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青い春をかける少女~17話

17 小さな女の子は憂鬱

 

kakuhaji.hateblo.jp

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 私は濡れた髪の毛をタオルで拭いて、水の滴る制服を脱いでハンガーにかけた。手渡されたTシャツは大きく、濡れたスカートがピタリと肌に張り付いて気持ち悪ったけれど、そんなことはどうでもよかった。

 

 涙は、とっくにかわいていた。

 

 開店前の“夜間飛行”は薄暗くひっそりとしていた。

 しばらくすると、濃いコーヒーの香りにまぎれてボリュームを絞ったレコードの音が聞こえてきた。

 それは“little girl blue”――

 

“小さな女の子は憂鬱”だった。

 

 それもレイ・ブラウンが演奏しているレコードだった。

 私は本気で意地悪をされているんじゃないかって気分になっていた。

 ブルーに――そして憂鬱になりすぎて、偏執的になっていた。

 誰にでもいいから当たりたい気分になっていたのかもしれない。

 

“little girl blue”は、私とハニーの思い出の曲だった。

 ハニーと初めて二人で楽器を持ち寄り、貸しスタジオでセッションをすることになった時にハニーが指定した曲が、この“little girl blue”。

 

「この曲すごい好きなんだよね。落ち込んでる時に聴くと癒されるっていうか、ああブルーなのは、憂鬱なのは私だけじゃないんだって気分になるんだ」

 

 この曲は基本的にピアノ演奏のボーカル曲。

 私はどうせなら習っているサックス曲かギター曲を弾きたかったんだけど、ハニーがせっかく選んでくれた曲だからと思って快く了承した。

 それにエラも歌っている名曲でもあるし。

 

 私はこの曲をピアノで演奏して、ハニーがベースで演奏した。

 はじめてのセッションはなかなかハチャメチャな演奏だった。

 ブルーというとよりはお花畑の黄色って感じの演奏になってしまい、二人で何だこれと笑いあった。

 

「ぜんぜん切なくないんだけど」

「うん。何だかバラバラのダンスを踊ってる感じだったね」

「私の青色をかえして」

 

 あの瞬間から、この“little girl blue”は私のお気に入りの曲になった。

 けれど今は耳を塞ぎたかった。

 悲しい歌は聴きたくなかった。

 何だか自分が、自分に何ができるだろうかって指折り数えるだけの、雨粒をただ数えるだけしかできない、小さくて憂鬱な少女になったみたいだった。

 

「あったかいコーヒーだよ」

 

 カウンター越しに、襟のついた白いシャツを着た夏緒さんが立って、私の前に淹れ立てのコーヒーをそっと置いてくれた。

 

「ありがとう」

 

 私はそう言ってコーヒーを一口すすった。

 あまりに甘すぎて私は思わず涙ぐんでしまった。

 どうせならおもいきり苦いコーヒーがよかった。

 

 夏緒さんはそんな私を見つめたまま、自分用に淹れたブラックコーヒーをすすった。

 ずいぶん前に、私もブラックコーヒーを飲めるようになたくて、ひそかに家で練習したことをなんとなく思い出した。少しでも目の前の人に近づきたくてはじめたバカげた行為だったけれど、けっきょく私は今でも甘いコーヒーしか飲めずにいる。

 私はさらに涙ぐんだ。

 沈黙を埋めるように悲しい歌が響いている。

 

「何も……聞かないんですか?」

 

 聞いてほしいくせに、話したいくせに、私はそんな可愛げのないことを言った。

 気持ちがささくれ立っているせいだと思いたかった。

 夏緒さんは困ったように笑った。

 

「男の子関係で……仲のいい友達と喧嘩したってところかな?」

 

 私は目を見開いてどうしてと夏緒さんを見た。

 

「その顔を見ると図星かな?」

「どうして……わかったの?」

 

 私が信じられないと尋ねると、夏緒さんはにやりと笑った。

 

「年頃の、それも思春期の女の子の悩みなんて、たいていは異性の悩みって相場が決まってるもんだよ。まぁ思春期の男の子の悩みだって同じようなものなんだけどね。これに関しては暴落も暴騰ないものだよ」

 

 夏緒さんは自分の経験則を披露するように言った。

 私はただ黙るしかなかった。

 何となく夏緒さんに一之瀬君の話はしたくなかった。

 私が男の子に告白されたなんて知ってほしくなかった。

 

「だけどハルちゃんもそろそろ気になる男の子でも探して、その男の子とつきあって見るのも悪くない年頃なんじゃないかな?」

 

 夏緒さんはコーヒーを飲んで続ける。

 私は、この人は何を言っているんだろうって思っていた。

 

「はじめはさ、とくに気に入らなくたっていいんだ」

 

 聞きたくなかった。

 

「好みの男の子じゃなくたっていい。一つでも、なかなか悪くないなって思える点があればいい。値踏みや査定をするのは、デートをしたり、つきあってからだって遅くないもんだよ」

 

 夏緒さんはまたしても自分の経験則を披露するように言って笑った。

 その言葉に私はものすごいショックを受けていた。

 正直に言ってものすごく傷ついて、落ち込んで、憂鬱になって、ブルーになっていた。

 

 夏緒さんは、女の人とお付き合いをする時、気に入らなくてもいいの? 好みじゃなくてもいいの? なかなか悪くないなって思ったら誰とでも付き合うの? 値踏みや査定って何?  夏緒さんはお付き合いをした人にそんなことをするの?

 

 私はそんなことを叫びたくなっていた。 

 私はひどく混乱していた。

 目の前にいる年上の異性が、途端にひどく不誠実で不潔な人に思えてきた。それなのにどうして私はこの人のことをこんなにも好きなんだろう? 

 もう、わからないよ。

 何もかもが分からなくなっていた。

 

「それで、ハルちゃんは――」

「もういい。聞きたくないです」

 

 私は声を上げた。

 夏緒さんは別段驚いた様子もなく、じっと私を見ていた。

 困った小さな子供を見るような目だった。

 

「そんなこと聞きたくないよ。どうしてそんなこと言うの? どうして誰かと付き合ってみればなんて言うの?」 

 

 私が好きでもない男の子とつきあって、それで夏緒さんみたいに付き合った誰かを値踏みしたり査定したりする、そんな最低な女の子になったほうがいいの? 

 言葉には出せなかった。

 

「わからない。ぜんぜんわからない。夏緒さんバカっ」

 

 私は泣きそうな気持を必死に抑え込んで席から立ち上がった。

 

「私……もう帰ります。コーヒーごちそうさまでした」

 

 私は急いで“夜間飛行”を出た。

 悲しい歌から逃げるように。

 

 外へ出ると分厚い雨雲はもうどこかに去っていて、空には夏の色が戻っていた。

 私はラムネ色の空の下を逃げるように駆けた。

 追って来てほしい人は追ってきてはくれなかった。

 

「私、嫌われちゃったかな? 嫌いになるよね……こんなめんどくさい女の子」

 

 帰り道を私は泣きながら帰った。

 もう雨は降っていないはずなのに、“little girl blue”の歌詞が頭から離れなかった。

 

 ぼんやり座りながらただ指折り数えているだけ

 自分に何が出来るのだろうって、ただそれだけを

 

 

 指折り数えるしかないんだ、不幸な少女の哀しみを

 

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