなたは人を何人も殺してる。半年前とは違うのよ? 私たちはもう……あなたを庇うことはできない」
「分っている」
衛宮もはっきりと断言して続けた。
「これが終わったら、僕は必ず出頭して裁きを受ける。だから、今は僕の話を聞いて捜査を進展させろ」
響はもはや何を言っても無駄だと理解し、苛立ちともに頭を強くかいた。
それは彼女がストレスを感じた時に行う自傷行為の一つで、他にも指の爪を噛んだり、皮膚を強く掻いたりする。
そのため、彼女の指先はいつもボロボロだった。
響は「ちっ」と舌打ちをした。
彼女は明らかにこの状況を歓迎していなかった。こちらの捜査に都合が悪すぎるとさえ感じていたが、今は衛宮蔵人の言葉に耳を傾けるしかないと判断した。
「……分ったわ。それで、そっちの情報は? 私たちに何をしてほしいわけ?」
「マトリクス社にチームを派遣しているな?」
「ええ。現場チームと分析チームがいるわ」
「分析チームを総動員して、『システム開発部』を調べさせろ。開発室の室長の鵜飼って男を徹底的に洗え」
「鵜飼? テロとの繋がりは?」
「鵜飼は鳩原を使って社内に技術者を招き入れ、開発室で何かを作らせていた。現在の鵜飼の行方は分らず、明日アメリカに出張に行くことになっているが、おそらくフェイクだろう」
「鵜飼省吾。この男ね」
響は端末でマトリクス社の情報にアクセスし、衛宮の情報とのすり合わせを行った。
「テログループはおそらく郭白龍の私兵部隊『蛟竜』で、リーダーは婁圭虎。僕たちを拉致した犯人グループの一人が、『明日東京がぐちゃぐちゃになる。人が住めなくなるような有様になる』と言っていた。かなり大規模なテロを計画しているはずだ」
響は衛宮の詳細な報告に驚愕した。
そのほとんどは、自分たち戦略捜査室がすで掴んでいた情報ではあったが――それらの情報は、戦略捜査室と『国家安全保障局』が、総出で捜査を行って得た情報ばかりだった。百名を超える職員、さらには各情報機関、警察を含む各省庁の協力による有力な情報のはずだった。
それを衛宮蔵人は、たった一人で突き止めていた。
さらに言えば、鵜飼省吾とシステム開発室に関しては、完全に戦略捜査室の捜査対象から漏れていた。
自分たちは重大な見落としをするところだったと、響は戦慄した。
「僕の持っている情報は、これで全部だ。そっちはどこまで掴んでる? 蛟竜と婁圭虎の所在は掴めているのか? 具体的なテロ攻撃については?」
今度は衛宮が国家戦略室の情報を掴もうと響に尋ねた。
「悪いけど、それをあなたに教える権限は私にはないわ。あなたの捜査はここでおしまいよ。ごくろうさま」
響は冷たく言って衛宮をあしらった。
「そうか。分った」
衛宮は仕方がないと納得した。
「それと、あなたと鈴木一郎には逮捕状が出てる」
「手が早いな。巻波さん辺りか?」
「ご名答。表情には出さないけど、相当あなたのことを忌々しく思っているわよ」
「あの人は規律に厳格だからな。僕とは水と油だ」
「あら、分ってるじゃない」
「敷島さんは何か言ってたか?」
衛宮は気まずそうに尋ねた。
「何も――」
響はそれを軽く聞き流して続けた。
「それで、うちに出頭するわけ? それともこのまま逃げ続ける気?」
「そうしたいんだが……おそらく出頭する前に追手がかかる。僕は負傷しているし、証人を保護してる……迎えを寄こしてくれないか?」
「迎えって……こっちも人手不足なよ?」
「NSIに連行されるなら、僕も直ぐに調書を受けられる。それに証人の調書に同席して無実を証明したい」
響は、衛宮の素直すぎる申し出を意外に思いながらも、まだかなり危険な状態に身を置いているのだろうと察した。
拷問されて傷を負っているという言葉に嘘はなく、実際かなり際どい状態であると見て取り、これならこれ以上こちらの捜査をかき回すようなこともしないだろうと判断した。
「分った。室長を説得する」
「助かる。場所は……そうだな? 羽田空港を近くの整備場。国が所有権を持っている『YB36A』の倉庫でどうだ?」
衛宮は、捜査機関が予め緊急時の避難場所に定めている倉庫を指定した。
「いいわ。そこに迎えを送る。一時間後でどうかしら?」
「ああ、頼む。この電話は破棄するから連絡は取れなくなる。上手く見つけてくれ」
「ええ。腕利きの捜査官を送るわ」
そう言って、響は電話を切った。
その後で、彼女は大きな溜息と共に、今得た情報の数々を精査し始めた。
その多くは信憑性に足るものであり、何より衛宮蔵人から齎されたという事実が、彼女の中で明確な信頼性を担保していた。
彼女は衛宮蔵人のことを思い返しながら、室長室へと向かっていた。
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