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青い春をかける少女~9話

09 夏期講習

kakuhaji.hateblo.jp第1話はこちらから ↑

 

 

「ただいまー」

 

 とぼとぼと帰宅すると、お母さんがキッチンで夕食の準備していた。

 食欲をそそる芳ばしい匂いが、私のぽちゃとしたお腹を刺激して不細工な音を鳴らした。

 もう少し謙虚で、自己主張を抑えてくれるといいのに。

 

「ハル、おかえりー」

「何か手伝おうか?」

 

 私はキッチンで手を洗った。

 お母さんは油揚げと葱の浮かんだお鍋の中でお味噌をといていて、隣のコンロでは衣をつけた鶏肉が油の中でじゅうじゅうと音を立てていた。大きめのお皿にはレタスとトマトがお行儀よく整列をしている。

 

 キッチンから見えるリビングでは、お父さんが夕食の待機をしていて、弟のそらと一緒に野球のナイター中継を見ていた。

 

 私は野球の中継が大嫌い。

 私の見たい番組は見られなくなるし、勝手に延長するし、ちんたら攻撃と守備が入れ替わって退屈だし、どこがストライクでどこがボールかなんて全然わからないし、ごひいきのチームに点が入るとお父さんも弟も大声を上げて、興奮したゴリラみたいにお父さんが豹変するのが大嫌い。だから、私は心の中でお父さんと弟のごひいきのチームが負けちゃえって、いっつも念を送っている。

 

 今日も負けちゃえばいいのに。

 とにかく延長だけはぜったいにやめてほしい。

 ほんと結果だけインターネットで見ればいいのに。

 

「先に部屋で着替えてきなさい。そのあとご飯をよそってくれる」

「わかった。ソラー、あんたお茶ぐらい用意しておきなさいよ」

 

 私が言ってもソラは答えない。それどころか返ってきたのはバカみたいな雄叫びだった。

ゴリラとチンパンジーがテレビを見ながら興奮している。

 どうやら、ごひいきのチームが逆転のホームランを打ったみたい。

 

 私は歓声を背にして自分の部屋に戻り、部屋着に着替えてから食事の支度を手伝った。炊き立てのご飯をよそい、お茶を注いで、おかずを並べる。鶏のから揚げ、ナスの揚げびたし、サラダ、キュウリのお漬物、油揚げと葱のお味噌汁。

 うーん、どれもおいしそう。

 

「いただきまーす」

 

 私たち家族四人は食卓について手を合わせた。

 

「ハル、今日も〝夜間飛行〟にお邪魔してたの?」

「うん」

「ハルも受験生なんだから……そろそろ勉強に集中したほうがいいんじゃないの?」

 

 私は、不意の先制パンチにぎくりとした。

 もちろん最近は我が家でも受験の話題が多くなってきていた。

 お母さんんもいろいろ気にし出していたから、この話題が出ること自体は予想できたんだけど、お父さんがいる前ではっきりと私の受験や進路の話をしたのは初めてだった。

 

 青瀬家では、お父さんのいる前で話す内容は公式なお達しであるという暗黙の了解がある。つまりお母さんはこれが些細な会話などではなく、公式に受験や進路についてどうするのかと尋ねているのだ。

 

 私は気が滅入り始めていた。

 

「……うん」

「夏期講習の申し込みはしたの?」

「……してない」

「するんでしょう?」

「…………」

「しないの? この間の模試あまりできがよくなかわったわよね」

「……うん」

 

 既成事実をつくるかのよう、次から次に話題を振ってくる母。

 私は落ちてきた空につぶされてしまいそうな気分だった。

 

「進路希望表には、なんて書いたの?」

「えっと――」

 

 私は正直に第一志望と第二志望の高校を告げた。第三希望は言えなかった。

 重苦しい空気が流れて、お母さんがやれやれと首を横に振った。

 

「その高校、たいした高校じゃないんじゃない?」

「野球バカのあんたが言わないでよ」

 

 唐揚げを口に入れながら軽口をたたくソラを、私がぎろりと睨みつけた。

 威厳も何もないよ。

 だって本当に大した高校じゃないから。

 

「あんただってたいして勉強できないくせに」

「俺は野球で食っていくから勉強なんかいいんだ」

「そんな簡単にプロの選手になれるわけないでしょ」

「だいじょうぶ。俺、エースで四番だし」

 

 小学六年生のソラが鼻高々に言う。

 たしかに弟は、所属している野球のクラブチームのエースピッチャーで、打順は四番を任されている。

野球をしている時のソラは、家にいる時の空とはまるで別人で、顔つきだけならテレビの中でマウンドに立っている選手にだって負けてない。

 

 小学六年生。

 

 それは私が大きな壁にぶつかって粉々に砕けた時期。

 それなのに私の弟は自信満々にプロになると宣言している。

 

 なんだろう、この差は?

 私はひどく落ち込みかけていた。

 

「ソラ、少し静かにしてなさい」

「はーい」

 

 ソラは返事をして食事に戻った。

 再び話題は私に移った。先ほどまでおいしかったごはんが、くしゃくしゃに丸めた楽譜を噛んでいるように感じられた。

 

「ハル」

「はいっ」

 お父さんに名前を呼ばれて私は背筋を伸ばした。

 そこには先ほどまで野生に帰っていたゴリラの姿はなく、実直で寡黙な私の父の姿があった。

 昔は野球選手を目指していたという逞しい父の体が、厳かな壁のように聳え立っている。

 

「別に、今直ぐ志望校を変えなさいとか、夏期講習に応募しなさいとか、〝夜間飛行〟に通うのをやめなさいとは言わない」

 

「……はい」

「来週から夏休みに入るね? それまでにお父さんとお母さんにハルの考えを話せるように頭の中を整理しておきなさい」

 

 まるで書類に判を押すかのように重みのある言葉を承った私は、ただ「はい」としか返事をすることができなかった。

 

「あなたはハルにあまいんだから」

 

 お母さんは呆れたように首を横に振っていた。

 味気ない食事を終えて、そそくさと私がリビングを出ようとすると、私の背中にまたしてもゴリラとチンパンジーの雄叫びが伸し掛かった。

 どうやらごひいきのチームが勝利したみたい。

 

 私は気が滅入ったままな自分の部屋に戻った。

 そして窓から月を見上げて手を伸ばした。

 

 

 やっぱり重症だ。

 

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