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iの終わりに~10話

第10話 軽自動車

 

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 ひっそりとした無人の道路を自転車で駆けた。

 二人乗りで。等間隔で置かれた外灯と街路樹が近づいたり遠ざかったりして、その光景をぼんやりと眺めているだけで、時間や距離の感覚を失ってしまいそうだった。

現実を失ってしまうみたいに。

 フィンに家までの道順を尋ねると、かなり曖昧だったけれど何とかだいたいの位置は把握できたので、急いで彼女の家まで向かうことにした。

 フィンが心配をかけたくないという、母の待つ家へ。

 僕は安全運転を心がけながらも、少しでも早く彼女の家に着くように自転車を走らせた。

 車一台通らない東京西端のベッドタウン。

 何だか、この世界に僕とフィンしかいないような気がした。

 世界中の全ての人がひっそりと消え去ってしまい、この世界にたった二人だけ残された僕と彼女が逃避行をしているような、そんな気がした。

 だけど、突然に――それは現れた。

 眠りに就き始めている町の静けさや、二人きりの夜の世界を壊してしまうような、何かが、音を立てて僕たちの目の前に出現した。眩しい人工的な光が無理やり夜を昼に変えたように、荒々しく僕たちを包み込む――それは物々しい雰囲気を纏いながら、ものすごい速度で僕たちの方へと向かってきていた。

「フィン、何だか道路を逆走して僕たちの方に向かってきている車があるんだけど――君、お迎えとか頼んでいないよね?」

「ええ、そんな覚えはないけれど、気をきかせたユニークな死神がお迎えを手配してくれたのかしれないわね」

「それじゃ、お迎えの意味がぜんぜん違うんだけど」

 冗談のようなやり取りを交わした後――

「とにかく、しっかりと捕まっていて」

 急ブレーキをかけて自転車を反転させて、今走って来たばかりの道を逆走した。

 目の前の何かが僕たちに向かってきているという確信はあった。

本来、反対車線を走るべき道路を逆走して一直線に僕たちのほうに向かってきていることや、ヘッドライトを暴力的に僕たちに浴びせかけていること、何よりも僕の体を走る抜ける直感的な何かが――この状況がとても危険であると真摯に警告していた。

 何が何だか分からないけれど、とにかく何か得体の知れないものに巻き込まれようとしている、そんな確信があった。

 僕は立ち上がって必死に自転車を走らせた。

迫りくる恐怖から逃れるように。

それはまるで現実感のない恐怖だった。

 夜の闇から抜け出してきたような黒塗りの大型車を振り切ろうと、僕は頭の中でこのあたりの地形を思い出しながら、まずは大通りを外れようと右折することにした。

「フィン、右に曲がるから足をしまって」

 限界までスピードを出したまま、極限まで自転車を右に傾けて曲がった。地面すれすれで曲がり終えて状態を立て直すと、そのまま路地を直進する。背中に――ぎゅるるるるというタイヤの滑る音が、まるで怪物の腹の虫の音のように響き渡った。ヘッドライトが再び僕たちを照らし、危険が直ぐそこまで迫っていることを告げた。

 僕の心臓は爆発しそうなぐらいに激しく鼓動を繰り返していた。全身に血液を巡らせようと忙しなく生命のポンプを動かし続けている。僕はでたらめに呼吸を繰り返して、酸素を必死に補った。体中が悲鳴を上げ、筋肉は石のように重く硬かった。

 現実の世界での運動がこんなにも厳しく、つらいものだということを思い知らされた。

前に進むことが、こんなにも大変なことだということを。

「――ねぇ」

 フィンが僕に声をかけた。

 僕はそれどころじゃなくて返事を返さなかった。

 このまま直進すれば長い下り坂になる――坂を下ると小さな川があり、小さな橋が架かっている。橋の手前には左右に分かれる道がある。そこまで辿りつければ、橋を渡るか右か左のどちらに曲がるかで追跡者を惑わすことができる。

 下り坂に入り、僕は立ち上がって思い切りペダルを踏んだ。

自転車は今までよりも速度を増し、タイヤは金切り声を上げた。

震えるハンドルを無理やりに押さえつけて、僕は体を前に突きだした。

「――ねぇ、聞こえている?」

 再びフィンが僕に声をかけた。

「話なら後ろのから逃げ切ってからにしてよ」

「自転車から下ろしてほしいの」

「下ろしてって、どういう意味?」

 どんどんと速度を増していく中で、彼女の言葉の意味が分からなかった。

加速するスピードに思考が追い付いていないみたいに。

「たぶん、あの黒い車、私のことを追いかけていると思うの。だから、私だけをおいてあなたは逃げてってこと」

「そんなことできないよ」

「でも、これ以上――」

「よく分からないんだけど、フィンが狙われるなら、なおさら助けてって言ってよ。困っているなら困っているってさ――さっき、そうするって言っただろ?」

「そうだけど――」

「とにかく、今フィンが言ったことは却下する。僕は君を連れて逃げるよ」

 僕は彼女の言葉を置き去りにするように、さらに速度を上げようとペダルを踏み込んだ。一度振り返って後ろを確認すると、黒い大型車は車二台分くらい離れていた。

 橋の入り口は目前で、速度も距離も狙い通りだった。

 もう一息だ――そう思った瞬間、急に前輪が浮き、空中でバランスが崩れた。

突然地面が消えたようにペダルは空回り、自転車は一回転していた。

 宙に投げ出された際に、自転車の前輪が外れてしまったこと、道路のマンホール部分のコンクリートが盛り上がり、それに乗り上げてしまったこと気がついた――けれど、もう手遅れだった。

 フィンも僕と同じように宙に放り出されていた。

僕は咄嗟に体を捩り、地面に対して仰向けの体勢を取ってフィンに手を伸ばした。

 僕はフィンの体を抱きかかえて、そのままコンクリートの上を転がった。天と地が入れ替わり、体中に激しい衝撃を感じながら、どうすることもできずに転がり続けた。

 橋の入り口に背中を打って停止した。

痛みで息ができなかった。

ただ、何か大きな光が殴りつけるように僕の体を包み込んだことだけは理解できた。

 もうだめだと思った。

そのまま、意識も途切れてしまいそうだった。

抱きかかえたフィンが無事なのか、意識があるのかも分からないまま、僕はさらに強く彼女を抱きしめた。

 絶対に離さないというように。

 黒い恐怖は僕たちの目前に迫っていた。

 現実から目を背けるように微睡がやってきて目を瞑ってしまうと、耳を劈くような激しい音が響いて、僕は再び目を開いた。

 目の前には、黒い大型車よりもさらに大きな、まるで戦車のような車が――僕たちを守る盾か壁のように聳え立っていた。

 恐らく、その戦車のような車と衝突した黒の大型車が、少し離れた場所で横転して煙を上げていた。戦車のような車のタイヤに、愛着のあるポンコツの自転車が下敷きにされていた。

 もはや原型がないといったぐらいに、ぺしゃんこだった。

 別れを告げる暇もなく。

「間に合ってよかったー。間一髪のぎりぎりセーフって感じね。それにしてもさすが男の子。ナイスキャッチよ」

 朦朧とする視界の中、運転席から出てきた人物を見て、僕は色々と浮かび上がる疑問をぶつけたい衝動に駆られたけれど、それらの全てを呑み込んで力なく言葉を発した。

「“軽自動車”を買ったんじゃなかったでしたっけ? それも、キャベツ色のかわいらしいやつ」

「あら、これ“軽装甲機動車”よ。立派な“軽”でしょう? それに、土のついたキャベツっぽくて、とってもかわいいじゃない」

 そこまで聞いて、僕は気を失った。

 

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