ひとりぼっちのソユーズ Fly Me to the Moon~2

1 スプートニク

 

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 ユーリヤは変わった女の子だった。

 

 とても高いところからこぼした雫が飛び跳ねたような形の島国で、日本人とロシア人の『ハーフ』の女の子ってだけで変わってはいたんだけど、外見というよりも、おもに内面――心や魂の形が、ほかの女の子とは変わっていた。

 

 そしてユーリヤは『特別な女の子』だった。

 もちろん、誰にでもってわけじゃなくて――

 

 ――僕にとって『特別』だった。

 

 僕たちの家はご近所だった。

 突然引っ越してきたご近所さんで、わりと僕たちの親同士の仲が良くなった。それでご近所づきあいみたいなものがあったから、僕たちも自然と仲良くなっていったんだと思う。

 

 そこら辺の記憶って結構あいまいっていうか――何度も思い返すうちに、記憶の方が少しだけ美化されてしまっている可能性もあるから、まぁ、ご愛嬌。

 

 思い出って不思議なもので、自分の中で大切にしまっていればしまっているほど、少しずつ形を変えて色鮮やかになってしまう、そんな気がするんだよね。

 

 だけど、僕とユーリヤの出会いがお世辞にもよくなかったってことだけは――今でもばっちり覚えているんだよ。

 

 僕の母親が、最近引っ越してきたご近所さんに御惣菜か何かをおすそ分けするとかで、僕をそのご近所さんの家に連れて行ったのが――そもそもの始まりだった。

 

「玄関先で立ち話もなんだから」なんて、お決まりの井戸端会議開催の宣言を行った後、我々は――つまり僕と母親は――だだっ広いリビングにお通しされた。

 

 そして、そこから繰り広げられる話の長いこと長いこと。

 

 僕は、僕の遥か頭上を美しい放物線を描いて飛びかう、僕そっちのけの世間話にすっかり飽きてしまっていた。それに、その美しい放物線を描く会話の離発着は、僕がどれだけ手を伸ばしても手の届かないものだったので、僕はそれを呆然と見上げることしかできなかった。

 

 それに甘さ控えめのお上品なクッキーとか、あまりおいしくない紅茶にもがっかりしていた。

 やっぱり、これぐらいの年頃の男の子って甘いジュースとか、体に悪そうなお菓子の方がおいしいって思っちゃうんだよね。

 

 初めて目の前にする外国の女の人は、クッキーとか紅茶に負けないくらい上品で、かなり日本語が上手な人だったことは――何となく覚えている。

 

 僕はその外国の女の人を前にして、完全に委縮してしまっていた。

 案外、人見知りだったりするんだ。

 

 そんな状況に堪らなくなった僕は――「おしっこ」なんて嘘をついて、リビングを抜け出した。それから他人の家の中を探検と称して、うろちょろしたりした。宇宙人に捕らえられた少年が、宇宙船の中を何とか逃げ惑うような感じで。

 

 まぁ、好奇心旺盛な年頃の「これが若さか?」って感じの行動だよね。

 

 ユーリヤの家は本当に広かった。小さな僕には、それこそ巨大な『宇宙船』か『秘密基地』に見えてしまうぐらいに。実際は三階建だったんだけど、子供の僕には百階建ぐらい――部屋の数だって三百も四百もあるんじゃないかって思った。

 

 完全に大袈裟なんだけど、ぼろぼろでわずか三部屋しかないみすぼらしい我が家に比べると、ここはもう巨大な秘密基地と変わりがなかったんだよね――正直な話。

 

 僕隊員はそんな秘密の扉をかたっぱしから、何か面白いことがあるんじゃないかって、わくわくしながら開いていった。

 

 そして、あの部屋の扉を開けた。

 

 その扉は、他の扉と何だか違っているような気がしたんだ――開ける前から、『きっと何か素敵なことが起きるんじゃないか』って予感があったみたいに。

 

 まるで、とても長い物語のページを開くみたいな、そんな気がした。

 

 だから、金色のドアノブにそっと手を伸ばしてそれを回す時――僕の心臓は最高潮に高鳴っていた。

 

 どくんどくんって心臓の音が聞こえた。

 カウントダウンが始まったみたいに。

 

 扉を開くと、そこは広々とした書斎だった。

 

 思い返してみれば、そこが立派な書斎だったってことは分かるんだけど――あの時は何だろう、『秘密の図書館』? そんな感じに見えたのかもしれない。

 

 その秘密の図書館には、たくさんの宇宙船の模型があった。天井には太陽系の天体の模型が透明な紐でぶら下がっていたりして、僕は飛び跳ねてそれをつかまえようとした――

 

 ――夜空の星に手を伸ばすみたいに。

 

 そこは小さな宇宙空間だった。

 まるで不思議な重力に吸い寄せられたみたいに、僕はこの場所に辿りついた。そして飾られた宇宙船の模型を一つ手に取って眺めた。

 

 銃弾のような先端。

 縦長の真っ白な機体。

 裾の広がった噴射口。

 

 僕は思わず「わぁ」と声を上げた。

 

「勝手に触らないで」

 

 そこで突然、不機嫌で甲高い声が小宇宙を震わせた。

 

 僕が驚いて振り返ると、そこに小さな女の子が――

 

 ――ユーリヤがいた。

 

 とても清潔そうな――さっき洗濯が終わったばかりって感じの白いワンピースを着て、大きな灰色がかった瞳をした女の子が、僕をまっすぐに見つめていた。

 

 一目で、僕が知っている女の子とは違うんだって――彼女は『特別』なんだってことが分かる雰囲気が、そこにはあった。

 

 だけど、僕は怒られたと思って意気消沈(いきしょうちん)してしまっていた。

 

「あ……ごめん、この宇宙船……君の?」

 

 目の前にした女の子は、背丈こそ僕とそんなに変わらなかったんだけど――僕はこの年頃の男の子の中では、飛び切りに『おチビ』だったんだよね――何となく表情とか、雰囲気なんかが僕よりもぐっと大人っぽくて、二つか三つくらい歳が上のお姉さんに見えた。

 

 年上の人に怒られるって、この年頃だと結構めげちゃったりするよね。

 

「宇宙船じゃない。『ボストーク1号』」

 

 僕の目の前まで来た女の子は、僕の手から宇宙船――じゃなくて『ボストーク1号』を取り返すと、それを大事そうに両手で抱えた。まるで帰還する宇宙船を迎え入れるような、そんなとても優しい表情が印象的だった。

 

「ボストークって、その宇宙船の名前?」

 

 僕はびくびくしながら尋ねた。

 

「そうよ。世界で初めて人を乗せて宇宙に行ったロケットなんだから。そんなことも知らないんだ」

 

 僕を見つめてそう言った女の子は少しだけ得意げだった。

 

「知らない」

 

 僕は素直に白状して首を横に振った。

 

「あと、ここはパパの書斎なんだから勝手に入らないで」

「ごめん」

「人の家に来て、勝手にお部屋の扉を開けるなんて失礼だわ」

 

 女の子は唇をつんと尖らせて、出来の悪い弟を躾けるような口調でそう言った。

 

 僕はもう、とんでもないことを仕出かしてしまったんだという気持ちに駆られて、びくびくしっぱなしだった。

 

「ほら、早く出なさいよ。お母さんに言いつけてやるんだから」

 

 その言葉を聞いた瞬間に、僕は恐怖のどん底に突き落とされて、そして頭の中で「どうしよう」って一万回ぐらい叫びまくっていたと思う。

 

 変な汗をかいて、胃袋が裏返って、世界が反転してしまったみたいに。

まるで生きた心地がしなかった。

 

 母親に怒られるってある意味では、世界の終りよりも怖かったりするんだよね。

だって、その先にはさらに恐ろしい父親が待っているんだから。

 

ダースベイダーのテーマ――『The Imperial Marc』って知ってる? 本当にあれが流れてくる感じなんだよ。マジな話。

 

 そんなほぼ半べそ状態の僕を、女の子は意地悪く見つめて冷やかに笑った。

 

「内緒にしていてほしい?」

「うん」

 

 情けない話なんだけど僕はすがるように頷いた。

 女の子は仕方ないって調子で指を一本前に突きだした。

 

「いいけど、一つだけ条件があるわ」

「条件?」

「そうよ、今日からあなたは私の『スプートニク』になるの」

「スプ、ート、ニ?」

 

 初めて聞く『不思議なその言葉(スプートニク)』を聞き取れず、僕は言葉の意味を尋ね返した。

 

「『スプートニク」。人工衛星の名前よ。そんなことも知らないんだ」

 

 女の子はあの年頃の子供がよくするような、自分の知っていることをさも大袈裟に披露する感じで、「そんなことも知らないんだ」って――嫌味っぽく言った。

 

 それが彼女の口癖の一つだった。

 

 女の子は並んだ模型の中から、一つ選んで手に取ってそれを僕に渡した。

 その模型は金属の球に、一方向に向かって四本の棒がついた、何だか訳の分からない形をしていた。

 

「これが、スプートニク?」

「そう、それがスプートニクよ」

 

 それは人工衛星っていうよりは、工作の時間に失敗したガラクタみたいに見えた。

 あるいは金属の虫みたいな。

 

 もっとカッコいいのがいいなって思ったけど、それを口に出したりはしなかった。

 

人工衛星っていうのは、地球の周りをいつも離れずにぐるぐる回っているでしょう? それがあなた。つまり私の後ろを、いつもくっついてくればいいの。簡単でしょう?」

 

 腰に手を当てて偉そうにそう言う女の子は、今思えばめいっぱい背伸びをした『おませさん」で、とてもチャーミングだったんだけど――あの頃の僕にはとんでもなく酷い提案で、酷い女の子に見えたし、思えた。

 

 だって、これって要するに――彼女の子分になれってことなんだからさ。

 

「いい、これからあなたは私のスプートニクなんだから、勝手にどこかに行ったり、私の許可なく私の先に行ったりしちゃいけないんだからね」

 

 母親に怒られることと、彼女の子分になることを頭の中で天秤にかけて――僕はしぶしぶ大きく頷いた。

 

 女の子は満足げに頷いた。

 

「よろしい。私はユーリヤ・アレクセーエヴナ・ガガーリナよ」

 

 そして、ワンピースの裾をつまんで可愛らしくお辞儀をした。

 その瞬間に、僕は体が浮かび上がったんじゃないかってくらい胸が弾んだ。

 

 人生で初めての無重力体験だった。

 

 ユーリヤは僕と目を合わせてにっこりと笑った。

 

「よろしくね、スプートニク

 

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