iの終わりに~11話

第11話 カフカの蝶構想

 

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 真っ白な天井だった。

 見覚えのない無愛想な天井は、無表情な誰かの顔とよく似ていた。

「――フィンっ」

この腕の中にない、ぽっかりと穴が開いてしまったような空白に僕は飛び起きた。

 体を起こすと激痛が走った。

真っ白な布団を一枚剥ぐと、僕は病衣姿でそこかしこに治療の後があった。

 目を覚ましたのは、狭い個室の中――ドアは一つきりで、内側に格子のついた窓、正面の壁は鏡張りだった。

僕が眠っていたベッドの前には、僕の良く見知った女性が立っていた。

 まるで別人のような姿で。

「おっはよー。お目当ての女の子じゃなくて残念だった?」

 シヲリさんがいつもの調子で笑ってみせた。

 彼女は黒いスーツ姿――まるで何かの組織の制服のようなものを身に纏っていて、髪の毛はいつもの緩い三つ編みではなく肩先まで真っ直ぐに下ろしていた。黒いベレー帽のようなものをかぶり、胸元に下げたスタイリッシュな黒のサングラスが息を潜めた黒い獣のように見えた。

「その格好、ぜんぜん似合ってませんよ。それに、スカート短すぎるんじゃないですか?」

「あら、サービスしたつもりだったんだけど、お子様には刺激が強すぎたかしら?」

「彼女は、フィンは無事なんですか? さっき僕たちを追ってきた黒い車は何だったんです? シヲリさんは一体何者なんですか? それに――」

 僕は一旦そこで言葉を区切って、目の前の女性を強く見つめた。睨み付けるように。

「僕のこと、ずっと騙していたんですか?」

「まぁ、君がそう感じるのも仕方ないっちゃ、仕方ないわよね。だけど――」

 シヲリさんは表情を強張らせ、そして彼女も僕を強く見つめた。

「自分の知りたいことを大人が全て教えてくれると思ったら、大間違いよ。自分で扉を開くことでしか知り得ない真実だってある。なんたって、私たちは大人なんだから。大人たちに不都合だったり、不利益だったりすることは、蓋をして隠してしまうの。それが仕事と言っても過言じゃないくらにね」

 シヲリさんは途中からいつもの調子に戻り、冗談めかせて言った。

「だけど、安心しなさい。彼女は無事よ。それだけは私が保証する。なんて言ったって君が守ったんだから。それは誇りなさい」

 その言葉はとても優しかった。できの悪い弟を褒めるように。

「じゃあ、彼女に会えるんですか?」

「まぁ、今直ぐにってわけじゃないけどね」

「早く彼女を家に帰してあげないと、たぶん彼女の母親が心配していると思うんです」

「母親? その前に、こっちもいろいろと手続きみたいのことがあるのよ、君に話を聞きたいって人もいるしね。大人の世界ってね、手続きなしでは何も前に進まないの。だから、暫くは大人のルールに従ってもらうわよ。替えの制服は用意しておいたから、それに着替えたら部屋の外に出てきなさい。案内する場所があるわ」

 怪訝な顔を浮かべた後――二の句を告げさせない調子で言ったシヲリさんは、そのまま部屋を退出した。その身のこなしや歩き方の全てが、僕の知っているシヲリさんとは別のものだった。

身に纏った衣装に合わせて役を変えてしまったみたいに。

 大人なんだな、そう思った。

 僕は言われた通りに病衣から用意された新しい制服に着替えた。制服のサイズは僕にぴったりだった。気持ちが悪いくらいに。まるで、僕とまったく同じ背丈の誰かが、つい最近までこの部屋にいたみたいだった。

 扉を開いて部屋を出ると長い廊下が伸びていた。

「準備オッケーね。ついて来て」

 歩き出したシヲリさんの背中を追って僕も長い廊下を歩いた。

 仄暗い水の底のようなに建物中が静まり返っていた。

鼻腔を指す、何かの薬品かアルコールの匂いが、立ち込める霧のように充満していて、それがとても不愉快だった。

 等間隔で並んだ無数の扉が次から次へと、現れては消えていく。

 この扉のどこかにフィンがいる。

 僕は今直ぐにでも全ての扉を開いて見たい衝動に駆られたけど、その気持ちを抑え込んで何も語らない背中を追った。

「ここよ」

 大きな扉の前で足を止めて、シヲリさんは振り返って僕を見た。

 僕はその扉の前で立ち竦み、その扉を開くべきかどうなか迷った。選択肢が与えられていなくても、迷うことだけは自由だった。

「自分で扉を開けて中に入りなさい。その扉を自分で開けたんだってことを忘れないためにも」

「僕が選んだわけでもない扉でもですか?」

 ひどく子供っぽい言葉が僕の口をついて出た。

「だったら、今歩いてきた廊下を戻って目を覚ました部屋で大人しくしていなさい。それで何も知らず、何も伝えられず、何も分からないまま眠りにつきなさい」

 僕はシヲリさんの厳しい言葉に何か言い返そうとしたけれど、それをせずに扉を開いた。大きくて重い扉は、嫌でも僕の胸に、その扉を僕自身の手で開けたんだという感触を残した。

 扉を開けて中に入ると、一人の男性が僕を待っていた。

 広々とした部屋の中――まるで孤島のようにぽつんと置かれた机と椅子に、その男性は腰を下ろしていた。

 黒いスーツに黒いタイを巻き、丁寧に撫でつけた黒い髪の毛。表情は冷たく無機質で、どこか作り物のようだった――その顔に映っているものの全てが砂の上に書いた絵のよう、風が吹けば消えてしまいそうな、そんな顔をしていた。

「ようこそ、“白兎”君。いや、“おかえり”と言ったほうがいいのかな?」

 立ち上がって両手を広げた男性は、今朝のワイドショーに映ったままの姿で――そして、僕が一年半前にこの現実に還ってきた時と全く変わらぬ姿でそう言った。

その表情はどことなく楽しそうでありながら、全てがどうでもいい下らないことと一笑に付しているようでもあった。

「“ブージャム”に追われている兎がいると報告を受けて来てみれば、まさかそれが君とは因果なものだな。君のような全く役にも立たない臆病者が、今さら神と邂逅するための供物として捧げられようとするなんて――実に滑稽じゃあないかぁ」

 薄い唇を歪めて芝居がかった笑いを浮かべている男性は、その実笑ってなんていなかった。月明かりの下で光るナイフのような瞳で僕を眺めていた。

「かわいそうな兎君、ここが一体どこだか、君には分かるか?」

 僕は首を横に振ることもできなかった。

「一年半前、三年間に渡る昏睡児童約約2万5千人が一度に現実に帰還した。巷に言う大量帰還という奴だ。その時、多くの昏睡児童を受け入れていた施設の一つが――ここだよ。言ってみれば、ここは子供たちの儚くも虚しい夢の後だ」

 僕は逃げ出したくなる気持ちを必死に抑え込んで、目の前の男性を――僕が現実に還った時、一番に初めに顔を合わせたこの国会議員を見つめ続けた。

「おや、ずいぶん怯えているようだが、その眼はもしかして私を睨み付けているのか? いや、これは面白い」

 国会議員は手を叩いて愉快そうなポーズをとった。彼の行動の全てが芝居じみていた。そう思うと、意味もなく恐ろしくなった。

「現実に帰還した時、まるでがらんどう、まるでものけの空――魂さえ夢の中に置いてきたように見えた子供が、よくもここまでの回復したものだ。まぁ、これも私が携わった現実帰還者への【社会復帰プログラム】の賜といえば、聞こえはいいかぁ」

 現実帰還者への“社会復帰プログラム”――僕が受けていたそれは、リハビリゼーションやメンタルケア、投薬治療、精神鑑定などを重ねた末、いくつかの守秘義務と、いくつかの誓約をすることで完了となるプログラムのことを指す。

 現在、僕が普通の高校生として生活することができているのも、この社会復帰プログラムのおかげといっても過言ではなかった。

「全く、君たち子供たちは、一体どれだけの負担を我々にかければ気が済むのだろうか? 子供たちが心地の良い夢を見ている最中、君たちのその幸福な時間が一体何によって賄われ、保障され、担保されているのかを、君たちは少しで考えたことがあるのか?」

 国会議員は僕の顔を覗き込み、言葉を続けた。

「我々大人たちが――君たちの見る夢の代償を支払っているのだよ。年々膨らみ続ける昏睡児童への社会保障費は現在国家予算の二割を占める。老人どもに続いて子供たちまで使い物にならなくなれば国家に未来などあるわけも無く、破綻の一途を辿るばかりだ。膨らみ続ける赤字国債は爆発寸前。唯一の救いが、この“コギト”どもが先進国全体の問題になっていることだとは? ――この状況から一早く抜け出た先進国が国際社会の今後のイニシアチブを握ると思うと、コギト先進国の我が国の先行きは不安定で不透明どころか、全く絶望的じゃあないかぁ?」

政治屋の戯言はそれくらいにしておいたらどうかしら? あなたの思想や見解を拝聴するために、彼を連れてきた訳じゃないのよ。それに、“コギト”なんて差別用語を、この問題に深くかかわるあなたが発言するのは、少しばかり問題なんじゃないかしら?」

 シヲリさんが冷たく言い放って男性の言葉を遮った。そして僕のすぐ後ろに立つと、彼女は僕の両肩に手を置いた。それは“しっかりしなさい”と、僕の頼りない背中を支えてくれているみたいだった。

「捜査屋が差別を叫ぶとは、これは実に滑稽だ。だけど捜査官、君は勘違いをしているよ。“コギト”なんて虫唾が走るような言葉を好き好んで使っているのは私ではない、子供たちのほうだ――そうだろう?」

 国会議員はまるで虫けらでも眺めるように僕を見つめて尋ねた。

今直ぐに出も踏みつぶされるんじゃないか? そんなことを錯覚して、僕は目の前の黒い獣に怯えた。

「何が、“自分たちがここにいると思うなら、自分たちがここが真の世界で在ると思うなら、それが自分たちにとっての本当の世界である”だ。全く、笑わせてくれるじゃあないか? その真の世界とやらで、本当の自分とやらになっている最中――現実の子供たちは自分一人で食事も排泄をすることもできず、その全てを他人に押し付けて放棄している。日に日にやせ細り、衰弱し、医療機関の治療がなければ生きることもできない。こんなものが、本当の自分だと? 実に笑わせてくれる。眠っているだけでこんなにも滑稽とは、チャーリー・チャップリンも脱帽だよ」

 国会議員はまるで底抜けに間抜けで面白いものを眺めているように、満面の笑みを浮かべてけらけらと笑っていたが、笑い声一つ漏れてはこなかった。

その姿こそ、サイレント映画の中で喜劇を演じているみたいだった。

「私からすれば、そんなものは単なる逃避だ。“耳と目を閉じ、口を噤んで生きている”だけだ。この国の子供たちは、もれなく“ホールデン・コールフィールド”なんだよ。だけど、この現実のホールデンどもが始末におけないのは、それが眠っているということだ。全く、手の出しようがない。叱りつけることも、殴ることも、諭してやることもできない。『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を読んだことがあるか? 一度読んでみるといい。実に下らない話だ。紙屑だよ」

 淡々と、そして滔々と、まるで底なしの井戸の中身をぶちまけたみたいに国会議員の言葉が止まることはなかった。

「それに、この兎を、私の思想や見解を拝聴させるために連れて来たんじゃない? まさか? その通りだよ。私たち大人がどれだけ子供たちに迷惑をかけられ、どれだけの被害を被っているのかを、今一度その空っぽの頭の中に叩き込むために――誰のおかげで今現在人並みの生活が送れているのかを思い出させるために、ここに連れて来たに決まっているだろう。それ以外に何がある?」

 彼はシヲリさんに向かってそう言った後、再び僕を見つめた。

「この私が、この坊やに直々に何かを説明するとでも? まさか、そんなものは時間の無駄無駄無駄――捜査官、君もこの坊やの報告書は読んでいるんだろう? もう、これは全くの役立たずだ。もう壊れてしまっているんだよ。現実で生きていくのすら困難なくらいにね。我々の計画には全く役に立たない。私は忙しい。さっさと、ここから放り出してしまうといい」

 国会議員は椅子から立ち上がって僕のほうに向かって歩き始めた。しかし、その冷たい眼は一直線に扉に向かっていて、すでに僕を眼中にいれてはいなかった、

僕の存在など、立ち上がった際に忘却してしまったかのように。

 彼が一歩、また一歩と近づくたびに――僕の心臓が飛び跳ね、足が竦み、その場に尻もちをついてしまいそうだった。

僕の両肩に乗った手の温度がなければ、僕はもうとっくに逃げ出していたと思う。

 僕は彼が目の前を通り過ぎようとした時――

「フィンは、彼女はどこだ? 彼女は無事なのか? 彼女に、会わせろっ」

 振るえて裏返った僕の言葉が広い部屋の中をみっともなく木霊した。

ようやく国会議員は足を止めて僕を見下ろした――その表情は、まるでまだ僕がここにいることに驚き、僕の存在なんて今の今まで忘れていたかのようだった。

 そして再び底抜けに面白いものを見つけたようにけらけらと笑い出した。

またしても、笑い声一つ漏れなかった。

「全く、実に滑稽だ。ようやく口を開いたかと思えば、フィン? ああ、“黒兎”のことか? 言っておくが、あれが私のものだ。私たちの“計画”の一部だ。軽々しく付きまとうな」

 国会議員はフィンを“黒兎”と呼び、口元が裂けたように大きく歪ませた。

「だが、まぁ、勇気を振り絞って私にものを尋ねたことを称して、少しだけ下らないお喋りをしてやる。いいか、先ほど君たちを襲った者たちだが、あれは君と同じ“コギト”だ。下らぬコギトのドブネズミたちが集まって、何か下らないことを目論んでいるんだよ」

「子供たちが集まって作った宗教団体?」

 僕は今朝のコメンテーターの発言を思い出した。

「そんな高尚なものでも、胡散臭いものではない。“ディドルディドル”それが名称らしい。『マザーグース』だよ。実に下らない。たんなる子供のごっこ遊びだよ。それでいて、子供だましだ。明確な理念も確固たる目的もない。その下らない集まりの、ごっこ遊びの唯一無二の目的であり存在意義が、深度“十三階”へ至ること。要するに、“神に会いに行きたい”というわけだ」

「神って、何を言って、あそこには、もう――」

「君は何も知らない坊やなんだよ。現実の世界でも眠ったままの――耳と目を閉じ、口を噤んだホールデンなんだよ。だけど、君は少しだけ口を開いた。そのご褒美に私がこうして下らないお喋りをしているんだ。黙って聞いていろ」

 国会議員は叩きつけるように言って先を続けた。

アナムネシ・スチルドレンとは異常に発達した脳、とりわけ脳の一部分である海馬をもって生まれてきた子供を指す――その海馬が発する特殊な脳波の拡散と干渉によって創り出される力場を“イデア”と呼んでいる。そして、イデアに充満する子供たちの集合知が“ノウアスフィア”。子供たち一人一人の意識は、言ってしまえば一滴の水だ。それが集まって小さな水溜りとなり、流れ出して川となる。そして最後には――海に。イデアとは、子供たちの集まった意識がつくりだした海なんだよ。子供たちはその海に呑み込まれず“個”を保つために、“魂”や“自我”を守る【ゴースト】というエネルギー体でイデアを活動をしていると、科学者や研究者たちは考えている」

 国会議員は突然専門的な用語を持ち出して丁寧に解説を始めた。

「どれだけイデアの奥深くへと沈んだとしても、肉体とゴーストは繋がったままで肉体から完全に抜け出すことはできない。要するに、一本の糸が肉体と魂を繋ぎ合わせている訳だ。だから子供たちはどれだけ深くイデアの中に入り込み、集合知の海に呑み込まれたとしても、個を失わず必ず元の肉体へと帰ってくる。“臍の緒”みたいなものだ。全く、便利で都合のいいものじゃないか」

 呆れたように言って両手を広げた。

「しかし、ディドルディドルの連中は、“深度十三階”――今までたった一人しかその階層に辿りつくことができず、そして“新世界”を創って多くの子供たち呼び、閉じ込めた、その“楽園”では肉体と魂を別つことができると、そんな都合のいい思想や解釈に陶酔しているわけだ。狂信して、盲信しているんだよ」

「深度十三階では、肉体と魂とが分かれる? そんなこと、無理だ――絶対に」

「全くだ。確かに時間の流れが、この宇宙が出来てから今に至るまでの時間よりも長く、観測可能な宇宙よりも広大だと考えられている“深度十三階”ならば、現実での数秒の時間で星一つ創り出すことができるだろう――ああ、知っていたか? イデアの中はエントランスから一つ階を下るごとに、時間の流れが十倍になると研究結果が出ている。つまり深度十三階では“十の八乗”――現実での一秒間が“一億秒”に匹敵するだろうと、考えられているんだよ」

 国会議員イデアの形を現すように、宙で三角形を描いて見せた。

 一つ階が下がるごとに時間が十倍にもなり、深度十三階では現実の一秒が一億秒に匹敵する――その途方無い膨大な数字に、僕は愕然とした。

「だが、それも肉体があってのことに限る。肉体の死が魂の死であることは、我々も確認ができている。もちろん、現実とイデアでの時間の差こそあるが。だが、たった一つだけ“例外”が存在していることも事実だ」

「たった一つの、例外?」

「深度十三階の楽園に大量の子供たちが沈んでいる最中、一人の子供が現実の世界で病死した。もともと先が長くないことは、その子供も知っていたようだ。もちろん“大量帰還”の際に、その子供が還って来ることはなく、その半年も前に肉体は火葬され骨は埋葬されていた。まぁ、その子供が特別という訳でもなく、昏睡状態の最中に死に至る子供は少なくない。あぁ、今さら君にそんなことを改めて説明する必要もないな」

 瞳の奥に得体の知れない何かを宿した国会議員が、僕を貫くように見つめた。

まるで断罪に処すように。

「大量帰還で現実に還ってきた子供たちを“社会復帰プログラム”にかけ、一人ずつ深度十三階での記憶を調査していると、子供たちは口を揃えて一つの記憶を話した。もちろんイデアでの記憶の多くはあてにならない。それは朝起きて忘れてしまう夢のようなものだ。どれだけ調査したところで我々が知り得るのは、曖昧な夢の残滓だけ。しかし、全ての子供たちが示し合わせたように同じ言葉を口にすれば、その証言にも少しは信憑性というものが現れる」

 僕は今直ぐに出も耳を塞ぎたかった。しかし目の前の男性はそんな僕の心を読み取って弄ぶように、息もつかずにその先を口にした。

「“その新世界は神によって創られた。神は子供たちを呼びよせ楽園に住まわせた。何れ新世界の終わりが、楽園の黙示録が行われた”。そして、その黙示録の最中、全て子供たちの記憶の中に、とうに墓の下に入っていたはずの、その子供の記憶が残っていたんだよ。つまり現実で死を迎え肉体が滅びた後も、その子供は楽園に存在し続けた。もちろん、そのような子供が他にもいたのかもしれない。しかし、我々が確認できているのは、その子供だけだ」

 国会議員は、僕がしっかりの自分の言葉を聞いているのかを確認するように、顔を僕の顔に近づけて直接僕の目を覗き込んだ。鼻先が触れ合うかのような距離で首を九十度に傾げ、底なしの何かを孕んだ黒い瞳が、僕の瞳の奥を覗き込んだ。

 僕は逃げるなと、目を背けるなと、何度も自分に言い聞かせた。

今直ぐにでも微睡みの中に沈みたくて仕方なかった。

「我々は一つの仮説を立てざるを得なかった。深度十三階においては魂と肉体とを繋ぐ糸を断ち、ゴーストのみで活動をすることができるのではと――そして、現実の肉体が滅びたとしても、魂はゴーストという形でイデアの中に存在し続けることができるのではと」

 深度十三階では肉体と魂とを別ち、ゴーストのみで活動できる?

 僕の頭の中はぐちゃぐちゃに混乱して、正常に物を考えることができなくなっていた。

気持ちが悪すぎて、今この場で体の中の全てのものを吐きだしてしまいそうだった。

 頭の中に、思い出したくない言葉がよみがえる。

 

――忘れないで欲しい、

 

終わることのない言葉が――いつまでも、いつまでも、僕の頭の中に響き続ける。

 

――君が目を閉じるとき、微睡みの中に溶けるとき、僕はいつだってそこにいる、

 

今聞かされた全てのことを僕は信じたくなかった。

それでも、どこかで信じている自分がいた。

そうであってほしいと思っている自分がいた――生きていて欲しいと。

 国会議員は再び僕と距離を取り、両手を広げて続けた。

「【カフカの蝶構想】――今語った一連の現象と、アナムネシス・シンドロームアナムネシス・チルドレンの研究結果を纏めた脳科学者の論文を、我々はそう呼んでいる。この不条理すぎる現象に与えるタイトルとしては、妥当と言っていいだろう。実に下らないタイトルだがね」

カフカの蝶構想?」

「そうだ。その“カフカの蝶構想”の中では、子供たち、とりわけ“コギト”たちの存在を、進化の系統樹の行き着く先と考えている。それはつまり、肉体という蛹を脱ぎすて、蝶となった魂がイデアという宇宙で永遠の存在に変態することに他ならないと――人は肉体という魂の牢獄から抜け出し、この内なる世界の外に羽ばたき、新しい段階へと進んだことになると。つまり、人が神へと至る過程であるとしているんだよ。なかなか過激で衝撃的な内容の論文でね、色々なセクションからの圧力が強く一般的に公開はされていない。しかしこのカフカの蝶構想が何らかの瑕疵でディドルディドルへ、子供たちの手に渡り、結果として彼らの存在意義を裏付けるものとなってしまった」

「だけど、それがどうしてフィンを?」

「彼らは神の名をこう呼ぶ――“アリス”と」

 国会議員は話を締めくくるように上げていた手を下ろした。

その姿は演奏を終えた指揮者のように見えたけれど、その実、全てがちぐはぐででたらめな、不条理な世界で指揮を執る独裁者のようにも見えた。

 全てが、おかしくなっているような気がした。

「子供たちは探しているんだよ。自分たちを深度十三階、かつての新世界へ――神のいる楽園へと導いてくれる“白兎”を。彼ら自身も神へと至るために。そのために、彼女を手に入れようとしたんだ」

 

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