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iの終わりに~4話

iの終わりに(完結済み) 小説

第4話 夢からさめない子供たち

 

kakuhaji.hateblo.jp

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「お兄ちゃん、おはよう。今日の朝ごはんなにー?」

 翌日。

 夢を見ることなく微睡の浅瀬を揺蕩い、目覚まし時計が鳴るよりも早く起きた僕は――システムキッチンに立って朝食の準備をしていた。

 妹はだいぶ遅れてリビングに現れた。ファンシーという表現が適当なパジャマ姿のまま、欠伸で顔をくしゃくしゃにしている。

「サンドイッチにするよ。実はマスタードを自家製したんだ」

 イエローマスタードシードの粒が残るくらいの蜂蜜色のマスタードが入った瓶を眺めた。

「えー、私パンよりもご飯がよかったのに。ぎゃっ――ちょっと、何この量? 二人で食べきれるの? それより、お兄ちゃん何で制服なの? 今日は休日だよ」

 キッチンにはボイルして殻を剥いたエビ、崩したコンビーフ、一口サイズのカマンベールチーズ、アンチョビフィレ、昨日の夕食の残りのチキンフィレオ、焼いたベーコン、ツナ、コーン、ゆで卵、トマト、レタス、キュウリ、オリーブ、マヨネーズ、マーガリン、ビネガーなどがまるでマスゲームの行進のように規律正しく、そして色鮮やかに整列していた。

「まぁ、サンドイッチでもいいけどね」

 文句を言って一頻りの疑問を吐きだした妹の表情からは、すでに眠気というものが吹き飛んでいた。無造作に絡まり合った長い黒髪はあさっての方向を剥いていて、手入れをさぼった観葉植物のみたいだった。

 そんな気の抜けた感じの妹が僕は好きだった――年頃を迎えたせいか最近は妙におめかしをすることも多くなり、出かける前の準備に余念がない。色気づき、どんどんと成熟していく妹を見ていると、何だか自分がどこかに置いてきぼりにされているみたいに感じた。

 僕は妹の口元についた涎の後を見つけて、それに手を伸ばして親指で拭った。

 妹は不機嫌そうな顔をした。

「ちょっと、子ども扱いしないでよね」

「さっさと顔を洗って来いよ。サンドイッチの量が多いのは今日学校に行く用事があって昼飯代を浮かせるのに持っていくんだよ」

「もしかして図書館警察のお仕事? せいがでますねー」

「バカにした顔をするなよ。それに図書館警察じゃない。図書館司書のアシスタント」

 僕は一応訂正しておいた。

「そー、それそれ。でも、それにしたって多くない? 私そんなに食べないからね。後、アンチョビもオリーブも嫌い。コンビーフだって油っぽいからやだ。私のサンドイッチにはマヨネーズあまり入れ過ぎないでね。あと卵も、野菜は多めにしてよね」

「ダイエット?」

 僕は思いついた単語を口にした。

「身体測定が休み明けにあるの。だから今年一年間の公式の体重を、なんとしても去年よりも軽いものにしなければ」

「だったら、夜にお菓子食べるのを我慢したほうが――」

「それは年頃の女の子には無理な相談なのです」

「あっそ。でも、去年よりも体重を減らすのは無理だろ?」

「どーしてよ?」

「明らかに去年よりも肉付きが良くなってきたし、ブラジャーのサイズだってツーサイズ大きくなっただろ? 出るところが出てきてるんだから、体重が増えているのは当然――」

 妹は身を守るように胸の前で両腕を交差させた。

そして、驚愕の表情を浮かべてわなわなと体を震わせた。

襲いかかろうとする獰猛な獣に怯えたように。

「お兄ちゃん、私のことをそんな目で? それに“肉付きが良くなった”だなんて下品な言葉使い、そしてブラジャーのサイズを把握している用意周到さ、身の危険を感じます。セクハラ反対っ」

「だったら、お前の下着まで僕に洗わせるなよ」

「聞こえませーん」

 

 10minutes/later

 

「お兄ちゃん料理上手になったね。このマスタード本当においしい。これはもう私じゃ適わないかな」

 サンドイッチを頬張りながら妹は満足そうにそう漏らした。

「お前もたまには腕を振るってくれよ」

「受験生にはそんな時間はありませーん」

 今年から中学三年生に上がり、いよいよ高校受験を控える妹は、それを免罪符にして、家事の一切を放棄し始めた今日この頃――さらに何かあれば面倒事を押し付けてきて、横から文句をつける始末だったけど、僕はその理由を知っていた。

たぶん取り戻そうとしているんだ。

失っていた時間を――

 暫く穏やかに食事をしていると、テレビのモニターから聞き逃すことができない言葉が、僕の耳に流れ込んで来た。

 僕はテレビに映る普段ならば毒にも薬にもならないはずのワイドショーを見て、体を冷たい石みたいに強張らせた。

 

 ――【アナムネシス・シンドローム

 

 小ざっぱりとしたスーツに身を包んだ司会のアナウンサーと、博愛主義者然とした感じの良い女性コメンテーターとのやりとりの中で、その“単語”は発せられた。

『児童三百名同時昏睡事件ですが、これまでの報告では新たに三十名以上の児童が昏睡状態へとなり、回復の見込みはまるでないとのことですね。えー、ここで言う児童とは満十八歳以下の子供たちを指しております。昏睡状態の子供たちは三歳以上から一八歳以下で、割合としては十歳から十六歳の児童が多数を占めているとのことです』

 司会のアナウンサーは女性コメンテーターに話を振った。

『ここ数年で一気に増えてきましたよね? 眠りから戻らない子供たち。私たちの世代だと、嫌な夢ばかり見てしまう現代病が一時期流行ったんですけど、それとはまるで逆ですね』

『ええ。アナムネシス・シンドローム――【眠り病】なんて言われているこの病気ですが、厚生労働省の調べでは現在十八歳以下の児童の“60%”が、そして十四歳以下の児童の“99・9999%”がこの眠り病の患者であり、【アナムネシス・チルドレン】と呼ばれています。私たちが言う所の【眠り世代】ですね』

『眠り世代――アムネシス・チルドレンと呼ばれている子供が、そんなにですか、改めてすごい数ですね?』

『ええ、そしてそのアムネシス・チルドレンの2パーセント、約二五万人の児童が、現在、重度の依存症状態か昏睡状態に陥っています』

『そんなにですか?』

『そうなんです』

『日本以外、他の国々でも起きているんですか?』

『はい。基本的には先進国で多く起きている病気ですが、現在少しずつ広がりを見せていて、世界中で起こっています。だけど一番進行が速い国はこの日本で、アムネシス・チルドレンが初めて見つかったのもこの国です』

『事件と言っていいのかは分かりませんが、【ザ・ナイトメ・ビフォアー・ナイトメア】――“自分たちは悪夢の前の悪夢から生まれて来た”。あの出来事は、まだ記憶に新しいですよね』

『ええ、本当に。その後も事件はたくさん起きているんです。公に報道されていませんが、たった一人で三万人もの子供たちを眠りの中に閉じ込めた事件や、一年半前の大量帰還と呼ばれるもの。新興宗教のような組織をつくって、子供たちを眠りの中に引きずり込もうとしている子供たちまでいるんです』

 女性コメンテーターの話が脱線をはじめた。

すると公共放送の電波に乗せるに相応しくないと判断されたのか、司会のアナウンサーの隣に置物のように佇んでいた女性アナウンサーが、虫も殺さないような声で制止をかけた。

『これは報道されていることですが、日本の各地で夢と現実の区別のつかなくなった子供たちが集団的に自殺をしている事件も発生しています。重度のイデア依存症患者です。この状況に対して日本政府は何の手も打たずに、ただただ事態が加速して深刻になっているのに手を拱いているだけなんです』

 ヒステリックになり、厚化粧が罅割れてしまいそうなくらいに表情を歪めた女性コメンテーターがそう言い放つと、その女性コメンテーターの隣に座っていたスーツ姿の男性がゆっくりと手を上げた。

 男性は黒光りしたスーツに黒いタイをきつく結び、綺麗に撫でつけた黒い髪の毛が印象的だった。けれどそれとは対照的にその表情は真っ白で、次の瞬間には頭の中から消え去っている――いや、消し去りたいと願ってしまうような顔だった。

『何もしていないなどと言われては困ります。我々政府与党以下、全ての省庁、そして政党の垣根を越えて、我々はこのアナムネシス・シンドロームアナムネシス・チルドレンの昏睡問題に対し、明確な対策を打ち出しています』

『詳しくお願いできますか?』

 司会のアナウンサーが、女性コメンテーターの隣に座る国会議員に尋ねた。

『はい。まずは精神的なケアを行い、現実と真っ直ぐに向き合うことができるようにと、日本全国に児童相談所を設けました。ホームページからも、フリーダイヤルからも二十四時間アクセスが可能です。また未成年の就学している全ての教育機関に精神分析官を置くように定めています。一度昏睡状態に陥り再び現実に還ってきた子供たちがスムーズに社会に復帰できるプログラムを実施していますし、昏睡状態から戻らない子供たちに関しても政府が責任を持ち、専門病棟での治療を行っています』

『これですね?』

 テレビ画面には、子供たちが大きな病室の中で青白い病衣を来てベッドに寝ている光景が映し出された。

 その光景を見た瞬間、僕は心臓を握りつぶされたような苦しみを感じた。

冷たい血が体からこぼれているみたいだった。

吐き気がした。

 体育館のような広い空間、薄い間仕切りに仕切られたベッドの中で、薄い毛布に包まれた何百人もの子供たちが眠りについている――頭には電極のついたヘルメット、体中には脈拍を計るコードが蜘蛛の糸のように絡まりついて、口と排泄器官には管が通されている。

 機械によって無理やり生へと、現実へと繋がれた姿は、見るも無残に弱々しかった。

 情けなく、惨めで、残酷で、悲しかった。

 それは、砂浜に打ち上げられた無数の魚の死骸にすら見えた。

『そして、厚生労働省を中心とした特別対策チームを組織して、現在積極的なアプローチを行っている最中です』

『積極的なアプローチというのは?』

『昏睡状態の子供たちの“サルベージ”です』

『サルベージといのはあれですよね、海の底に沈んでいるものをクレーンか何かで引き上げるような?』

『全くその通りです。“眠り世代”と呼ばれている子供たち、その中でも私たち特別対策チームが厳正に審査をし、厳しい試験を通過した十六歳以上の子供たちに協力を求め、昏睡している子供たちの引き上げを行ってもらいます』

『そんなことが可能なんですか?』

『非常に難しいですが、可能性はあります』

『詳しく説明して頂けますか?』

『はい。まず、昏睡状態の子供たちですが、“深度”――眠りの深さのことです。現在これが五階以上に達し、その深度から戻ってこない状態を“昏睡状態”と定めています。眠りの段階についてですが、我々の眠りとは全部で“四つ”――“浅いレム睡眠”、“深いレム睡眠”、“浅いノンレム睡眠”、“深いノンレム睡眠”の四つです。“浅いレム睡眠”を“深度一階”とし、“深いノンレム睡眠”を“深度四階”と定めているのですが、眠り世代ではない我々の睡眠は、この“深度四階”より深くなることはありません』

 テレビモニターには国会議員の話を分かりやすくまとめたフリップなどが映された。

『しかし、眠り世代は違います。彼らの睡眠は、いくらでも深く潜ることができる。現在確認が取れている最大の深さは“十三階”です。恐らく、そこまで深く潜ってしまうと現実に戻るのはかなり難しいと言えます。もちろん、例外はありますが、多くの子供たちは六階から八階辺りを行き来して、その中で見る夢に囚われています。そこに、我々が選定した子供に潜ってもらい、直接、交渉と説得をしてもらうというアプローチです』

『私は反対です』

 女性コメンテーターが突然に声を荒げた。

『子供たちをもう一度そんな深い悪夢の中に送り込むなんて、非人道的です。悪魔の所業です。そんなことをするよりも、もっと住みよい社会を、よりより平和な世の中をつくることが先決なんです。子供たちが悪夢から覚めた時に、素晴らしい世界が温かく迎えてくれる。良く帰って来たね、おかえりと言ってくれる優しい社会をつくるべきなんです。そのためには――』

 

 そこでテレビ画面が黒に染まった。

 僕は頬を叩かれたようにはっとして、向かいの席に座った妹を見つめた。

リモコンを強く握りしめ、テレビ画面を突き刺すように真っ直ぐと手を伸ばした妹は歯を食い縛り、顔を真っ赤にして怒りに震えていた。

 その怒りに満ちた瞳には大粒の涙が溜まって、今にも零れ落ちそうだった。

「ごめん、つい気になって」

 僕は両手を上げて降参のポーズをつくった。

 妹は握っていたリモコンをテーブルに強く叩きつけた。

「ねぇ、いつまでしがみついているの? いつまで縋っているつもりなの? あそこには、あんなところには、何もないんだよ? あんなものぜんぶ幻で、ぜんぶ偽物で、ぜんぶ嘘で、ぜんぶインチキなんだよ? そんなこともまだ分からないの? お兄ちゃんは、結局なんにも分かってないんだよっ」

「分かってるよ」

「分かってないよっ」

 僕の力ない返答に尚更激怒したように、妹は力強く言葉を返した。

現実に楔を打ち込むように。

「ねぇ、お兄ちゃんもう高校生なんだよ? もう十六歳で、私よりも二つも歳上で、お兄ちゃんなんだよ? それなのに、いつまでも――気持ち悪いのよっ」

 堪らなく大きな声でまくしたてた妹は、立ち上がってリビングを出て行った。

その背中を、僕は追うことができなかった。

ただ意味もなく手を伸ばそうとすることしかできなかった。

 扉を閉める大きな音が部屋の中を響かせた。

 まるで今まで慎重に積み上げてきたものを土台から崩してしまうような、そんな音がした。

 後に残ったのは虚しい沈黙だけだった。

「ちくしょう」

 その静けさに耐え切れず、伸ばしかけた手を拳に変えて振り上げて――そして、力なく下ろした。

 食器を震わせる小さな音がした。

やっぱり後に残ったのは虚しい沈黙だった。

 妹が食べ残したサンドイッチが、どうしてかベッドで横たわる昏睡児童に見えた。

ぐちゃぐちゃになった粒マスタードが、垂れ流された排泄物にさえ――

 

 ――気持ちが悪くて、この場で吐きそうだった。

 

 

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