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iの終わりに~23話

iの終わりに(完結済み) 小説

第23話 ファミリーコンピュータ

 

kakuhaji.hateblo.jp

 第一話はこちらから読めます ↑

 

 全てが終わっていた。

 スナークたち、そしてディドルディドルは消えていた。

まるでお伽噺みたいに、子供たちを連れてどこかに消えてしまっていた。

ハックルベリー・フィンを連れて。

僕たちの冒険は終わっていた。

たった一人、僕だけが取り残されて。

 ものけの空になった発電プラントには、施設の外で子供たちから施しを受けていた“大人たち”が押し寄せていた。大人たちは施設内を徘徊して、食べ物や生活に使えそうなものを探し回っていた。まるで、薄汚い盗賊か、墓荒らしみたいに見えた。

ひどく醜くて、意地汚くて、みっともなかった。

 施設の隅っこで小さくなっていた僕に大人たちは何か口汚く罵ったけれど、僕の耳には何も聞こえなかった。僕の体を通り抜けて、どこか遠くの方へと消えてしまった。

「ここに座ってもいいでしょうか?」

 ひどく優しい声で尋ねられて、僕は顔を上げた。自然と顔を上げてしまった。

小汚い洋服に身を包んだ老人が、にっこりと笑って僕の隣に腰を下ろした。まだ僕が何も言葉を返さないうちに。どこから迷い込んだのか、ふてぶてしそうな三毛猫が老人の膝の上に座って“にゃー”と鳴いた。

「ご迷惑ですか、老人の顔なんて見たくもありませんかな?」

 老人は猫の弛んだ顎をごろごろしながら、とても丁寧に尋ねた。

どうやら、その猫は老人の猫みたいだった。猫が誰かのものになるなら。

「いやはや、あなたは他の子供たちと一緒に行かなかったのですかな? 何やら、朝早くに出て行ってしまわれた。いつもお食事を分けて頂けて大変助かっていたんですが、これからは自分の食い扶持は自分で探さなければなりません。情けない話で大変恐縮なのですが」

 老人はぜんぜん困った様子もなく朗らかに言って笑った。

 老人は身なりこそ汚かったけれど、髪の毛は綺麗に整えられて丁寧に櫛が入っていた。髭はドストエフスキーのように伸び放題、荒れ放題だった。それがとてもよく似合って見えた。

「いやはや、嫌な時代になったものです。老人というものは晩節を迎えると、“嫌な時代になった”と口を揃えるのが世の常なのですが、それでも嫌な時代になったものです――本当に、ひどい時代に。一体これはこれは何なのでしょうか?」

 ふてぶてしい猫が同意をするように“ごろにゃー”と鳴いた。猫の耳は片方が欠けていて、尻尾は途中で千切れていた。まるで歴戦を勝ち抜いてきたチャンピオンみたいだった。

「そうなのです、中将」

 老人は自分に同意してくれた猫を“中将”と呼んだ。

「全て、“大人たち”――私たち情けない“老人たち”のせいです。あなたたち“子供たち”のせいじゃない。子供たちに何の瑕疵や、何の罪があるでしょうか? まさか、あるわけもない。全ての罪は、この老人たちの罪なのです。どうか、こんなひどい時代にしてしまった老人たちを、赦して下さい」

 老人は嘆き悲しむように、赦しを乞うた。

「私たちの時代は幸せでした。平和で、豊かで、穏やかだった。だから私たちはこの両手や両足の使い方すら忘れてしまった。まるで現実感のない、フィクションのように素晴らしい世界を生きている――そんな気持になっていたんです。ファミリーコンピュータ。ご存知ですかな?」

 聞いたことがるような、聞いたことがないような、そんな感じがした。

それでいて、ひどく懐かしいものの気が。

「私たちの時代に流行っていたテレビゲームでして、いやはや、これが本当に面白くてですね、私なんて毎日やっておりました。学業をおろそかにして、寝る暇も惜しんで熱中しておりました。懐かしいですな、できることなら。死ぬ前にもう一度やってみたい」

 老人はぼんやりと遠くを眺めた。すると、中将が“しゃー”と鳴いた。

「申し訳ありません、中将。でも、できることならばもう一度だけやってみたいのです。一度だけです」

 老人が言い訳をするように言うと、中将は理解を示したみたいに、“にゃー”と鳴いた。

ファミリーコンピュータにはですね、“リセットボタン”というものがありました。ゲームの途中でそのボタンを押すと、もう一度ゲームを初めからやり直すことができる、ひどく便利なボタンでして、私もよく利用しました。それでですね、私たちの世代など、あまりにもゲームをやり過ぎるものだから、“リセット世代”なんて呼ばれてまして――まぁ、幸せな時代だったと言っても、悲惨な事件や、大きな不幸などはあったわけで、相対的に見て、“幸せな時代”だったと言っているだけなんですよ。それだってただ単に過去を懐かしんで、“昔は幸せな時代だった”と言っているだけなのかもしれません。一つ、掛け値なしの真実をお伝えすると――昔話を始めた老人にはご注意ですよ。その話のほとんどはデタラメなのですから」

 話があちらこちらに飛び出して、何を伝えたいのか、着地点はどこなのかが分からなくなり始めると、老人はそのような――“昔話を始めた老人にご注意”――格言を、慇懃に告げて微笑んだ。

「それでですね、私たちは“リセット世代”なんです。嫌なことがあると何でもリセットしてしまう――なんて揶揄されていた世代です。その後には“ゆとり世代”なんて揶揄される世代がいて、ひどく不愉快な思いをしたことでしょう。本当に下らない言葉です。それに、私たちの世代の誰もが知っていました。人生にリセットボタンなんてものが存在していないことを」

 中将が“その通り”と言っているみたいに、“にゃー”と鳴いた

「人生がやり直しのきかないものだなんて――当たり前のことです。教えられるまでもなく、分かることです。ですが、あなたたちの世代――“眠り世代”には、それが分からないのでしょう。分かるわけもありません。だって、あなたたちは実際に何度でも人生をやり直せるのですから。夢の中で、あなたたちは望んだ人生を何度でもやり直せる。それは、とても素晴らしいことです」

 老人はことさら丁寧に――誤解がないように慎重に言葉を選びながら話を続けた。それは老人の言いたことが、ひどく複雑で曖昧になってきて、自分自身が自分の言葉の迷宮に迷わないように、必死に道筋を立てているみたいだった。

 いつの間にか、老人の言葉に深く耳をすましていた。

「だけど、それは間違ったことです」

 老人は確かな声音ではっきりと告げた。老人の言葉が拳を握ったように硬くなった。

「なぜ、人に二つの手と二つの足がついているのかを考えていないのです。それならば、子供たちは頭だけで生まれてきてもいいのではないでしょうか? ですが私たちにも、あなたたちにも――大人にも子供にも、ちゃんと二つの手と二つの足がついている。その手と足をただしく使うべきなんです。誰かに手を差し伸べて、誰かの元に足を運ぶ、そうすべきなんです。だけど、私たちはそれをあなたたちに教えてあげられなかった」

 老人は本当に申し訳なさそうに、大きく頭を振った。

僕は力の抜けただらしのない自分の手と足を眺めた。

「私たち自身がただしい手と足の使いかたをしてこなかったのですから、あなたたちに教えられるはずもありません。教えるなんておこがましいのですが――だけど、その姿を見せてあげることもできなかった。醜く、みっともなく、情けない間違いばかりを見せてしまった。それでは、子供たちが現実から目を背けてしまっても当たり前です。こんな世界くそくらえです。見てください、この老人の醜い手を――」

 老人は節くれ立ち、くたびれ果てた赤い手を見せた。その手は言葉とは裏腹にとても働き者の手に見えた。

少なくともこの老人の二つの手は、ただしい使いかたをしてきたんじゃないかって思えた。

「もう、拳を握ることもできません。握って見せてあげることもできないんです。時には、拳を握ることが必要です。その拳を振るう勇気が必要なんです。いやはや、本当に情けない。もうこの老人には拳を振るう勇気が残っておりません」

 老人の赤い手は小刻みに震えていた。その野球のグローブみたい手は、第一関節と第二関節がまるで動かないみたいだった。

「一つだけ、お伺いをしてもいいでしょうか?」

 老人は尋ねた。

「あなた方は、お名前を名乗りません。へんてこなニックネームでごまかしてしまう。この老いぼれには名前がありません。とっくの昔になくしてしまいました。それはとても悲しいことです。中将には名前があります。私がつけさせていただきました。子供たちにだって大切な名前があるはずです。だけど、あなた方は名前を名乗らない。名前を失ったわけでも奪われた訳でもないはずなのに、どうしてでしょうか?」

 僕は自然と口を開いていた。

「多分、僕たちは個人というものが希薄なんです。一人称というものを嫌うんです。そこに込められているある種の固定観念や柵みたいなものを、自分自身を限定してしまう、型にはめてしまう生まれもった“名前”というものから――僕たちは目を背けてしまうんです。だから、自分で選んだ都合のいい名前を自分に与えるんです」

 僕はハックルベリー・フィンを思い出した。

スナークやトゥイードル・ダムやトゥイードル・ディーを。

僕は一体いつから自分の名前を名乗らなくなったんだろう? 

僕は一体いつから誰かの名前を呼ばなくなったんだろう?

 何だか、自分の名前を久しく聞いていないような気がした。

それは僕の名前のはずなのに、誰か別の――他人の名前のような気がした。

 僕の胸の中でさえ――その名前はかすんでいて、くすんでいた。

「いやはや、名は体を表す――古いことわざです。よくできたことわざです。それに“名前とはこの世の中で一番短い呪”と言いますが、そういうことですかな?」

「よく分からないんです。ただ僕たちは夢の中でなんにでもなることができます。それなのに現実では何一つできない、そのことを受け入れられないんです。だから生まれもったものを否定してしまう。“僕”のことを、“僕たち”で――“子供”たちで語ってしまうんです」

 僕は、“僕たち”というものに逃げている――そんな気がした。

「なるほど、なるほど。一人称単数の欠落ですな。一人称複数が、そのまま個人を語る単語にすり替わっている。しかし、それは“全体主義”ですな、とても緩やかな。個を主張せずに公に帰属する、疑問や戸惑いを抱くことなく、盲目的に“夢”という“システム”に依存してしまう。指導者のいない“優しい全体主義”です。でも、それはとても恐ろしいことです」

「すいません。よく、わかりません」

 老人の話はどんどんと複雑になっていった。ただでさえ空っぽの僕の頭では、到底理解できなかった。“全体主義”とか、“システム”なんて言葉は、まるで意味の分からない――遺物のように聞こえた。

「老人の戯言です。気にしないでください。それでも、耳をすましてくれて、話をしてくれて嬉しいです。最近では、誰もこの老人の話を聞いてくれない。当たり前です。老人の話はデタラメだからです。だけど、あなたは聞いてくれた。本当にありがとう。最後に一つ、差し出がましいようですが、老人の戯言を胸に留めておいてください――」

 僕は、それを忘れないでおこうと思った。

「ただしく手と足を使いなさい。誰かに手を差し伸べて、誰かの元に向かうために。そして、時に拳を握るために使いなさい。そうしないとこの老人のように、たった一人、全ての人に忘れ去られて、緩やかな死を待つことになりますよ。こんなもの、人の死に方じゃありません。人として死ぬために、人として生きなさい。たとえ、それが現実だろうと、夢の中だろうと。いやはや、説教臭くなってしまった」

 老人は申し訳なさそうに笑った。

「でも、あなた大丈夫そうですな。だって、あなたに手を差し伸べて、あなたの元に足を運んでくれる人がいるのだから。さぁ、お迎えが来たみたいですよ。あなたのお家におかえりなさい」

 老人が温かい眼差しを向けた先を見つめると、そこに懐かしい人の姿があった。

 その人を見た瞬間に、僕は立ち上がり駆けだしていた。

 僕は、どうしようもなく子供だ。

 何一つできない、何一つ守れない、未熟な子供だ。

 僕を受け止め、包み込んでくれたシヲリさんは優しかった。黒サングラスをかけて、鉄が詰まったようなジャケットを纏い、ものものしい物を腰から下げたとしても――彼女の全てが嘘でも、偽りでも、インチキでも、この暖かさは、この温もりは本当だった。

 その暖かさに、僕は震えた。

 

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