翌日、私が目を覚ましたのは太陽がずいぶん高いところに上ってからだった。
私は玄関から聞こえるチャイムの音で目を覚ました。泣き疲れた体を引きずるようにしてベッドから起き上がり、鏡で自分の酷い顔を確認した。目の周りは赤く腫れ、瞳は充血し、顔はむくんでもっさりとしていた。
「ブサイク」
今日は一日家の中に引きこもっていよう、そう決心した。
どうせもう私の夏は終わってしまったのだ。
何の予定もない。何の約束もない。もう毎週金曜日に“夜間飛行”に通うこともない。週に一回のバンド練習もない。楽器を弾く気にもならない。
私は受験生という自分の本分を思い出し、受験勉強に精を出すべきなのだろうかと思ったが、ぜんぜん受験勉強をする気にもならなかった。受験なんかどうでもよかった。
私は何もする気になれなかった。
自分の中から、やる気や活力の全てが消失してしまったみたいだった。
空っぽになってしまった。
窓の外から聞こえる蝉の鳴き声がうるさかった。
私は蝉の抜け殻にでもなったような気分でベッドにもう一度横になり、もう一眠りしようと目を瞑った。
「ハルー、生きてる?」
すると私の眠りを妨げるように、お母さんがドア越しに尋ねた。
「……生きてる」
私は何とか生存の報告だけはしておいた。
「よかった。ハルキさんがいらしてくれて、ハルの制服を届けてくれたわよ。顔を出す元気があるなら挨拶ぐらいしなさい」
「ハルキさん玄関にいるの? それとも……家に上がってもらったの?」
「上がってもらおうとしたんだけど、ハルに悪いからっておかえりになったわよ。でも今から追いかければ直ぐに追いつくでしょ」
「ウソ」
私は飛び上がって部屋の窓を開けた。
私は部屋の窓を開けて身を乗り出した。
私の家の少し離れたところゆっくりと歩いて、遠ざかっていく背中が見えた。
私はどうしようか迷った。
なんて声をかければいいのか分からなくなっていた。
それでもせっかくここまで来てくれたハルキさんに何も言わずに、ただその背中を見送るなんてしちゃダメだって思った。
「――――っ」
私はハルキさんを呼び止めたかったけど、なかなか声は出てこなかった。
私の言葉は臆病になっていた。
言葉が喉の奥にしがみついているみたいだった。
するとまるで私の気持ちに気がついたみたいに、ハルキさんが振り返って私のことを見た。
そしてニッコリと笑ってくれた。
いつだってハルキさんは私を見て、優しく笑ってくれる。
「ハルキさん」
「何となく僕を呼んでいる声が聞こえたような気がしてね。老人は耳が遠くなるかわりに、心の耳がよく聞こえるようになるんだよ」
私は泣きそうだった。
ハルキさんは窓から顔を出す私を見上げたまま、私の言葉を待ってくれていた。
「ハルキさん、昨日はごめんなさい。何も連絡せずに帰っちゃって。でも私……もう“夜間飛行”に顔を出せそうもありません」
「ハルちゃん、良かったら今から僕とデートでもしないかい?」
「デート?」
「そう、少しばかり一緒にでかけてみないかい?」
「……でも、私――」
私は、悩んだ。
でも悩む前から気持ちは決まっていた。
「はい。直ぐに準備します」
私はばたばたと準備をはじめた。
適当な洋服、だけどみっともなくない洋服を選んで、髪の毛を梳かして、急いで洗面所で顔を洗って歯を磨いた。
いつの間にか、慌てている私の後ろにお母さんが立っていて、外出の支度をしている要領の悪いを私をやれやれと見ていた。その表情はどこかほっとしているようにも見えた。
「あんた、昨日何も食べてないんだから、何か食べてきなさいよ。じゃないと夏バテで倒れるわよ」
「時間ないよー」
「オニギリ握っておいたから一つ口に入れて行きなさい」
「えー、今歯みがいたばかりなのに」
私はその優しさに胸が締め付けられた。
「ありがとう」
お母さんはじっと私を見て溜息を落した。
「帰ってきたら、ちゃんとお母さんとお父さんに報告するのよ」
「はい」
「それにしてもハル、あんたすごいブサイクな顔してるわよ」
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