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iの終わりに~7話

第7話 幽霊

 

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 天窓から真っ直ぐに差し込んでくる太陽が眩しかった。

僕はそれから目を背けないようにしながら、つっかえのついた棒を使って天窓を開き切った。

「おわったよ」

「助かったわ。お天気がいいから部屋の換気がしたかったんだけれど、私じゃなかなかうまくいかなくて、苛々していたところなの」

「もしかして、ずいぶんドタバタしているなって思ったのは、そのせい?」

「八回転んだところで諦めたわ」

「七転八倒を体現してみたんだね。それにしても、フィンも苛々したりするんだ」

「ええ、もう少しでヒステリーを起こしてティーセットを粉々にして、あのぬいぐるみをさらにボコボコにして、この屋根裏部屋ごと焼き払ってしまおうって思っていたところなの」

「お澄まし顔でそれを言われると、怖いよ」

 僕が唖然としていると、フィンは無表情で肩を竦めてみせた。

「紅茶おいしかったよ。ごちそうさま。そろそろ行くね」

「おそまつさま。私こそ、ごちそうさま。何が、用事があるの?」

「僕こそ、おそまつさま。うん。書庫の掃除をするんだ」

「ねぇ、私も手伝ってもいいかしら?」

「手伝うって掃除を? 構わないし、助かるけど――いいの? 何か用事があってここに来てるんじゃ」

 フィンも座っていた椅子から立ち上がると、ひょこひょこと歩きながら口を開いた。

僕たちは一緒に螺旋階段を下りはじめた。

「私、特にすることもないの。本当にやることなんて一つもないんだから。友達だって一人もいないし、これといって興味のあることも、趣味みたいなものもないの。でも、家に籠っているとお母さんに心配かけちゃうから――それで、この書庫で時間を潰しているだけなの」

 何でもない、まるでそこに書かれたことをただ読み上げたような彼女の声の調子に――僕は何だろう? 深く傷ついていた。

 そういう言葉を彼女から聞きたくはなかった。

もちろん、誰からだってこんな話聞きたくはないんだけど。

「さっきのあなたの質問だけど、ちゃんと家には帰っているわ」

 彼女は思い出したように言って続けた。

「ただ、休日も部活動があるからって出てきたの」

「部活動?」

「嘘なのよ。私の頭の中にある架空の部活なの。私ね、実のところ授業だってまともに出ていないの。特別履修っていって――小学校くらいの時に、不登校の子が仕方なく通う保健室登校ってあったでしょう? あんな感じの、授業に参加しなくても成績さえよければ単位をもらえるっていう扱いで、この高校に通わせてもらっているの。お母さんにはちゃんと授業を受けているって嘘までついて」

「何で、そんな嘘を?」

「さっきも言ったけれど、心配かけたくないの。私ってこんなのでしょ?」

“こんなの”――そのたった“四文字”の言葉は、自分に向けて言うにはあまりにも寂しすぎる、悲しすぎる言葉な気がした。

「だから、今までお母さんに心配をたくさんかけて、辛い思いばかりさせてきちゃったから、もうそういう思いはさせたくないなって、そう思うの。でも、本当に情けないなって思うんだけれど、お母さんを安心させる唯一の方法が嘘をつくことなんて――本当にやれやれって感じの話しで、うんざりちゃうわよね」

 僕たちは螺旋階段を下り終えた。

「私とお母さんね――あまりお話したりしないんだけど、寝る前に少しだけお話するの。“授業はどうだったの?”とか、“お友達とはどうなの?”とか、“放課後はどこに遊びに行ったの?”とか、本当に些細なお話なんだけど、私が学校の話をするとね、お母さんが安心したような顔をするの――ううん、安心だけじゃない。本当かしらって複雑な顔もするんだけど、その顔を見ちゃうとね、私、嘘をつくのが止められなくなっちゃうの。本当に、最低よね」

 自分のことを“最低”と言ったフィンを、僕は肯定も否定もできなかった。

ただ黙ったまま彼女の言葉に耳を傾けることしか、僕にはできなかった。

 彼女の言葉は、どんどんと深い場所に沈んでいくように続いた。

まるで暗い井戸の奥深くへと落ちていくように。

「私ね、よく考えちゃうの。いったい、私は何を間違えてしまったんだろうって。どこで何を踏み外してこんなふうになってしまったんだろうって。でもね、けっきょく、どれだけ考えてみても、どこにも原因なんて見当たらないの。そこにあるべきものは、あってほしいはずのものは――“からっぽ”なの」

“からっぽ”――彼女は足を止めて本棚に寄り添い、本の背表紙をそっと撫でた。

「何か明確な原因とか、決定的なトラウマとか、悲劇めいた境遇とか、生まれもったハンデキャップとか、そう言った分かりやすい何かがあってくれればよかったのに、私には何もないの。そういったものにこじつけて、意味や理由を与えて、そこに塞ぎ込んで逃げることもできない」

 彼女はまるで自分にはないタイトルを、その物語の中身を探すように、背表紙を優しく撫で続けた。

「初めはね、私につきまとう何か――漠然とした“悪意”みたいなものから逃げているんだと思っていた。でもね、それは“悪意”ですらなかったの。それはただの幻だった。私が勝手に一人でつくった“幽霊”みたいなものだった」

 僕は彼女に何かを伝えなきゃって思ったんだけど、何一つ相応しい言葉を思いつくことができなかった。まるで幽霊が僕たちの体を通り抜けたような心地悪さを感じていた。

フィンは“悪霊”に憑かれたように体を震わせた後、足を踏み出した。

すると、彼女はまるで足をつけるべき地面を失ったように、不自然によろめいた。

そのまましな垂れた草花のように僕に体を預けた。

「何だか、歩くのに疲れちゃったみたい」

 僕の肩に顔を預けたフィンの様子を見て、僕は戸惑いながらも直ぐにその理由に気がついた。

ずっと彼女がひょこひょこと歩いていた理由に、僕は直ぐに気がつくべきだった。

 フィンに感情の起伏がなくて、表情があまり変化しないことを、喋りかだって抑揚がないってことを、もっと気にしておくべきだった。

「フィンの足すごく腫れてるじゃないか。やっぱりさっき階段から落ちた時に、どうして、こんなになるまで黙ってたんだよ?」

「私、痛みとかに鈍感なの」

 彼女の足は青紫色に腫れていた。まるでその部分だけが彼女のものではなく、何か得体の知れないものがとり憑いているみたいに。

「保健室に行って湿布か何かもらってくるから、フィンはここでじっとしていて」

 すると、彼女が僕の制服のひじの部分を握った。

すがるように。

「お願い、行かないで。私ね、今、どうしようもないくらいに眠いの。多分、しばらく目を覚まさないと思う。それでね、一人になるとひどく怖い夢を見そうだから、どこにも行かないで、一人にしないでほしいの」

「怖い夢? でも、せめて何かで腫れた部分を冷やさないと」

「体の痛みは大丈夫。さっきも言ったけれど、私、痛みには鈍感だし、そういのには慣れているから。それよりも、だから、ね?――」

 そこまで言うと、彼女は重たすぎる瞼を開いていられなくなったように、静かに目を瞑って動かなくなった。

 彼女の名前を何度呼びかけても、彼女は反応しなかった。

冷たい彼女の頬に触れて寝息一つ立てない彼女を見ていると、まるでフィンが死んでしまっているように見えた。

 ゆっくりと仰向けに寝かせると、棺桶の中に収まっているようだった。

「何だよ? 痛みに鈍感で、慣れてるって? 何だよ? “こんなの”って? ぜんぜん、そんなことないじゃないか。ちょっと変わっているけど、フィンは普通の女の子だよ。そんな悲しいこと、言うなよ。ちくしょう。なんて言えば――よかったんだよ?」

 今さら遅すぎる言葉が次から次にこぼれ出して、僕は悔しさでいっぱいになった――

 

 ――僕は、ただ彼女の手を握っていることしかできなかった。

 

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