iの終わりに~12話

第12話 黒兎

 

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 静まり返った部屋の中で、僕は途方に暮れたように俯いていた。

 色々な考えが頭の中をぐるぐると巡りながら、そのどれもが混ざり合うことなく、ただただ糸の切れた風船のように浮かんでいた。

僕自身もどこか遠くの方に放り投げられて、元の場所に戻って来られなくなってしまったみたい――空中をただたださまよっているみたいだった。どこにも帰結することなく。

 かつて、新世界があった深度“十三階”。現実の一秒が一億秒に匹敵する“イデア”の底。集合知“ノウアスフィア”に溶けることない魂の形“ゴースト”。人が神へと至る過程、蛹の殻を破り羽を広げて次の段階へと飛び立つ“カフカの蝶構想”。全ての子供たちをイデアの中へ誘う“コギト”たちの集団“ディドルディドル”。終わりを迎えた夢の楽園に今も存在している神“アリス”。

 それらは、まるで絶対にはまることないパズルの欠片みたいだった。

その全てが一つの線で繋がり、点と点を結びあった先に何かの絵を描くと分かっていたとしても、今の僕にはそれを繋げて一枚の絵を完成させることが、どうしてもできなかった。

 シヲリさんの言葉を思い出した。

「逃げ出すんじゃないかと、思ったわ。脱兎の如くね」

 気を使っているのか、本心からなのか――それともまだ僕を騙し続けようとしているのか? シヲリさんのそんな軽口を、僕は受け止めることができなかった。

「まだ、そんな芝居を続けてるんですか? 僕のこと、どれだけ子供扱いすれば気が済むんですか」

 ひどく、嫌な音が響いた。

「そうね、少し馴れ馴れしすぎたわね。私たち、距離を縮め過ぎてしまったのかしら? これだから、潜入って奴は――」

 シヲリさんは瞳を鋭く細めた。

まるで別人みたいだった。

「私は公安の捜査官よ。公安とは言っても警察庁下の組織ではない、秘匿された国家の一機関――もちろん、私の名前や経歴の全てが偽のもの。これ以上は職務上、口外することは許されていない。だから、これから私が口にすることは、これらの義務に違反しないギリギリの線の内側の話だと思って聞きなさい。あなたに受け止める気があれば――そして、私を信用すれば、ということだけど」

 厳しい口調、低い声音。そしてシヲリさんの射抜くような視線を受け、僕は黙ったまま彼女の言葉を待った。

「彼女、あなたがフィンと呼び、我々がコードネーム“黒兎”と呼ぶ少女は、現在複数の国家機関が関わって進めている“昏睡児童のサルベージ計画”の“ダイバー”の一人として選ばれたアナムネシス・チルドレンで、彼女もこの計画には概ね同意している」

 フィンが昏睡児童をサルベージするダイバー? 

 それは全く現実感のない話に聞こえた。

 象が空を飛び、羊が狼を食べると聞かされた方が、まだマシだと思った。

だけど、そんな突拍子のないことを可能にするのが、イデアの中だということも、僕は痛いほど理解していた。現実で何一つままならないことも、転んだり落ちたりすることが得意な彼女でも、彼女がそうでありたいと望むならば、空を飛ぶ象にでも、狼を食べる羊にでもなることができる。

現実での自分が弱ければ弱いほど、情けなければ情けないほど、みっともなければみっともないほど、惨めであれば惨めであるほど――夢の中の、イデアの中の沈んだ自分は力強く、逞しい。

 それは、幼い頃に“好きなように書きなさい”と渡された真っ白な自由帳に似ている。

自分が望むような自分を描き、自分が理想とする物語を綴り、自分だけのたった一つの世界を創り上げる。

 誰だって、それをする。

 誰にだって、自分の思い描くものがある。

 それは誰にだってひとしく与えられる希望――

 シヲリさんに言われた最後の言葉を、僕はどう咀嚼していいのか、自分のどこに落ち着けていいのか分からなかった。

その言葉を呑み込んだ瞬間に、吐きだしてしまうそうだった。

「研究機関が行ってきた複数の検査では、“黒兎”は深度十三階へと至れるだろうという検査結果が出ている。そして“カフカの蝶構想”と一緒にその検査結果も漏洩し、ディドルディドルの手に渡ったと考えるのが今回の襲撃を見れば妥当だし、容易に想像できる。つまり私が何を言いたいのか――分かるわね?」

 シヲリさんは大人の顔をして続けた。

恐ろしいほどに厳しく、非情な表情だった。

「これ以上巻き込まれたくないのなら、そして二度と私たちと関わりたくないのなら、彼女のことは忘れなさい。そうすれば、あなたは二度と悪夢に苛まれることもなく、今まで通りの高校生活を送れる」

 その言葉を聞いた瞬間に、胸が痛んだ。

「明日、あなたが還るべき家の扉を開けば、今までと何も変わらない穏やかな日常が戻ってくる。日曜日を終えて月曜――普段通りに学校に登校すれば私たちは消えていて、あなたの手にはあの古い図書館の鍵だけが残る。あの古い図書館の中に閉じこもり、誰かが書いた物語の中に沈んでいられる。彼女のことを、そして今日起こった全てを――朝、目が覚めて忘れてしまった夢のように忘れてしまうだけで」

 それは忠告に擬態した警告で、警告の皮を被った脅しだった。

これ以上関われば、僕は何か大きなものを失うだろうと――彼女は暗に示していた。

「ここはあなたの夢の終わり、短い冒険の終着駅。さぁ、あなたはそっと扉を閉じて還るべき場所に還りなさい」

 何一つ結論がでないままだった。

それどころか何一つ考えがまとまらないまま、僕はベッドの中で丸くなり、いろいろなものを推し量ったり、天秤にかけたりしていた。そんな“強欲なユダヤ人”の真似事のようなことしている自分がひどく虚しくて、ひどく悲しかった。

胸の肉一ポンドを切り取られたみたいに、痛くて、苦しかった。

 

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