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仕事をやめるたった一つのやり方~2話

第2話 今日こそ、仕事をやめよう・・・

 

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第1話はこちらから読めます ↑

 

 

 一郎が一息つくことができたのは、パソコンの前に座って六時間ぶっ通しで作業をした後だった。朝の九時半に出社して、気が付いたら午後の三時を回っていた。昼食どころかおやつの時間だ。

 

 一郎はよろよろと立ち上がり、会社の近くにあるラーメン屋にでも行こうした。

 昼時はどこも混んでいるし、ラーメン屋も行列に並ばなければいけないので、ちょうど良い時間に休みが取れたのだ。

 そう自分に言い聞かせた。

 社会人になってから、一郎はとにかくに自分に言い聞かせることが多くなっていた。これは仕方がないことなのだ。不可抗力だ。自分のせいじゃない。でも仕方ない。やるしかないんだ。

 そうやって自分を偽り、ごまかし、やり過ごしてきた。

 

 今日も自分に仕方ないと言い聞かせて、一郎は遅めの昼食に向かって行った。

 すると、背中に嫌な声が張り付いた。

「鈴木君、こんな時間にどこに行くのかな?」

 振り返ると、一郎の部署の部長である鳩原はとはらが不機嫌そうな表情で立っていた。

「あ、あの、その……今から昼食に」

「こんな時間に? 今まで何を?」

 舐めるような視線で一郎を眺めながら、鳩原は首を傾げる。

「今までプログラムのコードを書き直していて……それでそれが一段落したので」

「鈴木君……君は本当に何をやるにも人の三倍の時間がかかるな? 君と同じ名前のイチロー選手は、メジャーリークでも三割バッターだと言うのに」

 上司の皮肉に一郎は歯を食いしばった。

 一郎は自分と同じ名前の野球選手イチローと比べられることに辟易していた。子供の頃から繰り返し続いた皮肉や中傷だった。何かにつけてイチロー選手の偉業と比較され、その度に笑いものにされてきた。

 

 鈴木一郎。

 日本一有名な野球選手と同名であるということが、一郎のコンプレックスの一つだった。

 

 上司の皮肉は続いていた。

「昨日プロジェクトに参加した三人は、すでにプログラムを書き終えているというのに……君ときたらいつまで経ってもグズグズと」

「その三人がめちゃくちゃにしたプログラムを、俺は今まで書き直していたんだっ。あんなぼんくらでミジンコ以下のエンジニアでもプログラマでもない素人以下のカスを、一体どこから連れてきたんだ? アンタの目は節穴か?」、一郎は声を大にして叫びたがったが、喉元から零れ出た言葉と言えば――「あっ」「えっ?」「いや」「でも」「あの……」だけだった。

「まったく、君には本当にがっかりさせられる。昼食なんか後回しにして、私が君の端末に送ったプログラムがコンピュータ上で走るかどうかを試しておきなさい」

 そう厳命した上司の背中を、一郎は呆然と見つめていた。

 その瞳には、うっすらと涙が浮かんでいた。

 

 一郎は自分のデスクに戻り、上司から送られてきたどうでもいいプログラムの確認をした。こんなものはただの嫌がらせだった。ソースコードコンパイラにぶち込んで放っておくだけの、誰にでもできる単純作業でしかなかった。

「……ちくしょう」

 一郎はそう呟いた。

 あの鳩原という上司は、一郎が人の頼みを断れない気弱な性格だと見抜いており、それに付け込んで意味のない仕事を次から次に与えては、仕事の粗を探してそれを指摘するという悪癖持っていた。

「はぁ、仕方ない売店でパンでも買ってくるか?」

 一郎は社内の売店でアンパンと牛乳を購入し、自分のデスクで黙々とそれを喉の奥に流し込んだ。味なんかせず、まるで没にしたプログラムの仕様書を呑み込んでいるみたいだった。

「僕は……何をやっているんだ?」

 一郎はぼやいた。

 苛立ちは募りに募り、憎しみにも似た感情がコンパイルを続けるモニタに注がれる。

「くそっ。もうダメだ――」

 一郎は衝動的にパソコンのキーボードを叩き、プロンプト画面からコマンドを打ち込んだ。

 すると一郎の端末は、セキュリティの厳重な社内システムにものの数秒で侵入を果たした。まるで鍵穴に鍵を差し込んだように、管理者権限のある上級職員でしかアクセスできないデータを閲覧できるようになっていた。

バックドア』と呼ばれるハッキングの手口だった。

 

 社内システムに侵入した一郎は、続いて鳩原の端末にログインし、その中にデータを根こそぎ盗み始めた。最近閲覧したウェブサイト。検索履歴。ダンロードしたファイルやソフト。メールの内容。何か不正な行為は働いていないかなど、何か握れそうな弱みを探し始めた。

 一郎には握った弱みを突きつけて脅したり、待遇の改善を要求するつもりなどは一切なかったが、弱みを握っているという優越感を得ることで、この状況に対する不満や怒りを鎮めようとした。

 一月程前、同じように鳩原の端末にハッキングを行った際には、鳩原が頻繁にアクセスしているアダルト動画のサイトなどを見つけて溜飲を下げた。

 黒い肌の女子高生に激しく虐められたり、ルーズソックスだけの画像が無限に保存されていたり、痴漢SNSに登録をしていたり、月に七回もデリヘル嬢を招いていたり――そんな弱みを握った一郎は、それをネタに上司を脅すという妄想で何度も気を静めてきた。

 しかし、その妄想はすでに賞味期限切れになっていた。

 新しい弱みが、新しい妄想を抱くための新鮮な脅迫材料が必要だった。

 

 これが重大な不正行為だということは分っていた。社内システムへのハッキングが発覚すれば、一郎は間違いなくクビになるだろう。

 それにマトリクス社はセキュリティ関連の事業で業績上げ、政府機関のセキュリティ・アドバイザーまでも務めている。そんな会社で社員のハッキングが発覚すれば、一郎は刑事罰に問われ、多額の損害賠償を請求されることになる。場合によっては、ワイドショーを賑わす結果になるかもしれない。

 それでも一郎はこの行為を、悪癖とも呼べるハッキングを止めることが出来なかった。小学生の頃に簡単なハッキングを覚え、それからは憑りつかれかのようにハッキングを繰り返した。二年間引き籠っていた際には、二十四時間体制で世界中のサイトやシステムにハッキングを繰り返していた。

 自分に知らない情報があるということが許せなく、全ての情報は共有されるべきだという下らない理想主義に染まりきっていた。

 一郎はありとあらゆる情報を白日の下にさらすべく、連日ネットの海を彷徨い続けた。

 

「なんだこれ……高度に暗号化されたファイル? このセキュリティは社の仕様じゃないぞ」

 一郎は鳩原の端末の下層に、厳重に保護された隠しファイルがあることに気がついた。そして、そのファイルの暗号を解くことに躍起になった。自作の暗号解析プログラムを走らせ、それと同時進行でハッキングの痕跡を消すためにデータの削除や改竄を行った。さらに社内の警備システムにまで侵入し、監視カメラの映像を呼び出して鳩原の動向を監視し始めた。

 どれだけハッキングの技術に優れていたとしても、当人が端末にアクセスをしていたのでは、一郎が不正にアクセスしていることが容易にばれてしまう。鳩原も馬鹿ではないのだ。

「いたぞ」

 一郎は監視カメラの映像から、鳩原を探し出すことに成功した。

 鳩原は現在、地下二階のシステム開発部へ続く長い廊下を歩いていた。

システム開発部? そんなところに何の用事があるんだ?」

 一郎は怪訝な顔を浮かべながら鳩原の動向を追い続けた。

 一郎の部署はシステム担当の部署であり、リリース前の商品を開発するシステム開発部とは無縁の部署だった。

 鳩原の動向を探っているうちに、解析ソフトが結果を表示した。

「解析に成功した。これでファイルが読み込める」

 一郎は解析できたファイルを次から次に広げ、その中身を精査していった。

「メールに銀行口座の履歴? 聞いたこともない銀行だけど……何だこの多額の振込は?」

 一郎は見たことないような額の振込履歴を見て驚いた。

「これは……海外の隠し口座か? 振り込んだ相手は分らないけど、口座の持ち主は鳩原部長本人だな。まさか……社内の機密情報でも売っているのか?」

 一郎は思わぬ悪事の発覚に動揺しながらも、次の情報に目を通し始めた。

「メールの内容は……完全に秘匿されてる。僕の解析プログラムでも解けないとなると、解析のアルゴリズムを変える必要があるな……だけどプログラムを書き換えている時間はない。せめて、やり取りの相手だけでも分れば?」

 一郎はメールのヘッダから情報を得ることに技術を注いだ。

 

 ヘッダとはデータの先頭に付加されるデータ自体の情報のことであり、電子メールの場合は送受信の相手や送信日時、経由したサーバ、IPアドレスなどの情報を読み取ることができる。

 

「このIPアドレスは社内のだ。なら社員リストから検索できるぞ」

 

 IPアドレスとは、インターネットに接続している機器全てに割り当てられる識別番号の事であり、ネット上の住所のようなものである。

 

「出た。このIPアドレスは、システム開発部の開発室長? こんな人物と鳩原部長が……一体どんなやり取りを交わしているんだ?」

 IPアドレスの検索にヒットした人物は、マトリクス社のシステム開発事業部開発室長の鵜飼省吾うかいしょうごだった。しかもこの鵜飼という社員は、このマトリクス社の取締り役員の一人でもあった。

「すごい上役じゃないか? そう言えば……鳩原部長は今システム開発部に向かっているんだよな?」

 視線を監視カメラの映像に向けた一郎は、システム開発部の開発室を抜けて室長室に入って行く鳩原の背中を捉えた。

「くそっ。さすがに室長室にはカメラは付いてないぞ」

 室長室内の様子や二人の会話が確認できないことに苛立った一郎は、何か手はないかと考え始めていた。

 あの室内で何かの陰謀めいたことが起きているんじゃないかと考えると、一郎はいても経ってもいられなかった。

「室長の端末にハッキングを仕掛けるか? でも、システム開発部は社内のシステムから切り離されているし……」

 一郎はシステム開発部のシステムに侵入するのは危険だと考え、別の手を考えはじめた。

「せめて……鳩原部長が端末を持ち歩いてくれていれば」

 そうぼやいた一郎は、遠く方にいる女性社員が暇つぶしにスマホを弄っているのを見て閃いた。

「そうだ。部長の携帯端末にウィルスを送りつけて、端末を遠隔操作できるようにすれば?」

 一郎は即座に考えを実行に移した。

 以前暇つぶしに作成したウィルスプログラムを、鳩原当てに送付したのだ。その際にメールのヘッダ情報を書き換え、鳩原よりも上の役職からのメールに偽装しておいた。

 上司からのメールとなれば鳩原もメールを開かざるを得ない。そしてメールを開いたら最後、偽装されたメールに添え付きされたウィルスが鳩原の携帯端末を乗っ取り、遠隔による操作を可能とする。

 一郎がメールを送信すると、直ぐに鳩原がメールを開いたことが一郎の端末に表示された。

「後は遠隔操作で携帯を通話モードにして、マイクの感度を最大にすれば。良しっ。良しっ。いいぞっ。これで会話がモニタできるぞ」

 一郎は小さくガッツポーズをした後、ワイヤレスのイヤホンを片方の耳にはめた。

 

『今の連絡は誰だ?』

 くぐもった男の声が聞こえて来た。

『専務からでしたが、どうやら間違いのようです』

『間違い?』

『はい』

 

 しばらく間があった。

 勘の鋭い人間ならこの時点で携帯電話の乗っ取りに気がついてもおかしくない。一郎は会話のモニタと並行して、ハッキングの痕跡が残らないようにデータの削除や書き換えを入念に行い続けた。

 

『それで、全て上手くやったな?』

『もちろんです』

『証拠の隠滅は?』

『完了しています』

 

 一郎はイヤホンから流れてくる不穏な会話に耳を澄ませた。

「証拠の隠滅? いったい何の話をしているんだ?」

 二人の会話はまだ続いていた。

 

ケイマン諸島の口座に振り込まれた金には、しばらく手を付けるな。完全にロンダリングが済んだわけじゃない』

『分っています。一年以上は寝かせておくつもりです』

『いいだろう』

『それで、私は明日テロが起こるのをただ待っていればいいのですよね?』

 

 一郎は耳を疑った。

「今……テロって言ったのか? それに明日って?」

 

『その通りだが、口が過ぎるぞ』

『申し訳ございません。二度と軽はずみなことは口にしません』

『ああ。気をつけたまえ。明日以降も常に普段通りの行動を心がけろ。そうすれば、君が疑われることはない』

 

 一郎はそれ以上キーボードを叩くことが出来ずにいた。

「この会話は……一体何なんだ? どうして……テロなんかに、鳩原部長と鵜飼室長が関わっているんだ? もしかして……会社ぐるみでテロに加担してるのか?」

 一郎は恐怖で震えなながら自分が働いている会社を眺めた。

 簡単なパーテーションで仕切られた灰色のデスクが、フロアを埋め尽くすように並び、キーボードを叩き続ける音だけが延々と木霊している。るで巨大な機械を動かす歯車の一つ一つが、カチカチと音を立てて動いるかのように見えた。

 ここにいる全員がテロという陰謀に加担しているような気がして、一郎は気が気じゃなかった。

 

「どうしよう。どうしたらいいんだ?」 

 一郎はイヤホンを外して呆然とモニタを眺めた。

 端末ではコンパイラが走り続けていたが、そのプログラムすらテロという陰謀に繋がっているような気がして、一郎は全てのプログラムを停止した。

「おい、鈴木?」

 すると背中から男性の声が聞こえて、一郎は体を大きく震わせた。

「えっ……はっ、はい。なっ、何ですか?」

 一郎は言葉につまずきながら振り返った。

 先輩の柏木が立っていた。

「何て顔してんだよ。まるで見ちゃいけないもんでも見たような顔してるぜ?」

「そっ、そんここと。じっ、自分は……何も見てません」

 一郎は激しく狼狽しながら言った。

「そんなに慌てるなよ。ああ、そう言う事か?」

 すると柏木は、何かに思い至ったように口元に笑みを浮かべた。

「えっ、えっ、何の事ですか?」

「お前、アダルトサイトを覗いていたんだろ? 気を付けろよ。うちはセキュリティに関しちゃ厳しいからよ」

 柏木は「ここだけの秘密にしておいてやる」と言った調子で、一郎の肩をぽんと叩いた。

「は、はぁ。ありがとうございます」

 一郎は心ここに在らずでそう漏らした。

「それで、今朝動かなくなっていたコードなんだけど……書き終わったか?」

「はっ、はい。終わってます」

「よし。じゃあ、共有フォルダにぶち込んどいてくれ。俺が確認して上に上げておく」

「わっ、わかりました。直ぐに」

「おう。あと鈴木――」

「なっ、何ですか?」

 一郎は体を震わせて尋ねた。

 柏木が訝しげに一郎の顔を眺めている。

「コーヒーでも飲んで一息ついて来い。お前、顔が真っ白だぞ」

「すいません。体調がすぐれなくて」

「まぁ、プロジェクトも佳境だ。お前も働きっぱなしながらな? だが倒れられても困る。仮眠室に行っても良いぞ」

「ありがとうございます。それじゃあ……少し休憩してきます」

「ああ。そうして来い」

 一郎はエレベーターに向かって歩き、部署を出るところで徐に振り返った。

 今まで自分が必至になって働いていた会社が、まるで別の何かに見えていた。顔の無い歯車の一つ一つが重なり合い、無機質で残忍な機械を稼働させているようだった。

 エレベーターが到着したことを知らせるチャイムが鳴った時、一郎は決意した。

 

 ――今日こそ、仕事をやめよう。

 

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