衛宮は、サイバー・マトリックス社から二ブロック離れた裏通りに車を止めた。
「なぁ……どういうやり方で行くんだ?」
「手筈は全て僕が整える。お前は僕の言う通りに行動しろ」
「分った」
一郎は頷いた。
「後ろの席にノートパソコンがある。まずはそれでマトリクス社のシステムにログインしろ?」
「俺が会社にアクセスしているのがバレたら、どうするんだ?」
「他人のアカウントを使うなり、ハッキングするなり、やり方は任せる。ログインしたら監視カメラの映像から鳩原の居場所を探せ」
「ああ、分った」
一郎は衛宮の言っていることを理解した。
バックドアから会社のシステムに侵入し、この状況の発端となったやり方で監視カメラの映像にアクセスを始めた。
「監視カメラの映像に入った。今から鳩原部長を探す」
「すでに退社している可能性は?」
「それはないと思う。うちの部署は社内の雑用が全部押し付けられる部署だ。残業なしで帰れる社員なんていないし、それは部長だって同じだ」
「なかなか楽しそうな部署じゃないか?」
「ああ。どうでもいいシステムの設計から、何の役にも立たないコードの直し……採算の取れなくなったプロジェクトの後始末……まるでゴミ箱のアイコンみたいな部署だよ」
一郎は恨み辛みを吐き出しながら、監視カメラの映像をチェックし続けた。
「いた。ちょうど部署に戻る所だ」
「僕の携帯端末でも映像を追えるようにできるか?」
「ああ、楽勝だ」
一郎が素早くキーボードを叩くと、衛宮のスマホに情報が送信された。
「よし、こっちでも確認できる。次は社内の勤務情報にアクセスして、鵜飼がまだ会社にいるか調べてくれ」
スマホを確認した衛宮は、次の指示を出した。
「分った。えーっと……社員証のログを調べれば分るはずだけど。良しっ。ログに侵入できた。鵜飼室長は?」
一郎が手際よくシステムに侵入していく様子を、衛宮は特に驚いた様子もなく眺めていた。
「良しっ、出たぞ。鵜飼室長は退社してる」
「時間は分かるか?」
「えーっと……六時半頃だな」
「お前が退社して直ぐだな?」
「……言われてみれば?」
衛宮は表情を厳しくした。
「先手を打たれたか? イチロー……鵜飼の明日以降の予定を調べられるか?」
「明日以降の予定? どうやって? システム開発部は社のシステムから切り離されているんだぞ。時間がかかる」
「確か、鵜飼は社の取締役だったな?」
「そうだったはずだけど……」
「だったら、秘書課が鵜飼の予定を管理しているはずだ」
「そうか。秘書課のファイルにアクセスして、鵜飼室長のスケジュールを見れば」
一郎はすぐさまキーボードを叩き始めた。
「なぁ、イチロー、どこでハッキングを覚えたんだ?」
衛宮は何でもない調子で尋ねた。
「気が付いたらやってたよ」
「気が付いたら?」
「ああ。小学五年生の頃……好きな女の子がいたんだ。その子はクラスの人気者だった。クラスではとあるソーシャル・ネットワーク・サービスが流行っていて、もちろんその子もやっていた」
一郎はキーボードを叩きながら徐に話を始めた。
「俺はどうしてもその子のSNSが見たかった。何を書いているのかとか、今日何をしているのかとか、誰と仲が良いのかとか、どんな音楽を聴くのか、好きな食べ物は何なのか、そして誰のことが好きなのか。俺は……どうしてもそれを知りたかったんだ……」
「それで?」
衛宮は静かに話しの続きを催促した。
「俺は、その子のアカウントを盗んだんだ。簡単なパスワードだった。名前と誕生日の組わせ……俺は毎日その子のSNSにアクセスして、その子の全てを知ったような気になっていた。その後は、もう歯止めが利かなくなっていた……」
一郎は自分でも何を喋っているのか分からなくなっているかのように、全てを洗いざらい話し続けた。
「俺はクラス全員の情報を盗むことに躍起になっていた。クラスに俺の知らない話があることが許せなくて、俺はクラスの全てを知りたかった。次第に先生や周りの大人たち、見ず知らずの人の情報までも盗むようなった。何度も止めようとしたけど……止められなかった。就職活動に失敗して二年引きこもっていた時には、世界中のシステムに不正アクセスして、盗んだ情報をばらまいていた」
「何でそんなことをしたんだ?」
衛宮の問いに、一郎は表情を深く歪めた。
そこで初めて自分の底なしの醜さを知ったみたいに。
「『名前無き情報開示者たち』って知っているか?」
「ああ。海外のハッカー集団だろ?」
「じゃあ、その集団の思想は知っているか?」
「思想? 確か、『全ての情報は開示されるべき』、そんなところだったか?」
「少し違うな。全ての情報だけじゃない。『ネット上にある全てのリソースは、全ての人間が平等に使用できるべきである』」
「リソース?」
「つまりネット上に公開された画像や映像、音楽、サービスなどは、全ての人間が平等に使用できるべきであり、さらにはネット上にある全ての情報は、全ての人間が共有すべきものであるってことだ」
「なるほどね。なかなか高尚じゃないか」
衛宮は冗談めかして言った。
「ああ、俺はその高尚さを本当に信じていたんだ。全ての人間が核爆弾のボタンを持っいたら……本当に世界が平和になると思っていたんだ。バカだろ?」
一郎はどっと疲れやように言って肩を落とした。
「鵜飼室長は明日からアメリカに出張の予定だ」
一郎はハッキングの結果を報告した。
昔話のページを閉じるように。
「分った。じゃあ、行こう――」
衛宮はそれ以上何も聞かず、行動の開始を告げた。
----------------------------------------------------------------
kakuyomu.jp 続きはこちらから読めます ↑